031 それぞれの思い(フィデール→ミオ)

 ~ フィデール ~

 かすかに聞こえる波の音を聞きながら、木陰でのんびりと女性をお茶を飲む。
 ――こんな日が来るなんて思いもしなかった。
 まあ、ミオさんは……女性、という言葉でくくるには少し規格外な人だけれど。
 でも、意外なことに、静かな雰囲気を楽しむ人でもあるようだ。胸につかえていたものを吐き出した後は、特になにを語るわけでもなく、ただのんびりとお茶を口にしている。
 取り立てて会話をしなければと気を遣うわけでなく、かといって、席を外したいというわけでもなく――ありのままを受け入れている気がする。

 そんなミオさんが、唯一拒否するのが、乙女であるということを認めること。しいて言えば、乙女だと認め、シエンと一緒になること――か。
 何故、嫌がるのだろう?
 元の世界がそれほどいいのだろうか。
 ……いや、いいのだろう。普通なら、住み慣れたところにいるほうが一番いいはずだ。
 いくら待遇が良くても――いや、ミオさんの話では、王族などいないようだから、逆に居心地が悪いのかもしれない。
 だから、なのだろうか。それほどまでに嫌がるのは。
 何故か理由がそれだけというのが腑に落ちなくて、気づくと口を開いていた。

「どうして、ミオさんは自分が乙女だと言うのを嫌がるんですか、ね?」

 この言葉にミオさんの表情が一瞬強張る。
 そして。

「トラウマ」
「はい?」

 とらうま……とは、どういう意味でしょうか? 少なくともこの世界にはない単語だ。
 これも乙女としての力の片鱗なのか――なんとなく嫌な言葉に聞こえる。

「ああ、ええと“精神的外傷”――簡単に言うと“心の傷”ってヤツ」
「はあ……」
「まあ、そんなに大袈裟じゃないけどね」

 うーん、分かったような分からないような……。
 言葉の意味は分かったけれど、それがどうして乙女を拒否するのか分からない。

「未だに引きずってる私もなんだけど……まぁ、恋愛絡みで嫌な思いしてるんだよ」
「はぁ……」
「おいこら、そっちが聞いて、でもって人が話してやろうって思ってるのに、どうしてそう気のない返事をするわけ? ちったあ、親身になって聞けよ!」

 ええと、それはなんと言うかとても意外だったもので……特に、恋愛絡みというのが。
 とはいえ、言葉にならず、間抜けな顔をしていたに違いない。
 ミオさんはため息をつくと、「この際だから全部聞いてけ」と言う。
 えーと、恋愛絡みの女性の身の上話……のはずなのに、言葉遣いが男性的なのは気のせいでしょうかね。いえ、気のせいにしておきましょう。
 はあ、と一つため息をついて。

「全く……私は吐き出し場所ですか?」
「聞いたのはそっち。まあ、ここまで喋っちゃったから、話しちゃっても、いいかなー……とは思ったけど」
「はあ」

 やはり愚痴を吐き出したいわけですね。まあ、いいですが。
 そういえば、ここに来た時もちょうど息抜きになっていいとか言っていたし……ミオさんなりに色々大変なことがあったのかもしれない。
 それに、ミオさんのこんな一面を見るのは初めてで、好奇心をくすぐられたのは確かだった。

「それでは、その理由とやらをお聞きしましょうか」
「今度は仰々しい。私、何様って感じじゃないか」
「……けっこう注文が多いですね」
「悪い?」
「いえ、いつものミオさんらしくていいです」

 少しだけペースを取り戻したのか、表情が戻ってきている。
 やはり、こちらのほうがミオさんらしくていい。
 やっと安心できて、残っていたお茶を飲み干した。
 ミオさんはというと――何か思いついたような顔をして、私のほうをじっと見ていた。
 ……なんか、嫌な予感がするんですが……気のせい、で終わらせるには無理がありそうなほど強い予感が……。
 まるで蛇に睨まれた蛙のような気分でいると、ミオさんが唐突に尋ねた。

「そういや、フィデールって恋人とかいるの?」

 ああ、やっぱりその話ですか。
 ……分かっていても、その興味津々な表情を向けられるのはきついです。

「フィデール?」
「いえ、まあ、お誘いくださる女性は居ますが……」
「ふーん」
「ですが、私の身分や立場などを考えて声をかけてくるのが丸分かりなので、なんというか……特定の方と付き合うという感じではないですね」
「ふーん……もしかして、適当に相手しながら、都合良く情報聞き出してたりして」
「だから、どうして分かるんですか……」

 変なところで妙に聡いミオさんに対して、深いため息をつくしかない。
 私に声をかけてくる女性は貴族の令嬢たちで、あまり断ってばかりいられないのも確かなので――まあ、その辺はこちらも都合よくさせてもらっているけど――、まあ、互いに利害が絡んでいるから良しとするしかない。
 でも、そんな女性ばかりでは、本気になることはなくて。
 って、もう、なんでこの人はこういう時ばかり察しがいいんでしょうね? 聞かれたくないことをぐさりと突いてくるのだから。

「もしかして、フィデールって女性不信だったりする?」
「……かもしれないですね」

 見事に心情を看破され、頷くしかできなかった。
 仕方ないじゃないですか、本気になれるような一途な人など、見たことも出逢った事もない。
 それに、自由に恋愛が出来るような立場ではないのだから。

 

 ***

 

 ~ ミオ ~

 なんで話をしようと思ったのか分からない。
 でも、いい加減ケリってものをつけたかったのかもしれない。
 それに……なにより味方が欲しかったのかもしれない。自分の気持ちに対して、少しでも賛同してくれる人が。
 ふう、と息を吐いた後、自分の中にわだかまっている思いを吐き出す。

「私さ、昔からこんな性格だったんだ」
「それはそうでしょう。性格なんてそう簡単に変えられるものじゃありません」
「いや、そうだけどさ……」

 そうだけど、そうじゃないんだよ。
 しっかし、ホント、フィデールって真面目だよね。残っているプチケーキに手をつけつつ、フィデールをまじまじと見てしまう。
 たしかにこの性格だと、自分の立場を利用するために近づいてくる人々にはうんざりしてそう。
 今現在、目上の立場の人に使われてるからね。
 それでも大国の王子様だし、乙女の件が片付いたら国内の貴族令嬢と政略結婚して、あの国から一生出してもらえないんだろうな。
 その辺をちょろりと聞いてみると、ため息つきで「そうですね」とだけ返ってきた。
 あ、やっぱり。自分でも想像ついているんだ。
 それにしても、恋愛をちゃんとしたことのない――というと失礼だけど、そんな感じだ――人に話をして、理解してもらえるか……ちょっと疑問だ。

「まあいいや、とりあえず、うちは男兄弟が多くてね。なんて言うかな、その中でもまれて育ったから、見たとおり逞しいんだよ」
「成る程。そういえば、フィーシオ殿には、異性の兄弟が多いといってましたが……」
「まあ、曖昧にしておけばいいかな、と」

 騙されてくれてなさそうだったけど。
 コホン、と一つ咳払いして、話を元に戻す。

「とりあえずだね、まあ、私はそんな環境で育ったから、たぶん、フィデールが見慣れている女の人とは思い切り違うと思うんだよね」
「それは、まあ……」

 言葉を濁しながらも否定しないフィデール。
 ま、いいけどね。向こうの世界でも、私は規格外だったからさ。

「それでも……こんな私でも、“恋愛”ってヤツをしたんだ」
「はあ」
「意外?」
「そう、ですね」

 こらこら、はっきり言うな。
 なんていうか、フィデールってたまにオブラートに包まないで、さくっと本当のことを言うよね。
 その辺を突いてみると、自分でも驚いているような顔をした後、フィデールはちょっと考えて、私とは利害が絡まないから……と答えた。
 ほほう、それでつい、本音がポロリと出てしまうわけか。
 とはいえ、ポロリとこぼした本音を、私が他の誰かに言いふらしたりする心配はないんだろうか?
 その辺りも聞いてみると、心配ないという答えが返ってきた。

「私にしてみると、そんな風に言ってしまう自分がいたことが信じられないですよ」
「そう? まあ、“お兄様方”に会う時は無表情になってるけど」

 あえて、苦手だろう兄達を“お兄様方”と嫌味ったらしくいうと、フィデールはくっ……と小さく笑って、「まあそうですね」と答えた。
 どちらにしろ、私がこれから話す内容は、アスル・アズールにもタマキちゃんにも言わないから安心して欲しい、と言われた。
 アスル・アズールは良き友でありたいと思うけど、それでも互いに大国の要人で、それぞれの思惑がある。だから、本音だけでは付き合えないのだと言った。
 そして、タマキちゃんは二人きりになるようなことがないので、そんな話にはならない、と。
 それを聞いてだいぶ楽になった。
 こういう話は不特定多数の人に聞かれたくないものだから。

「まあ、フィデールの口の堅いのはある程度分かってはいたけど、念押しできてよかったよ」
「そうですか?」
「んー、まあね。あまり聞かれたくない話だし」

 でも、全部理解してもらえなくても、自分が乙女だと否定するのをある程度はわかってもらえそうだからね。

「まあ、簡潔に言っちゃえば、アスル・アズールみたいに、私のようなのでもいい、って人と付き合った。でも、最終的にはふられたよ。女の子らしい可愛い子が好きになったって」
「それは……」

 言い淀むフィデールに、私は小さく頷く。
 フィデールが言いたいことは分かるから。

「分かってる。その人とアスル・アズールは違うって言いたいんだよね?」
「ええ」
「私だってそれは分かってる。でも……」

 ここでいったん言葉が途切れる。
 だってしょうがないじゃない。今のままの私でいい、って言っていた口で、別に好きな子ができたって言うんだ。
 しかも、私なら一人でも大丈夫だけど、その子には付いていてあげたいって思うから――って。よくある台詞だけどね。

 でもそれで分かったことがあるよ。
 永遠に変わらない人の思いなんてないってこと。
 いつか、変わるときが来る。
 早いか遅いか……ただ単にそれだけの違いで。

「私はそんな曖昧なものに、自分の人生を賭ける気はなれないんだよ」

 自分が乙女だと認めれば、私の人生が決まってしまう。
 でも、私は……変わるかもしれない人の気持ちに、自分の人生を託す気にはなれなかった。

 

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