昨日はあたし――琴音にすると天変地異に等しい出来事が四回も立て続けに起こった。
もう、すごい大ショック。今まで信じていたものが、一気にガラガラと音を立てて崩れていく感じ。
あ、天変地異が四回も起これば生きてるわけがないというツッコミはなしで。
一回目は養い親――秋月が人間じゃなかったこと。
十三年間もの間、養い親としていたのが吸血鬼だなんて……これはちょっとショックだったよ。でもこれは……変に人間離れしている秋月のことだし……うーん、まだ許容範囲内かもしれない。
ただ、自分に迷惑がかからなければ本当に許容範囲だったんだけどねえ……と、思わず遠い目になりかかる。
二回目はその災厄が自分の身に降りかかったこと。
この現代に吸血鬼なるものがいるとは思わなかったから、全く無防備だった。でもって、それに思いっきり血を吸われて貧血状態になるし。
少しは限度ってものを考えろ、と叫びたかったのに、更にその後のせいでパニックに。
そして転がるように立て続けに三回目――そいつらの仲間(?)にされたこと。
四回のうち、二番目にショックだったかな。
彼らの仲間に入るというのが、やり方がはっきり言って想像できないような……訂正、想像したくないようなスプラッタモノだった。
なんでも相手に自分の血を飲ませなきゃならないらしいんだけど、なるべく心臓に近いところがいいという。その方が新鮮――なにが!? とツッコミたいのは置いとく――だから、吸血鬼としての力が強いとか。
って言われても困るんだけど……そんな違いなんて分かるわけないでしょうが。
あの時、ウェンさんが持った短剣はあたしを傷つけるものではなく、秋月の胸を突き刺すためのものだった。
もちろん胸にそんなもんを突き刺せばどうなるかは明白で…………ああ、嫌だ思い出したくない!
映画とかならいいけど、本物は嫌だ! 臨場感たっぷり過ぎる!
相手が吸血鬼だから傷は見る間に塞がって、死んでないだけマシなんだろうか?
そして、あたしはといえば、貧血と目の前で繰り広げられたスプラッタに気を失いかけた時に、無理矢理、秋月の血を飲まされた。
……気持ち悪い。吐きたい。
その願いは叶わず、とうとう耐えきれなくなって意識が途切れた。
そして四回目は――
***
あー頭がガンガンする。体が重い。
なんなんだ、これは。お酒飲んだことないけど、二日酔いってこんな感じなのかな。
「ん……」
どうやら、部屋が明るくなってきたので目が覚めてしまったらしい。ぼんやりとした視界を、瞬き数回で安定させる。
そのあと自分の部屋じゃないことに気付き、慌てて起きようとしたけど、体がいうことを利かなくて、すぐ諦めた。
それに。
「こら動くな。まだ早いだろうが」
はい? この声、秋月だよね?
それに何? 今あたしの体を止めたのは?
「うううううううしろにいるのはしぅげつぅっ!?」
「他に誰がいる?」
「だれっていわれても……なんでいっしょにねてるわけ?」
思考が半ば停止しているようだ。呂律が回らず棒読みのセリフのような口調で尋ねる。一応あたしも年頃の娘なわけだし、心配しちゃうのは仕方ないと思う。いや、なにより秋月のいつもの行いのせいだろうけど。
そうそう確認。ふ、服は……あ、一応着てる。良かった、大丈夫かも。
はーっとほっと胸を撫で下ろしていると、後ろから耳元に囁くような秋月の声。
「酷いなぁ、何があったか覚えてないなんて」
「ひーっ! 耳元でしゃべるなっ!!」
耳元に微かな風を感じて、背筋に寒気が走る。口調は優しい感じだけど、この場合は反対に怖い。
硬直して冷や汗をかいていると、肩を掴まれて引っ張られた。いきなりだったから、抵抗もなく転がって仰向けになる。見上げれば秋月の顔がすぐ近くにあった。
不覚にも綺麗な顔にドキッとするものの、さっきの優しい声と違って、いつもの意地悪な笑顔に戻っている。
嫌な予感をバリバリ感じるよぉ……。
「し、しぅげつ……!?」
「覚えてないなら、俺が懇切丁寧にもう一度再現してやろう」
う……。怖い。
何が怖いって、“俺が”ってところと“丁寧に”ってところが、やたら強調されているところ!
しかも秋月に乗っかられて左右、上下ともに逃げ場はない。
それになにより、その笑顔はとてもじゃないけど、丁寧なんて言葉に似つかわしいほど邪悪だ。
なりふり構わず、半泣き状態で「そんなのいらないー!」と拒否する。
神様、仏様、ああ、そんなにご大層な人じゃなくてもいい、誰でもいいから助けてーっ!!
「そんなに泣くなよ。もっと苛めたくなるじゃないか」
「ちょ、それ酷い! 昨日から十分にあたしのこと苛めてるじゃないか! 秋月が普通の性格じゃないってことは最初っから分かってるけど! この変態! スケベ! 苛めっ子っ! ドS! 鬼畜! にんぴにーん!!」
とりあえず思いつくままに文句を言ってみるけど、そんなもんで止まるなら秋月じゃない。
「どれも当たってるなぁ。良く分かっているじゃないか」
「あ……そういや人じゃないんだっけ?」
「はい、良く出来ました。ある程度は覚えてるんだ。良かった良かった。説明が省ける」
「あんなの忘れるわけないでしょーが!!」
「でも“何”があったか忘れてるだろ?」
「う……」
「だからこうしているのにパニックになってるしなぁ」
痛いところを突かれてしまった。
ああそうだよ、秋月が吸血鬼だったってこと、その秋月に血を吸われたことまでは覚えてる。んでもって、秋月がスプラッタになったのも朧気だけど覚えてる。
問題は今のこの状況! 何がどうしてこうなったのか全くもって不明なんだよ。だから秋月の笑みが怖いんだよーっ!
でも怯んでなるものか――というより、弱みを見せたら絶対につけ込まれる。そんな恐ろしいマネなんて出来ない。
なるべくそんなことは出さずに、秋月を睨みつけた。
「くっ、やっぱりお前は飽きないよなぁ」
「しゅ……」
『極上の笑み』というのはこういうのを言うんだろうか。もともと秋月は綺麗な顔をしているけど、それが優しい笑みを浮かべた時は特にそう思う。
いつもの性格の悪さを知っているあたしでも、そんなこと、忘れてしまいそうになる。
――と思っていたのが悪かった。
優しげな笑みと、頭を撫でる手に呆然としていると、唇にむにゅっと柔らかいものが押し付けられる。そして眼前に広がる秋月のどアップの顔。
再現って、再現って……やっぱりこれかあああぁっ!?
乙女の唇を気安く奪うな!
変なとこに変な手つきで触るなあーーーーっ!
なんか、いつの間にかに思考がぶっ飛んだような気がする。
色々と、思考が追いつかない。なんでこんなことになったのかとか、記憶がある中では初めてだからとか。気づくと力が抜けていた。
罵詈雑言を思いきり目の前の相手にぶつけたいけど、たぶん今口を開いてもまともに話せないような気がする。
「なーんだ、これくらいで根を上げるなんてつまんねぇ」
ナヌ!? 勝手に手を出したくせに、つまらないだの抜かすな!
ああもうっ体の調子が良かったら遠慮なく張り倒してやりたいのに。でも体は起きた時と同じくだるくて力が出ないので、恨めしげに睨むことしかできない。
「つまんねぇからもう少し待ってやるよ」
「……っ!」
ムカ。
偉そうな口調に――そりゃ秋月はいつもだけど――こめかみに青筋が浮かぶのが自分でも分かる。結構すごい形相してるかもしれない。
秋月はそんなあたしの顔を見た後、興味を失くしたかのようにあっさりと部屋を出ていった。
***
服を来ていたのを見て少し安心したけど、これって難を逃れたというより、先延ばしになった……だけ? さっき“待つ”って言っていたような……ってことは、やっぱり……。
に……、逃げよう、かな?
秋月はあたしが出ていくとは思わないのか、いつものように扉を開けっぱなしの状態だ。だるい体をなんとかしつつ、ベッドから降りる。
幸いというかなんというか、服は着てるのでそのままヨロヨロしながら廊下に出た。
あとで絶対秋月に仕返ししてやる! そのために態勢を整え直すのが先だ。
まずはどこか逃げられるところを探して……。
「あっれー、お姫様じゃん。どうしたの?」
こ、この声は……えと、ウェンさん、だったっけ。
秋月の知り合い――ってことは吸血鬼ってことだよね。近づいて欲しくないなあ。つい肩が竦んでしまう。
「う、ウェン……さん?」
「うん、よく覚えててくれたねー。本当の名前はウェンロックって言うんだけど、秋月はウェンって言ってるんだよー」
「そーですか。あの、お姫様って言い方、やめてもらえます? でもって近づかないで欲しいです」
「だって良く見たいし。いちおー要望は聞いて、お姫様はやめとくよ。琴音ちゃん……だっけ?」
「そーです。」
この人に構っているより逃げたいんだけど……逃がしてはくれないんだろうな。ううむ、どうしよう。
顔を近づけられると反射的に後ずさり、結果、壁に押し付けられるような形になった。これ以上さがれなくなり、ウェンの顔が近くなる。なんか昨日からこんなのばかりの気が……。
「んでさー、やっぱり……まだなの?」
「ハイ!?」
「アイツも我慢強いなー。ま、今まではしょうがないんだろうけど。でも、ホント、頑張ったよなー」
「あの……?」
ああもう、この人も訳の分からない人第二号だ。
勝手に言って勝手に納得してないで、ちゃんと説明してよ!
「あ、説明欲しいの?」
「当たり前です! あたし何にも知らなかったんだから! 秋月って本当に吸血鬼なの? あたしはどうなるの!?」
「うわー、アイツほんっとうに何にも説明してないんだー……」
良くやるよー……という呟きが聞こえる。あの、呟くだけじゃなくて説明してってば。説明プリーズ!
「だから、説明……っ!」
「うーん……でもアイツがなんにも言ってないなら、オレが説明しちゃマズイだろうなー」
ウェンさんは予想範囲外のような顔をしながら頬をかく。
でも、あたしとしては切実に説明が欲しいの!
じーっと目を見ていると、ウェンはやれやれと言いながら、少しだけ話をしてくれた。
「ま、ちょっとだけ。問題のないところだけね」
「お願い!」
「えーとね、キミが十六になったら仲間に――違うか、秋月はキミを伴侶にするってのは、結構前から決まっていたことだったんだよ。知らなかった?」
「知りませんっ!」
ウェンさんの問いに間髪入れず答える。
ってか、秋月の伴侶――って言葉が、思いっ切り恐ろしいから!
「ああ、やっぱり本人も知らなかったのか。ああ、あと、反対するのが多いだろうと予想してたから、立会人はオレ一人で無理やり決行したの。オレ、秋月の友人だし」
「なにそれ? 反対する人がいるなら“やめる”って選択肢はないの!?」
そうだよ、反対されてるくらいなら、この家から放り出してくれれば良かったんだ。
この年でいきなり一人は辛いけど、もともと三歳の時に身内が一人もいないんじゃ仕方ない。頑張れば中卒でも仕事くらいなんとか……なると思いたい。
……そういや、秋月は一体いつからそれを決めてたのかな? 場合によってはロリコン認定してやろう。
まあ、それはおいといて、どうしてそんな強行手段に出たのか、その説明をウェンさんに求めると、彼は手を振った。
「それは駄目、オレからは言えない。まあ色々事情があるんだけどねー。それはオレが言っていいことじゃないからねー」
悪いねー、と謝るけど、笑顔で手をひらひらさせているのを見れば、形だけの謝罪だと十分にわかる。
くそぅ、やはり秋月の友人だ。
「その事情は?」
「だから無理だって」
「む……」
食い下がるけど、それでも答えてくれない。
うーん……口調からしてけっこう口が軽そうな感じなんだけどな。思ったより口が固い。こういうところは秋月の友人っぽくない。
あ、いや、秋月も大事なことは何も言ってないから、同じ……かも? なんて色々考えていると、ウェンさんは“事情”とやらを無視して、あたしの体調について話し出す。
「あ、そうそう。とりあえず体調悪いのは今体が変わろうとしてるから」
「変わる?」
「うん。いくら同じに見えても、人と吸血鬼は全く違う生き物だからねー。だから変わるのに体が大変で、体調不良になってるんだよ」
「くぅ、秋月めええぇぇ……反対されて、そこまで大変な思いするなら、そんな考えポイっと捨てて、さっさと放り出してくれればいいのにいいぃぃ!」
こぶしをぶるぶる震わせながらぶつぶつと呟く。いや、叫んでる?
それにしても、あたしってばこのまま不幸路線まっしぐらなんだろうか。この不幸体質(?)は親ゆずりなのかな。両親も早くに亡くなったみたいだし。
でも、これからあたしはどうなるんだろう……。
体をよじって壁に寄り掛かって自分の不幸を嘆いていると、ウェンが「大丈夫?」と尋ねる。
「あんまり大丈夫じゃないかも……」
「まあ、何の説明もなしじゃ、可哀想には可哀想だけど……。でも今はゆっくり休むこと。体調不良は二、三日で治ると思うよ。その間アイツも手を出しては来ないだろうし」
「その後の保証……は?」
「あー……」
こら、そっぽを向くな。余計に不安になるじゃないか。
「ええと、その先はその先ってことで。でもね、一つだけ……秋月はキミのことを大事に思ってるよ」
「どこをどう取ったらそうなるか、ぜんっぜん分からないです!」
説明も何にもなくいきなりだよ。それって秋月の性格を如実に表しているじゃない。
とてもじゃないけど、大事にされてるなんて思えない。
「うーん……やっぱり予想していた答えだね。仕方ないなぁ。実は吸血鬼に変化するのって命にかかわるほど危険なことなんだ」
「え? 余計悪いじゃないですか!!」
吸血鬼になるのってそんなに危険なの? お語なんかじゃ、血を吸われたら同じ吸血鬼になるとか、同じように血を飲まされるけど、けっこう簡単になれるようなものだと思ってたけど……
でも、そうじゃないのなら、命を落とす危険だったあるのに、それを無理やり決行した秋月はなに考えてるわけ?
「ちょ……顔怖いよ?」
「当たり前です! 命かかってるんですから!!」
「ああ、ダイジョウブダイジョウブ。その辺は秋月がちゃんと手を打ってあるから」
「ハイ?」
「そのために最初に血吸われたでしょ?」
「ええ、思いっきり!」
「そうだね、思いきり。でもそれは、なるべくキミの体組織に近づけるためっていう事情があるんだよ」
ええと……それってあたしの血を吸って、秋月の血と混ぜて……あたしに飲ませる時、少しでもあたしに負担が少ないようにした――ってことなんだろうか。
ウェンさんにそんな感じかと尋ねると、にっこり笑って「そうだよ」と答えた。
そうか、合ってるのか。
「でも負担が少ないように――で、これなの?」
「だから仕方ないでしょー。そう簡単に体組織なんて変わらないんだからさぁ。お話だと簡単そうに表現してるけどさー、本当はそんな簡単にいかないよ。まあ、血を求めるだけで理性のないイキモノ作るならそれでいいけどね」
「ならやるな。んな物騒なモン作るな」
「それは秋月に言ってね♪」
にゃろう、そうやって逃げるのか。
さすが秋月の友人。この二人に付き合っていたら一日で胃に穴が空きそうだ。
「んじゃ、ある程度理解してくれたと思うから、今から部屋に送るよ」
「へ?」
「自分の部屋のほうがゆっくり休めるでしょ?」
「うん、まあ……」
「じゃあ、送るよ」
え、もうちょっと情報をおくれーと思ったけど、肩に手を添えられて促されると、もう部屋に戻るしかない。
一緒にいてもこれ以上話してもらえなさそうだし。こういうやりとりは悔しいけど、あたしよりずっとずっと上手だろう。
ゆっくり歩いて部屋まで付いたので、一応お礼を言う。
「ありがとうございました」
「どう致しまして。秋月は体調戻るまでは手を出さないから大丈夫だよ。それよりも今はゆっくり休んで」
「う……は、ハイ……」
それって体調戻ったら、今度は身の危険が待っているってこと? 一応まだ……みたいだけど、次は確実に?
ウェンさんの話じゃ、あたしは秋月の……うわ、考えるだけで恐ろしい。さーっと血の気が引いていく。
笑顔で去っていくウェンを見ながら、あたしは逃げることを決意した。
このままじゃ、絶対やーばーいーー!