第2話 突きつけられた選択肢

 今年は人界において二十年に一度の大祭だった。
 大祭とは、天界の“ミカエル”、地界の“ルシファー”は二十年をもってその任にあたる者が代わる節目の年でもある。
 そのため、大祭は天界、地界において新しき支配者の初の顔見せになる。現在のミカエルとルシファーは十九年務めた。ちょうど任期が切れる時だった。
 次にその任に就くものは、天界、地界において一番力のあるものになる。次の者はすでに決まっており、前任者から指導を受けている時だ。
 けれど、人界では二十年に一度の大祭の日まで、誰が任に就くのか分らない。
 そしてその大祭があと半年という時に、柱の国の姫君たちに天界と地界から縁談の話が舞い込んだ。

 

 ***

 

 ――人界、柱の国。
 私的なもので珍しく王の家族が揃った。私室のため王と王妃、そして姉姫、妹姫、王子の五人のみが集う。

「私達が……ですか?」
「そうだ。天界と地界、それぞれから来ている」
「どうして? 確かにこの世界から天界、地界に嫁ぐ者が居ないわけでは有りません。けれど、どうして私達なんですか?」

 何故かと姉姫であるクレアトールに問われたが、同じことを一番問いたかったのは父のアルベールのほうだった。
 姉姫のクレアトールは体が弱く、公式の場にほとんど出ていない。
 妹姫のマリアベールは健康だが姉に遠慮してか、これまたあまり公式の場に出ていない。
 世継の王子であるレオナールがいるため、王も王妃も二人の姫に関してあまり口を出さなかった。それぞれの状況や心境がわかっているからだ。
 クレアトールの方は縁談が来ても、嫁ぐこともままならぬだろうと思っていたし、マリアベールはまだ先のことだろうと思っていた。
 それに他の界ではなく、この世界のどこかの国に嫁がせようと考えていた。
 いや、他の界など考えてもいなかった。他の界からこのような申し出がなければ、嫁ぐことなどないのだから。
 そんな事情を考えて、アルベールは渋面を作りながら。

「分らん。ただ、次代のミカエル様とルシファー様の申し出だ。断るわけにはいかん」
「次代のって言っても、顔も判らないような人じゃないですか!」
「そうだが、“ミカエル”と“ルシファー”を継ぐものだ。人である我らに逆らえるわけがないだろう」
「そうですが……!」

 姉であるクレアトールは信じれられない気持ちと、そして見たこともない人へ嫁ぐ抵抗感から、王である父に食ってかかった。
 妹のマリアベールはただただ信じられないといった表情で、二人のやり取りを見ている。

「まあまあ、お姉さまもお父さまも落ち着いて。確かにお父さまの言う通り、天界と地界の支配者には逆らえないよ」
「まだ支配者じゃないわよ!」

 宥めるように言うレオナールに、クレアトールはばっさりと切って捨てる。取りつく島もないとはこのことだろうか。
 レオナールは姉の気迫におされてそれ以上言えなかった。今年十一歳のレオナールは、年の割にしっかりしているが、病弱なくせに気は強いクレアトールにまだ敵わない。こんな風に一言で終わりにされてしまう。
 レオナールが黙ったのをいいことに、クレアトールは父親に食ってかかる。

「だいたい次の“ミカエル”と“ルシファー”は何を考えてるの!?」
「クレアトール、ミカエル様とルシファー様になんて言い方をするんです?」
「さっき言ったようにまだなってないわよ、お母さま。それより、マリアベールはともかく、なんで私まで……」
「まあまあ、それよりも私は嬉しいわ」

 ぐっと握り拳をつくったまま怒っているクレアトール。
 そんな彼女を前にして、母であるラシェルは笑みを浮かべていた。

「なんでよ、お母さま?」
「だってあなたには丈夫な体で産んであげられなくて……結婚もできないまま終わるのかしら、って思っていのよ。なのに、あなたにも縁談があるなんて……」
「う……」

 体のことを言われるとクレアトールは言い返せない。母がいつも心配しているのを知っているので、こう言われるとそれ以上反論できなくなるのだ。
 病弱に生まれたことを嘆いても、そんな風に生んだ母を恨んではいない。だから、母であるラシェルが申し訳なさそうな顔をするたびに、クレアトールの胸は痛んでしょうがなかった。
 そんな母を喜ばせるには、結婚して幸せになるのが一番なのだが、ふってわいた縁談に戸惑うほうが強かった。

「この世界の人だったら無理だけど、ミカエル様にしろ、ルシファー様にしろ、御力のある方ですもの。あなたの体も何とかしてくださるわ」
「そ、それは……」
「そ、そうだ。クレアトール。この縁談を承諾すれば、閉ざされていた未来が待っているかもしれないんだぞ」
「で、でも!」

 天界、地界の支配者ならクレアトールの体もなんとか出来る可能性が高い。
 でなければクレアトールに縁談など持ち込まないだろう。
 両親にすれば、このままで終わってしまうかもしれない娘が不憫で、出来ればこの話に頷いてほしかった。
 それに、なによりこの縁談は断りようがない。

「お姉さま。私もこの縁談にはとてもびっくりしていますが、でもお姉さまにはもっと生きていて欲しいです」
「マリア……」
「そうよ。急な話だけど、悪いことではないと思うわ」
「お母さま」

 戸惑うクレアトールに、母とマリアベールが説得する。
 両親は、できれば本人の意思でこの縁談を了承してもらいたいと思っている。マリアベールは界は違えど、姉に生きていて欲しいという願いから。
 その気持ちを汲んで、クレアトールは言葉に詰まる。

「それともお姉さまは他の界に行くのが怖いの?」
「レオ?」
「もう十九歳なのに、お父さまとお母さまから離れたくないって言うの?」
「そっ、そんなわけないでしょう!?」

 情に訴えても駄目なら、後はクレアトールを挑発するしかない――とばかりに、今度はレオナールがクレアトールが迷っている所を突いた。

「だったら何も問題ないよね?」
「う……」
「僕はまだ十一だけど、まだお父さまもしっかりしているし、それに天界と地界が後見してくれれば、これ以上心強いものなんてないよ」
「……」

 クレアトールはそれ以上反論できず口を引き結ぶ。
 家族全員がクレアトールのことを心配しているのは分っていたし、おいそれと断れるような話ではないのも分かる。クレアトールの意志だけで決めることはできなかった。
 そしてしばらくしてから深いため息をはいた。

「……分かったわよ。結婚すればいいんでしょう! でも、どうなっても私は知りませんからね!」

 病弱なのを理由に公式の場にほとんど出ていないクレアトール。そのため彼女は王族として堅苦しい礼儀作法というのをきちんと学んでいない。
 学んでいないというのは語弊がある。彼女の母と乳母は彼女をどこに出しても問題ないように礼儀作法は教えこんでいた。
 単に彼女が本当にそれで通用するのか分からないので、不安に思っているだけのことで、周りは特に心配してなどいなかった。

「私はともかく、マリアはそれでいいの?」

 自分のことも含まれるのに、いまだに信じられないような表情で姉のやり取りを聞いていたマリアベールは、いきなり尋ねられてはっとなる。

「えと……、私は別に。どこかに嫁ぐのは当然だもの。ちょっと話が早いのと、別の界からというのでまだ実感がわかないけど」
「はー……。あなたまでそうなら私がこれ以上文句言えないじゃないの」
「ごめんなさい。お姉さま」
「仕方ないわ。で、お父さま、マリアと私はどちらに嫁ぐの?」

 クレアトール以外はそれなりに乗り気になっている。彼女は諦めて話題を変えた。

「それが……」
「どうしたの、お父さま」
「両方からの申し出だが、縁談を了承するなら、お前かマリア、どちらでも構わない――と」

「な、なんですってえっ!? 失礼にもほどがあるわ!!」

 どちらでもいいと言われて、クレアトールはまた逆上した。妹のマリアベールはその迫力に何も言えないでいる。
 クレアトールが怒るのも無理はない。どちらでもいいから嫁にくれ、と言われて、素直に頷ける親はいない。
 けれど王という立場では、界の支配者からの申し出に、娘たちを頷かせなければならないのだ。
 父も今回の話には困っているのだろう。ため息を一つついてから、クレアトールとマリアベールの方を向いた。

「明日……使者殿と会わせる。その時に説明を聞くがいい」
「どちらでもいい、に続いて今度は使者殿ね。全く馬鹿にしてるわ!」
「落ち着きなさい。さすがに本人が来るわけには行かないだろう」
「本当に望んでるなら来てみなさいよ!」
「いい加減にしなさい! 今日一日頭を冷やして、明日は使者殿に対して礼節を持ってご挨拶しなさい。姫君として相応しいように」

 クレアトールの怒りももっともだが、かといってきちんと育てなかったと言われても困るのだろう。“姫”というところを強調して言うと、クレアトールは息を呑んだ。
 そして。

「……。分かりました! やってみせるわよ! ぜったい失敗なんてしないわよ!」

 クレアトールは実に気に入らなさそうな表情だったが、それでもその場は頷いて話は終わりになった。

 

 ***

 

 次の日、父王に言われたとおりにするため、クレアトールは乳母に手伝ってもらい、普段着ではなく公の場に出ても恥ずかしくないドレスを身にまとう。
 乳母は自慢の姫を見せることが嬉しいのか、鼻歌交じりで彼女を飾っていく。
 クレアトールは少し大きな緑の瞳に黄金色のストレートの髪、目鼻立ちはしっかりしていて文句なしに綺麗という分類に入る。
 その彼女に、乳母は生成りに光沢のある糸で細かく刺繍された上品なデザインのドレスを着せた。宝石類は耳飾と開いた胸元を寂しくない程度の物だけにする。
 髪は顔のラインをなぞる程度にひと房だけたらして、後は緩やかに結い上げ、今朝咲いたばかりの花を飾った。
 化粧はもともと肌は白いものの、しみなどがなく綺麗なので、白粉を軽くはたく程度にし、目元をはっきりさせるために目尻に線が引かれる。唇は鮮やかな紅の色。

「ばあや、少し派手じゃないの?」
「そんなことはありませんわ! ドレスは上品に見えるよう、フリルやレースなど装飾の少ないものですし、宝石だって姫様の輝きを隠すような大きなものは付けておりません。謁見ですからこれでいいですが、宴席などでしたら控えめすぎるくらいです!」
「でも……」

 普段楽な部屋着でいるクレアトールにすると、鏡に映った自分の姿を十分派手だと感じてしまう。
 それにしても、化粧と髪を上げるだけでこんなにも雰囲気が違うのか、とも思う。
 普段の彼女はそのままにしているか、後ろで一つにまとめているかどちらかだ。髪を上げて花で飾った髪型は見慣れなくて、どこか落ち着かない。

「顔を触っては駄目ですよ」
「でも、ばあや」
「駄目です。使者殿に会われるまでは決して触ってはいけません!」
「……分かったわ」

 押し問答してもぜったい負けるだろうと分かったので、クレアトールは諦めた。

 そのまま謁見の間へ赴くと、大きな扉が開かれる。すでに使者はクレアトールが着くのを待っていた。
 クレアトールは慌てて使者に対して礼をする。

「お待たせして申し訳ありませんでした。第一王女クレアトールでございます」

 ドレスのスカートの部分を軽くつまんで、膝を折り会釈する。その姿は小さい頃から礼儀作法を教え込まれた完璧なレディーの姿。
 クレアトールの美しさと毅然とした態度に、使者たちは思わずため息がこぼれた。微かにその音がクレアトールの耳に入る。
 顔を上げて見ると、マリアベールは先に来ていたのか、薄いピンクのふわりとした柔らかい素材のドレスを身にまとっている姿が目に入った。
 我が妹ながら可愛い、とクレアトールは素直に思った。
 マリアベールはクレアトールより薄い金髪に軽くウェーブがかかっている。それを更に巻き込んでウェーブを強調しながら、耳が出るよう両サイドの髪を上で軽くまとめてリボンで飾っていた。
 そしてクレアトールより青みがかった大きな瞳。こちらもクレアトールに負けない美しさを持っている。ただ単に、幼さが残るため二人を比較すると可愛いと言われる方が多いだけだった。

「さて、二人がそろったので使者殿、話を初めてもらってよろしいかな?」

 王は姉妹姫の印象がいいようで、満足しながら二人の使者に訪ねた。

「あ、はい。このたびは天界において次代ミカエル様から――」
「地界においては次代ルシファー様から、柱の国の姉妹姫に求婚したいと――」

 天界の使者はマリアベールと同じような金色の髪をしている。
 地界の使者は黒い髪。けれどどちらも気品と美しさを備えていた。

「そうですか。わたくしたちのどちらをお望みかお聞きしてよろしいでしょうか?」

 これが一番重要なことだ。
 地界を軽んじるつもりは毛頭ないが、やはり闇に近い所に嫁ぐのは抵抗がある。先にどちらが、と名指ししてくれればまだ諦めもつくだろう。
 だが、使者の返答は違っていた。

「私はお二人のうちどちらかを天界へ、どちらかを地界へ、と伺っております」
「それは私もです。私の方は、お二人のうち地界を選ばれた姫にはこれを――と授かって参りました」

 地界の使者が懐から大事そうに取り出したのは小さな小瓶。中身は深紅の液体だった。
 その色にクレアトールは眉をひそめ、マリアベールは口元に手を当てる。

「それを飲んで地界の住人になる――と言うことですね?」
「はい。そうでございます」

 クレアトールは以前聞いた話を思い出していた。
 地界は闇が近いので、この人間界より空気が纏わりつくような重さを感じる、と。
 多分それを感じさせないようにする薬なのだろう。

「夫となる方がどんな方か一切聞かされていないのに、それなのに今ここで選べということですね?」
「はい。全ては姫君たちが決めることだと」

 静かに頷く使者に、クレアトールの怒りは限界に達しようとしていた。

(この人達……ずいぶん馬鹿にしてくれるじゃないの! それに地界なんて物騒な所にマリアを行かせることなんて出来ないじゃない!)

 クレアトールは必死に震える手を宥めながら一歩を踏み出した。
 そのまま地界の使者のもとへ向う。

「クレアお姉さま?」

 おろおろしているマリアベールを他所に、クレアトールはクレアトールは地界の使者に対して優雅な笑みを浮かべた。

「地界へはわたくしが参りましょう」
「お姉さま!?」

 驚愕する周囲に、クレアトールは艶やかな笑みを浮かべた。
 侮られないよう、心の内を隠しながら。

「わたくしではご不満でしょうか?」
「……いえ、願ってもないことです」

 使者は少し驚いた後、自分の役目を思い出したのか、クレアトールに対して礼をし、小瓶を渡す。
 クレアトールはそれを受け取ると、その場であけて飲み干した。

 

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