019 悪魔のささやき

 結局、私はフィデールに諭されて離宮に戻った。
 場所は分かるかとの問いに、ただ頷くだけで精一杯で、フィデールの顔をちゃんと見れなかった。
 人に会わないようにこそこそと歩いて離宮へと戻る。来る時は興味津々な状態だったのに、今は見る影もない、って感じ。なんか惨めだ。
 政治的にフィデールが立っている位置が本当に危ういんだ、と改めて分かった気がした。
 離宮にたどり着くと、離宮専門の侍女が用意してくれていたビスケットを受け取り、お茶を入れて図書室へ向かう。あ、図書室ってのは本が沢山ある部屋のことで、別にフィデールが図書室と言っているわけじゃない。私が勝手にそう言っているだけ。
 そこは本を読むための机と椅子があるので、のんびりと時間を過ごすにはもってこいの場所だ。
 今は心を落ち着かせるために、香草入りのお茶とお菓子と好きな本にのめりこんだ。

「……」

 本に没頭しているとなにか聞こえた気がして顔を上げる。

「ミオ」

 フィデールだったら謝ろうと思ったのに、目の前にいたのはアスル・アズールだった。
 即効で俯いて見なかった振りをする。

「……おい、その露骨な態度はなんだ」
「うっさいな。あんたの顔なんか見たくない。向こう行け」

 あーもう、無性にイライラする。
 それにしてもアスル・アズール相手だと、とたんに言葉遣いが悪くなるのは何故だろう。

「まったく……気になったから様子を見に行ったが、案の定か……」

 なにそれ、あんたがあそこに居なかったら普通にフィデールの仕事を手伝ってたよ。
 予想外にあんな所にいて、しかもフィデールのお姉さんとのんびり話をしてるから、つい……あんなことになったんじゃないか。
 さっきまで深く反省してたのに、コイツの顔を見たら吹き飛んだぞ。

「うるさいってば! 大体あんたがあんな所に居るからだろ! これでも反省してるんだ。からかうために来たんだったら遠慮なく吹っ飛ばすぞ!」

 この世界には“魔法”ってのがあるからね。
 それでなくても今の私は乙女の力を使える状態。ここまで怒り心頭なら、アスル・アズールを吹っ飛ばすくらい軽くできそうだ。
 思い切り睨みつけると、アスル・アズールはやれやれといった顔をする。

「まったく……毛を逆立てた猫のようだな。それにしても自分でもあれはマズイと思ったのか?」
「マズイ、とは思ったよ。でも、それはフィデールのところに抗議が行くと思ったからであって、言った内容に関しては本音だよ。だから謝る気はない」

 フィデールのことがなければ手まで出てたかもしれないし。
 でも女の人を殴るわけには行かないので、怒りのもって行き場所は必然とアスル・アズールになるだろう。うん、コイツなら頑丈だから大丈夫。

「……まあ、そんなところだと思ったよ。でもまあ、それなりに自分の感情より先にするものがあるんだな」
「一応ね。私だって元の世界で仕事をしている時は、すごくムカつく客がいても『客なんだから我慢、我慢』って思ってたもん」

 ここに来てのんびりとしていたせいで、そういったしがらみは忘れていたんだけどさ。それにムカついて叫んで、でもそれは全部自分に返ってくると思ってた。
 でもフィデールの気を遣う言葉のおかげで思い出したよ。そういったこと。
 そして同時に、自分がしたことがフィデールにどんな風に向かうのかを考えて怖くなった。

「なるほど。まあ、自覚してくれたのなら話は早い」
「何がさ? ってか、なんでフツーに話してんだろ。早くどっか行けってば」
「お前なあ……、女なんだから言葉遣いをもう少し気をつけろよ」
「私が、いつ、女だって言った?」

 もうバレバレなのは分かってるんだけど、やっぱり足掻いてみる。
 というかね、アスル・アズールは私が女で乙女だと思っているから、肯定した時点で負けというか――コイツをそういう目で見れない以上、とぼけるしかないじゃないか。
 アスル・アズールは小さなため息をついてから。

「まあ、今は女とかは置いとくか。聖地に居るというのも気になるし」
「気になるというか……聖地で保護されている子が本物じゃないの? ちゃんと黒髪黒目なんでしょ。でなければ聖地からわざわざ乙女が出現した――なんて言わないでしょ」

 とはいえ、こっちにそういう話があるのなら、ラ・ノーチェにも話がいっているはず。
 その辺はどうなっているんだろう?

「そういえば、ラ・ノーチェには話がいってないの?」
「俺が国を出た時点ではなかったな。聖地はあくまで中立だ。だから向こうとこっち――同時に連絡が行ったと思うが……」
「なるほど。となると、向こうでも誰か使者が行くってことかな?」
「そうだな。俺がそのままなるか」
「……いいのかよ、それで」

 人前に顔を出したくないといって出てこない王様の癖に。
 まああくまで王族に縁のある者、で通せばいいんだけど。それでもアスル・アズールは黒髪黒目だから、かなり高位だと分かるだろうし。いいのかな?
 ……って、あれ。フィデールってなんで亜麻色なんだろう? ええと、黒の方が強いから黒の因子があると黒になる可能性のほうが高くて――うーん、なんでフィデールはあの色なんだろう。

「どうした?」
「あーいや、フィデールの髪の色のことを考えてた」
「は?」
「だってさ、城の中まで行って、フィデール以外は上座にいる人達って黒髪なんだよ。あれじゃあフィデールは浮くよね」
「まあそうだな。というより、どうしてそうなる?」

 話の流れを切るような感じになった私の疑問。そのためアスル・アズールは眉をひそめながら訊ねる。
 だから私は元の世界で習った遺伝子の話をした。

「ほう、そんなことがあるのか。確かにアイツの髪の色は黒の中じゃ目立つよな。世間では普通の色なんだが」
「まあ、遺伝子に関しては私の居た所での話で、こっちは微妙に違うのかもしれないけど。それにやっぱり例外がないわけじゃないし」
「そうだな。黒が高貴であり力の証なら、この国でアイツが一番力が強いというのも変なものだ」

 顔に手を当てて考えながら話をするアスル・アズールに、私はうんうんと頷く。

「……と、話を逸らそうとしても無駄だぞ?」
「べ、別に意図したわけじゃないんだけど」
「そうか?」
「うん。それにこれでも反省中してるんだよ。来たのがフィデールだったら謝ろうと思ったてた」
「……フィデールには素直なんだな」
「うん。」

 きっぱり即答。それに対して嫌そうな顔をするアスル・アズール。
 でもさ、本当に、ほんっとうにどっちを信じる? っていえばフィデールだし。下手に出られると強いことも言いにくいし。
 逆にアスル・アズールのような人だと素直に言うことを聞けないんだよね。どちらかと言うと意地でも違うことをしたくなると言うか。
 二人とも正反対の性格だから、私の対応も正反対になってしまう。

「即答されると悲しいものがあるな。婚約者なのに」
「誰が婚約者だよ?」

 下から睨みつけて威嚇。そうなんだよ、気を抜けばこうなる。だからコイツがいると嫌なんだ。フィデールと扱いが違ってもおかしくないじゃないか。
 ――と、この手の話をしてると本当に堂々巡りだということにやっと気づく。

「とにかく私が女だとか乙女だとか置いといてよ。話が進まない。話がしたくて来たんだろ?」
「ああ、そうだったな」
「なら、さっさと話してよ」
「分かった」

 アスル・アズールも気づいたのか、さっきと違う真面目な表情になる。本当に真面目な顔をしていればまともなんだけどなあ。
 アスル・アズールの表情の変化を見ていたら、アイツの動きの変化に気づくのに遅れる。気づくと目の前にアスル・アズールの顔があった。
 驚いて後ろに体が動こうとした瞬間、アイツは耳元で囁く。

「全てが丸く収まる方法がある」
「……!?」

 耳元で響く低い声。
 それに対して返す言葉がすぐに見つからなかった。

「ミオが乙女だと言うことをばらせばいい。乙女なら、今のフィデールの状況もいい方向へ持っていくことが出来る。乙女の発言は、絶対なのだから」

 甘い、と言えるような囁く声。でも、今の私だからそう聞こえるのかもしれない。
 失敗して居たたまれなくなっている今だから。

 乙女だと主張する――それは、この世界で自分の存在を主張できる唯一の道。

 それをアスル・アズールが甘い声で囁く。
 私はうっかりそれに頷かないよう、服を握り締めて堪えるしかなかった。

 

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