020 動揺

『早く乙女だと認めてしまえ。乙女なら、今のフィデールの状況もいい方向へ持っていくことが出来る。乙女の発言は、絶対なのだから』

 耳元で囁かれる言葉は甘く、普通の女ならコロっと落ちてしまいそうな感じ。
 でも、知っててやってるんだろうな、などとどこかで分析している自分がいる。
 私は、恋愛に関して関わりたくないという気持ちのほうが強い。駄目、なんだ。やっぱり。まだ引きずっている。
 思いを振り切るように、私は近づいているアスル・アズールに頭突きを食らわせた。

「おりゃあああぁっ!!」

「ぐはぁっ!」

 アスル・アズールは額を押さえて数歩後ずさる。

「何をする!?」
「うっさい! 何がいい話だ。結局変わってないじゃないかっ!」
「だから事実だからだろうが」
「何がだよっ!? ってか、あんたとまともに話をしようと思ったのが間違いだったよ!」

 どうやらここでゆっくり本を……とはいかないらしい。頭突きの時に立ち上がったままだった私は、椅子を元に戻して本を閉じた。
 そのまま本を持って元の場所に戻そうと一歩を踏み出すと、左腕を掴まれる。

「いい加減に……」

 放せ、と言おうとした瞬間、引っ張られてアスル・アズールのほうを向くことになる。

「お前こそいい加減に現実を見ろ! 確かにお前はこの世界の人間ではない。だが、乙女として選ばれたんだ。あれだけ自分のことのように怒っていたのに、何故お前は動かない!?」
「……っ」

 真正面から見つめられて、その視線に耐え切れずに顔を逸らす。
 何も言えなかった。だってアスル・アズールの言ったことは本当だから。フィデールに対する周りの対応はものすごく腹が立った。
 でも、どこかで私はこの世界の人間じゃないから、というのを理由に怒るだけで何もしなかった。中途半端な行動は逆に迷惑をかけただけに終わった。

「この国の様子を探ってみたが、身分にしがみついて腐りきっているような奴ばかりだ。フィデールが唯一慕うあのテルヌーラさえ、な」

 意外な言葉に俯いていた顔が自然に上がり、アスル・アズールを凝視する。
 今、なんて言った? なんで? あんなに楽しそうに話をしてたのに、そんなこと言えるわけ!?

「今、なに、言……?」
「お前なあ、本当に俺が“楽しく”お茶をしていたとでも思っているのか?」
「だって笑って……」

 笑って話をしていたじゃないか。アスル・アズールも、テルヌーラさんも。
 でもって怒った私に注意して――

「俺はお前と違って表裏があるからな。政治用とそうでないのと。第一王女に対してそんな感じで探りを入れていたんだが……まさかあそこに来るとは思わなかったよ」
「仕事で庶民院へ行って帰り道だったんだ……それにあんな所に居るとは思わなくてびっくりして……」
「確かに驚かせたかもな。でも、上手く使い分けなければあの中ではやっていけない。フィデールもそうだっただろう?」
「…………うん」

 フィデールがそうだったように、アスル・アズールだって使い分けていて当然なんだ。
 言われてやっと気づくなんて馬鹿だ。なんか自分がすごく直情型のように思えて、更に自己嫌悪に陥る。本をぎゅっと抱きしめてまた俯くと、頭に温かいものが乗る。

「まあ、お前の話を聞いていると、身分なんてのを気にしない所に居たから仕方ないさ」
「アスル・アズール」
「だが、お前が少しでもフィデールやこの国のことを考えるなら、自分の立場のことも考えるんだ。さっき言ったように、乙女なら今のこの状態を変えることが出来る」

 う、また乙女か。
 確かに話からすれば乙女の発言は絶対みたいだから、力を解いて黒髪黒目に戻って「私が乙女だ」って言えばこの国を思い切り変えることくらい簡単なんだろう。
 でも、本当にそれがいいのかな?
 本来なら、そこにないものがいきなり転がり込む。そしてそれが絶対の力を持っているとしたら? 六代目の乙女のように、この世界そのものを変えてしまうような可能性が高い。
 だから怖くて言えないでいる。アスル・アズールがどうの、というのもあるけど、半分は言い訳なのも事実。

「駄目……」
「ミオ?」
「駄目、だよ。それだけは」

 急にカタカタと、小さく震えだす。
 怖い。私は日本では歌うのが好きなだけのただの苦学生で、そのままいけば本当に平凡な生活だっただろう。
 それがこの世界では最重要人物になる。それのどこが怖くないって言える?
 この世界に対して無知な自分が、乙女だというだけで簡単に変えてしまえるというのを改めて突きつけられて、そのことに恐怖を覚える。
 昨日は“力”が使えて、姿を安定させることが出来てこれでバレることがないと単に喜んでいたけど、自分が乙女だと認めることがそんなに重要なことだなんて思わなかった。
 もしかして、聖地にいる子もそんな思いをしてるのかな。だって急に偉い人扱いされたら誰でも困惑するはず。だとしたら早く行ってあげないと可哀想だ。

「それよりも……早く聖地に行こうよ。乙女だって言われている子が気になる」
「あ、ああ」

 態度が急に変わった私に、アスル・アズールも頷くことしかしなかった。

「あと……フィデールにも言ったけど、この世界のことはこの世界の人が解決するべきことだと思う。フィデールが大変なのも分かってる。でも、今日みたいにフィデール自身が変わらなければ意味がない……って思う」

 フィデールに言ったことをアスル・アズールにも言う。
 でも本当にそう思うんだよ。分かってほしい。
 それに私は地位も名誉もいらない。だから自分から乙女だと言うことは出来ない。

「なるほど」
「フィデールを見てると、助けてあげたい、とは思うけどね」

 うん、確かにそれは思う。
 助けてあげたくても、珠生みおという個人では何もできないのが分かった。
 “玉の乙女”という特別な存在でなければ。
 その事実が少なからず私に動揺を与えていた。
 そんな気持ちを抱えたまま、私たちは次の日には聖地に向かうことになる。

 

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