017 考え方の相違

 山積みになっていた書類はお昼過ぎには片付いた。思ったよりもかなり早い。まあほぼそのまま流していったってのが早さの秘訣なんだろうけど。
 本来ならもう少し目を通さなければいけないのだろうが、現在の偏った状況を変えるためにもいいだろうということにしたからだ。

 要するに、王族、貴族院、庶民院から成り立つはずの政治が、大国になってから王族の力――これも六代目の乙女のせいらしい――が強くなって歪んでしまっているらしい。
 もともと小国のうちの一つだったので、国民の意見を大事にしていたらしいのに、今は形だけの国民を取り入れた政治――というのが現状。
 貴族院はそれでも王族に近いから多少は発言力があるらしい。もちろん庶民院に対して、だけど。庶民院は与えられた仕事をこなすだけになっている。日本でいう官僚のようなものかと思ったけど、ちょっと違うようだ。
 何もかも、六代目の乙女が介入してから変わってしまったという。

 そんな中、フィデールがいきなり何を言い出したかというと、もう少し煮詰めなければいけない案件を全て貴族院ではなく庶民院のほうに渡すといったのだ。
 庶民院のほうが店を経営したことがある人のほうが多い。だから現在の物価とか、人件費とか分かるだろうということと、仕事を庶民院に渡すことで、庶民院にも存在価値があることを示すためでもあと言っていた。
 なにより、やっぱり貴族院とかだと、賄賂だのなんだのと色々あるらしい。国費をそんなもののために使われては――と前々から思っていたらしく、いい切っ掛けがなかったとか。
 貴族院からイチャモンが来そうで今まで踏み出せなかったらしいが、そんなことを続けていたら国費がかさむ。それは国民への負担になり、大国とは名ばかりで、もう一つの大国ラ・ノーチェとの差は開く一方だとも言っていた。

 今まで見てみないフリをしていたのに、いきなり考えを変えたのはアスル・アズールの登場と私が本物の乙女と分かったせいか――理由は分からないけど、国民にはいいことだと思う。
 いつもより強気な――と誰かが言っていた――フィデールを見て、貴族院たちは口を噤み、庶民院はやる気を出したようだ。そして私は今、それらの書類を運んで戻るところだった。
 広い城の中は、場合によっては庭園を横切ったほうが早い。今も外に出て早足で歩いているところに。

「ふふふ、本当に貴方の話は面白いわね」

 鈴の音を転がす――というのはこういう声なんだろうな、と素直に思えるような、高くてよく通る女性の声。

「それは光栄ですね、テルヌーラ様」
「まあ、様付けなど必要ありませんのよ?」

 ピシ、と相手の声を聞いて固まる。
 そしてその後は考えるまもなくその二人の会話に割って入っていた。

「アンタ、こんなとこで何やってんのさー!?」

 鈴の音の声の相手はアスル・アズールだったせいだ。やっぱり疫病神だ。
 というか、なんでこんな所にいるんだよ?

「まあ、姫様がいらっしゃるのに失礼なっ!」
「ひめ、さま……?」

 アスル・アズールのほうに向いていた顔を、少しずらすとそこには黒い長い髪を頭の上の一部分を留めて花で飾っている女性がいた。もちろん美形。
 黒髪、となれば王族であり、そしてアスル・アズールは――先程の記憶をたどり、テルヌーラ様と言ったのを思い出す。
 となると、彼女がフィデールのお姉さんか。そういえば、あの時も上座のほうにいたっけ。この国は女性でも王位継承権を持つ。だからあそこに居るのを許されているとフィデールから聞いたことも思い出した。

「ええと、フィデールの……お姉さん?」
「なんと失礼な! テルヌーラ王女殿下はフィデール様より身分が上なのですよ!」

 私の質問に、テルヌーラさんは微笑んだ。
 代わりに後ろに控えている女性――たぶん侍女が少しヒステリックな感じで叫ぶ。
 ……って、確かにテルヌーラさんも王女で、しかもフィデールより王位継承権も上だけどさ、フィデールだって第三王子で第四位王位継承権を持つ人なんだよ? 少なくとも、侍女なんかよりフィデールのほうが身分が上なんだろうに、その言い草はないんじゃないの?
 自分のことを言われたわけじゃないけど、なんかムッとする。

「すみません、テルヌーラ様、侍女殿。ミオはこの世界の人間ではないので、少しそういったところに疎いところがあるようです」
「まあ、そうなのですか」
「だからと言って失礼ですわ、姫様に対して! ここに来てかなり経つというのに、フィデール様はいったい何をしているのでしょう!?」

 アスル・アズールの取り成しに、テルヌーラさんは意外そうに、侍女はそれでも腹が立つのか、文句を言っている。
 ……って、文句言いたいのはこっちなんだけど。
 せっかくアスル・アズールが取り成してくれてるけど、一言言わなければ気がすまない。

「アスル・アズールの言うように、私はこの世界の人間じゃないから。それに、私がいた国では王族なんてなかった。だから身分と言われても、それだけで敬う気にはなれないよ」

 皇室はあったけど、今それを言うとややこしいから今は言わない。
 それに、実質政治は選挙で選ばれた人たちがやってたし。

「まあ!? 言うことに事欠いて! 再度言いますが、ここはあなたのいた世界とは違うのですよ!」
「だから、あなたのように身分、身分で育ってきてないってば。あなたがそう思うのは勝手だけど、何もかも自分の尺度で測らないでくれない?」
「……なっ!?」

 言葉に詰まった侍女に自分の思ったことを容赦なく言う。

「もう一回言うけど、私にしてみると、彼女は着飾ったお嬢さんでしか見えないよ。身分とかなんとかなんて言われなきゃ分からないし、聞いたからっていって見方が変わるわけでもないよ。だって私にしてみれば敬う理由なんてないんだから」

 まあ、“お嬢さん”と言うのは、テルヌーラさんは少し年がいっているけど。
 私は侍女に向かって失礼なことは重々承知でキツイ言葉を返す。
 でも、敬う、という気持ちは自分の中で相手に対して何かしらの尊敬するところがなければ無理だ。仕事上で上司なら、敬語を使うし、それなりの態度になる。でも彼女に対しては、そういうものは何もない。
 ううん、何もないどころか――

「キツイこと言うなぁ」
「だって本当のことだもん」
「本当のことでも言っていいことと悪いことの区別くらいつくだろ?」

 アスル・アズールがやれやれ、といった表情で私を嗜める。
 うん、そりゃ分かっているよ。私が言っていることが相手を傷つけてる可能性があるってこと。その傷の大きさまでは分からないけど。
 でも、それでも言ってやりたかったから。

「それくらいの区別くらいはするけど、それでもテルヌーラさんに言いたいことがあったんだ」
「何を?」
「わたくしに?」

 テルヌーラさんがきょとんとした表情をこちらに向ける。本当に、何も分かってないみたいだ。
 はあ、とため息を一つついて、それからゆっくりとした口調で話し出す。

「あなたは、いったい、ここで、何をやっているんですか?」

 私は責めるような口調でテルヌーラさんを見つめた。
 でもテルヌーラさんは私の問いの意味が分からないようで、軽く首を傾げるだけだった。本当に自分の立場に対して疑問を持たないようだ。

「あのですね、あなたはそこにいる侍女が言うようにフィデールより立場が上なんでしょう? 王位継承権も持ってる。それって場合によってはこの国の女王になる可能性があるってことでしょう?」
「まあ、そうですわね」
「なら、なんであなたはこんな所でのんびりお茶をしてるんです? フィデールは聖地に行く前に仕事を終わらせなければと、休まず仕事をしているのに」

 王様も、他の王子たちも好き勝手していてほとんど仕事をしていない。目の前の彼女もそう。仕事をしているのはフィデールと庶民院の人たちばかり。
 でもこれって可笑しくない? 仕事をするのはいいよ。でも下に行けば行くほど忙しいってどういうこと?
 上の人たちは命令するだけ。上に立って人を動かす以上、責任とかあるんだろうに、後はのんびりお茶――なんて納得いかない。

「でも、それがフィデールの仕事だわ」
「……っ!」

 忙しそうなら手伝おうとか、そういった気持ちはないの?
 それに、もし王位が転がり込んできた時に、お茶を飲んで何もしないこの人に一体なにが出来るわけ!? 少しは周りを見ろよ!
 一国の頂点に立つっていう心構えとかないわけ?
 言いたいことは沢山あるのに、頭に血が上って言葉にならない。

「ミオ、何が言いたいのか分からないが、ラ・ルースの第一王女に対して失礼だ。いくらミオが身分だの関係ない世界に居たとしても、ミオの言い分は通らない。ここはミオのいた世界ではない。侍女殿の言うようにそういう所なんだ」

 なにそれ、なんで身分ってだけでそんな風に思えるわけ?
 ずっとそんな所で生きてるから、それが当たり前なの?
 だからそれを受け入れるの?
 分かってる。私の言っていることも、私が生活していた中で身に付いたものだってことが。
 だからこの世界で異質な考え方だということも。
 本来なら、ここでのやり方に従うべきだろうことも。
 ――でも。
 私の肩に伸ばしたアスル・アズールの手を思い切り払いのける。

「サイッテーだっ! なんでも身分、身分って……そんな風に“身分”を基準にしてしかものを見られないなんて、サイッテーだよっ!!」

 他の人よりも優しい、と嬉しそうに、照れくさそうに笑ったフィデール。
 でも、フィデールの言う“優しさ”と、彼女の“優しさ”は違っていて――なんかものすごく悔しかったんだ。

 

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