第11話 夜の訪問者

 日が暮れて自室へ戻り、明かりをつけた。体をきれいにした後も、まだ眠るのは早かったので、借りていた本を手にとって寝台へと移動する。
 後宮ここにも書庫があって、主に女性の教養のためのものが多いけど、それなりに色々な本がある。
 これはその中から数冊借りたうちの一つ。本をぱらぱらと捲っているとしおりを挟んだページに行き着く。しおりをとって横の机に置いて、明かりの下で続きを読み始めた。
 しばらく本に夢中になっていたらしい。急に窓が開く音がして、慌てて外を見る。
 まさかこんな所に侵入者が来るなんてなどと思っていると、その人物を見て驚いた。
 王……? じゃない、雰囲気が違う。

「せ、らん……?」
「よー。よく分かったな」

 軽い口調に、やはりセランなのだと分かってほっとする。
 と、同時に昨日のことに対する怒りが蘇った。

「……何しに来たの?」

 目を細めて睨むようにしてセランを見る。
 でも私の視線なんて痛くも痒くもないのか、その表情はいつもと変わらない。

「用がないのに来たら変か?」
「当たり前でしょう。 いったい後宮ここをなんだと思ってるの? ルイス様の所ならともかく、こんな所まで!」
「え、わざわざこんな所まで来る理由って、一つしかないじゃん」

 私はすぐにセランの言ったことが理解できなかった。
 考えに要した時間は多分ほんの少しの間。でもその時間はセランにとって貴重な時間になったらしく、寝台の上から動かずにいた私の肩に手をかける。
 あっと思った瞬間、強い力で押されて、私は仰向けになってセランと天井を見上げていた。

「何がしたいの?」

 私は分かっているのに問いかける。
 さっきはなんでこんな所に? と思ったけれど、男が女の部屋に忍び込んでくる目的は一つしかない。
 でもセランとはそんな関係じゃない。だから問いかける。何のつもりで来たのか、と。

「分かってるんだろ?」
「分かってはいるけど、理解はできないわ」
「そうか?」
「ええ、あなたとの関係はこんなものじゃなかったはずよ? それに私はもうあなたを必要と――」

『していない』と言おうとしたのに、強引に口を塞がれて最後まで言えなかった。
 ……まったく、この強引さはどうにかならないのかしら?
 こうして他の女性も無理やりものにしてきたのかしら……と思うと、沸々と怒りがこみ上げてくるわね。
 口の中に入り込んでいたセランの舌に噛み付くと、痛かったのか反射的に放れる。

「……本当にじゃじゃ馬だな」
「うるさいわね! 誰だってこんなことされれば抵抗するのは当たり前でしょう!?」
「なんでだよ?」
「なんで、ですって? 男なら誰だっていいってわけないでしょう? 私は後宮こんなところにいるけど、娼婦じゃないのよ」

 こいつは私のことを一体なんだと思っているの?
 舌先に残ったセランの血の味が不快感を与える。そのせいか更に苛々した気持ちが増した。

「そんなこと思ってないけど? 言ったじゃないか。本気になった、って」

 さらりと言うセランに、軽い目眩を感じてしまう。
 誰かを好きになるのはいいことだと思うのよ。でも、それが他の人のものだとしたら問題あると思うんだけど。
 私は一応後宮にいる。
 後宮にいるということは、私は王のものということで。いくら手を出されていなくて、しかも相手が王弟だからとはいえ、許されることではない。
 それに……

「あなたの気持ちは分かったけど、こういうことって、互いの気持ちが通じ合ってなければ意味がないと思うのだけれど?」

 立場云々もそうだけど、相手の気持ちを考えずに一方的にしたらこれまた問題だわ。少なくとも私にはその気はないもの。
 ……前のは百歩譲って仕方ないと思うけれど。あれは自分が招いた結果だと思うから。
 でも今回は違う。今回は私は何もしていないし、セランの気持ちにこたえる気もない。
 もともとセランは私の目的にとって予定外の存在であり、今では逆に気持ちを不安定にさせる危険分子でしかない。
 もうこれ以上、関わらないほうがいい。

「分かったらどいて頂戴」
「嫌だ」
「セラン!」
「確かに気持ちが通じ合っているとは言いがたい。でも、それほど嫌われていないって自信はあるけど?」
「……それはっ……あなたは、私に色々教えてくれた人に似ているからよ」
「へえ?」

 たったそれだけで、あの頃みたいに気軽に話をしてしまう。
 でもセランと親しくなればなるほど、逆に同じ顔をしている王を殺すということに躊躇いが生じる。覚悟してきたのに、それを鈍らせてしまう。
 だから、セランのことなど何も思っていないふりをする。これ以上、私に関わらないように。私の心に入ってこないように。

「あなたは……私にとって大事な人に似ているの。でも、それだけよ。あなたに対して何にも思ってないわ」

 わざと曲解するように、大事な人と仄めかす。
 それを聞いたセランの表情が一瞬強張り、私の肩を抑えている手に力が入って痛みを感じた。
 でも、それだけでセランが私のことを本当に思ってくれているのも分かってしまった。セランの気持ちを殺ぐために言ったのに、傷ついているセランを見て逆に後悔させられる。

「なんでそんな顔するのよ?」
「そんな……顔?」
「そうよ。傷ついたような顔して」

 自制心が邪魔をするのか、セランは文句を言うのではなく、強張った顔をしている。
 いつも自分勝手で一方的なくせに。

「どうして私の気持ちを聞いただけで、そんな顔をするのよ?」

 泣きたいのはこっちなのに。
 お願いだから、これ以上私の心の中に入ってこないで。
 気軽に話されると思い出してしまうのよ、幸せだったあの頃のことを。家族がいて婚約者がいて、何も不自由を感じなかった時を。
 それにこんな風にされると、忘れようとしていた気持ちが蘇ってしまう。誰かを思う気持ちや、復讐を誓ったときに捨てた女としての未来を。
 約三年――トール・ティレーの元でその手のことを教わって、ことある毎に考えを変える気はないのかと尋ねられた。けれど、それで気持ちが変えられることはなかった。
 違う、逆に言われるたびに意固地になっていった。

「好きな女に、別に好きな男がいる――それを聞いて、動揺しないわけがないだろう?」

 それなのに、セランの言葉は妙に説得力があって、耳を塞ごうとしてもなぜか入ってきてしまう。

「それ以上言わないで。もう放っておいて。これ以上、……私の心を乱さないで!」

 叫ぶように言うと、無理やり身を捩って体ごとセランから顔を背け顔を覆う。
 悔しいけれど、私が出来るのは護身程度の技だけ。けど、それが出来るのにセランから逃れられない。
 自分の非力さを感じながら、それでも今までの思いを守ろうと必死で顔を手で隠し、体を丸くしてひたすらセランとの間に見えない壁を作り上げる。
 それなのにセランは動じることなく、後ろから手を回して包み込むように抱きしめた。
 背中に感じるセランの体温がとても熱く感じる。

「シェル」
「やめて……もう、呼ばないで……優しくしないで……」
「シェル……シェル……」

 セランは私の耳元で私の名前を何度も囁く。
 その声は信じられないほど優しい。

 お願いだから優しくしないで。でないと決心が鈍りそう……
 そう思うのに、それはとても心地よくて、自分から振り払うことが出来なかった。

 

目次