第10話 トールー師

 次の日、王は体調が優れないとのことで、しばらくの間、後宮は静かになるとミセス・ムーアから話があった。

「もしかして彼女の風邪が移ってしまったんではなくて?」
「そうかもしれないわね。だって、ここにいて唯一相手にされない気の毒な方ですもの」
「毎晩呼ばれない恨みを込めて呪っていたりして」
「まあ怖い」

 ミセス・ムーアの話の後、これ見よがしに語る令嬢たち。
 体調が悪いと断ったのに、どうして風邪を移すことが出来るってのよ。まあ、昨日会ったには会ったけど……それは言うことはできない。
 いい加減なれてきた彼女たちのねちねちとした嫌味を、ひたすら耳に入っていないフリをする。
 そうしていると、一人だけ動く人がいた。

「それはどういう意味かしら?」
「チェティーネ様」

 彼女たちに声をかけたのはチェティーネ様だった。
 その顔は笑みを浮かべているけれど、決して心からの笑みでないことはよく分かる。

「だって……」
「シェル様はあの夜、陛下にお会いしていないのよ。相手をしたのは、この私」
「チェティーネ様、あの……」
「なら、この私が陛下の体調を悪くした――とでも仰るのかしら?」
「そっそんなこと!」
「なら口を慎みなさい。軽々しく失礼なことを言うものではないわ」

 チェティーネ様がはっきり言うと、文句を言っていた令嬢たちは肩を落としながら「すみませんでした」と返す。
 そのあとチェティーネ様は方向を変え、私の方へと歩き出す。そして。

「シェル様、大丈夫かしら? あまり気にするものではないわ」

 さっき文句を言っていた令嬢たちは、チェティーネ様のことを快く思っていない人達だったわね。なら、私がチェティーネ様を薦めたことで、私はチェティーネ様側についていると思われているのかもしれない。
 だからチェティーネ様も擁護してくれたのかしら?

「お心遣いありがとうございます」

 ここでは大人しい貴族の令嬢を演じているため、素直に礼を返した。いい加減聞きなれた中傷だから、あまり気にしていないもの。
 けれど、毎晩恨みを込めて呪っていれば成功するっていうなら、安全なそちらを選ぶわよ。
 憤慨しながら、昔同じようなことを言ったわね、と過去を振り返る。

 

 ***

 

 この世界は女神――アデュラリアが作ったという。
 けれど、皆、女神アデュラリアを祀るが、その力を見たことはない。この世界には女神に関する逸話は神話としてしかないから。
 だからこの世界には不可思議な力は存在しない。
 先程の呪いという言葉も語源は不明だし、実際、誰かを呪って成功したという話もない。
 呪うくらいで本当に相手が殺せるというのなら、私が殺したい相手は何度も殺されていそうね。それだけ、あちこちから恨まれていそう。
 でも余りにそういう気持ちが強いと、死後は闇に囚われるとも言われている。
 生前の行いや気持ちが魂を穢れさせるとかで、次に生まれ変わることも出来ず、永遠に闇の虜囚となるとか。
 それでもいいと、私は復讐の道を歩くことを決めたのだけれど――

『いたっ、もうちょっと優しくできないの?』
『テメェで怪我してて何言ってんだ。師匠直々に治療してやってるんだからありがたがえってんだ』
『無理よ。私が怪我をすることを承知でやらせているでしょうが!』
『当たり前だ。こういう荒っぽいのには怪我がつきモノなんだよ』
『だからって私の腕じゃまだ無理なことをやらせたじゃない。これでも自分の腕くらい分かっているのよ、トール。それなのに親切してやってるって言われたって、素直に頷けるわけないでしょう?』

 言い返すとトール――賞金稼ぎ兼何でも屋のトール・ティレーが、治療している腕から視線をはずして私を見返した。

『口の減らない女だな。俺は師匠だっての。分かるか? お前は俺にモノを教わってるんだよ。ちったあ、敬え』
『敬うような人物じゃなかったんだからしょうがないでしょうが! 私だって巷で有名なトール・ティレーがこんな人物だとは思わなかったわよ!』

 この世界でトール・ティレーというと、殺しは引き受けないけど、依頼成功率は百パーセント保障付きという何でも屋。
 そんな過酷な世界で生きているのだから、ものすごく殺伐とした雰囲気を纏っていると思っていたのに、紹介された時の挨拶から想像していた人物像が全て崩れ去ったわ。
 逆に期待できるところも出来たけれど。

『それにして、もまだやめる気ねえのか?』
『何がよ』
『お前さんの腕、あんまり上がってないぞ。まあ、貴族のお嬢さんだったんだからしょうがないけどな。でも二年経ってこれくらいじゃあ、望みを叶えるのに何年かかるんだか……』
『わ、悪かったわね! これでも護身くらいは出来るって言ったじゃない!』
『だから護身程度ならいいけど、お前の狙っているのはそれだけじゃ済まないんだろうが』
『う……』

 返す言葉がなくて詰まる。黙っているとトールはまた傷の手当てに戻る。
 分かってはいるのよ。今まで剣など持ったことも、ましてや外で思い切り体を動かすことさえなかった身ですもの。
 でも彼に教わること早二年。そろそろもう少し手ごたえが欲しいって思ってしまう。
 このままでは彼の言うとおり、何年かかるか分からない。だから余計にいらいらしてしまうのよ。

『いい加減自分の手で……なんて思うのをやめればいーじゃねーのか』
『は?』
『金は残ってるんだろ? ならその金で俺に教わるより暗殺者でも雇ったほうがはえーぞ』
『……』
『お前だって苦労することもないし、直接手を汚すこともない』

 トールの言うことはもっともだと思う。
 付け焼刃の腕で敵うような相手ではない。それに自分の手が汚れることもない。
 それでも。

『駄目。最初に決めたことなのよ。自分でやるって』
『自分で、ねぇ……』
『私は……お父様の無実を信じてる。それに、そのために亡くなったお母様やお兄様たちのことを思うと……』
『親の無実は信じているのに、自分は罪を犯すってのは矛盾してないか?』

 畳み掛けるように質問してくるトール。
 これは彼に教えてもらうようになってから何度もやり取りしていることだった。
 彼は私の気を変えたいらしい。確かに殺しはしないという彼に、人を殺すための技術を教えてもらおうって言うのだから、最初は何度も断れたし、今だって何回もこうして問いかけてくる。

『矛盾しているのは分かっているわ。でも、誰かがしてくれるのを待つほど、私は気が長いほうじゃないみたい』
『不器用だな』
『そうね、私も自分がこんなに頑固だなんて思わなかったわ』

 狭い世界で安穏としていた生活では、信じられないほどに。
 憎しみで目が曇っているのも自覚している。でも、二年半が経った今でも、その決意は変わらない。

『私の考えは変わらないわ。たとえ闇に落ちても自分の思いを果たす。失敗したらそれまでだけど、自分でやろうとしたんですもの、その結果に納得できるわ』
『本っ当に頑固だな。人を殺すってのがどういうことか分かってるのか?』
『本当の意味では分かってないと思っているわ』

 傷の手当てが終わったのか、トールは私の手を離して木でできた箱に薬を戻す。
 そう彼なら……人を殺した過去を持ちながら、それでもこの性格でいられる彼に教わるのなら、我を忘れることも少ないかもしれない。

『あなたはよく言うわよね。一度でも血に染まると戻れないって』
『ああ』
『ならあなたは? あなたの過去を多少なりとも知っているわ。でもあなたは正気でいる』
『一応、な』
『だから……そんなあなただから、教わりたいと思ったのよ』

 包帯で巻かれた腕に手をやると、その痛みを感じる。傷つけられると痛い。その痛みを忘れないように心に刻み付ける。
 忘れてはいけない。この痛みを。
 そして、いつかこの痛みを倍にして返すのだと、諭されるたびに決意を新たにしてしまう。

『人を殺した罪に苛まれるとしても、裁かれて処刑されるとしても、目的を果たした後、正気を失うんじゃ駄目なのよ。私が私として、あの王を殺したことを理解できなければ意味がないの』

 そう言った後、彼はそれ以上何も言わなかった。
 別れ際には頑張って生きろ、とだけ言われた。
 ここにきた今も、あの時と気持ちは変わっていない。

 

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