今日も模索中 3

 鳥遊里が信じられないといった顔で一歩後ずさると、棚に当たってガタッと音を立てる。
 先程まで面白がっていたものが、完全に消え去っていた。

「別に先生にどうこうして欲しいって訳じゃないんで安心してください」
「あ、うん。なら、なんで話したの?」
「先に聞いたのはそちらです」
「そうだったね」

 にべもない返答に、鳥遊里は苦笑しながら答える。内心動揺しているだろうに、少しずつそれを隠す余裕が戻ってきているようだ。

「別にどこぞの王様だったとか、ファンタジー世界の勇者だったことじゃないのは確かです。先生のご期待に沿えないようで申し訳ありませんが。ただ、私は男で、多分、中世から近代の時代に騎士として生きていた――というのだけは覚えています」
「本当にやけっぱちって感じの答えなんだけど」
「そうとしか答えられないんだから、仕方ないじゃないですか」

 別に名のある騎士でもなかった。歴史に名を刻むような偉人でもなかった。
 でも、確かに騎士として生きた記憶がある。
 ただこの世界の――というと、少し微妙だ。ヨーロッパの歴史に関する文献を見ても、どこかずれている気がする。
 そのため、自分の前世はいつの時代だったのか、未だに分かっていない。

「で、翻弄されているって所には答えてもらってないんだけど?」

 と問われて、脱線していたことに気づく。

「ああ、そうでした。だから、私は異性としての記憶があるんです。でも野々村百花は女です。そうなると、まぁ色々思っちゃうことがあるんですよ」

 小さい頃は漠然と感じていた前世の記憶。
 けれど、体が変化し始めた頃、その記憶が疎ましくなってきた。

「分かりやすく言いますけど、先生は昔、自分が女性で男の人に抱かれたいう記憶があったらどうします? もしくは男性にヤられちゃった、って想像してもいいですけど」

 なるべく冷静に尋ねる。
 百花の場合は逆の記憶がある。男性としての経験が。
 それなのに、今は女性の体で、思春期に入ってから変わりだした体に戸惑いを感じずにいられないのだ。それは数年たった今でもあまり変わらない。
 そんなことをつらつら考えていると、鳥遊里が赤い顔をしながら。

「それは……ものすごく想像したくない、こと……かな」
「でしょう?」
「なんか想像してみたら、おかまにでもなった気分だ」
「おかまに失礼ですよ」

 百花はすぐさまツッコミを入れる。
 それから、それは極端な話だが、自分の体を見るたびに昔と今を比べて困惑してしまう、と付け足した。

「……そんなわけで、なるべく意識しないようにと思うんですが、やはりふとした拍子に思い出しちゃうんです」
「なるほど。だから野々村さんは可愛いけど、男の子と付き合ったことがなかったわけだ」
「どうしてそんなこと知ってるんですか!?」

 いきなりそっちにふられて、百花は思わず声を荒げる。

「いや、この学校の告白によく使われる場所で話しかけれれているの、よく見てたから。でも全部男のほうが肩を落として帰っていくんだよね。上手くいったなら二人して仲良く帰るんじゃない?」
 鋭い指摘に黙るしかない。

「あそこ、実は職員室横の輪転機とか置いてある部屋の小窓からよく見えるんだ」
「そーですか」

 なんか、よく見てるよなあ、としか言いようがない。

「あのね、キミはもう少し、自分が人目を引く存在だと理解したほうがいいと思うよ。清水さんの言うことも当たっているね」
「そんなことまで知ってるんですか」
「二人のやり取りは、ある意味有名だから」

 確かに秋穂は黙っていれば美少女だ。かなり勝気で、たまに口が悪くなるところや、大声で話すところがマイナス面だが――それらも人目を引くといえば引くのだろう。
 百花自身も、秋穂に並んで劣らない存在なのだが、こちらはあまり意識していない。

「清水さんの言うとおり、年頃なんだから、そんな格好していたら飢えた野郎の餌食になるよ」

 と、鳥遊里は百花の胸の辺りを指差した。
 百花は昔の記憶から、今の自分の体に馴染めないし、また女性らしいレースいっぱいの下着を身につけるのもなんとなく遠慮したい気持ちだった。だから、ブラウスの下には目立たない色のタンクトップくらいしか身につけてない。すぐにノーブラだと分かるだろう。

「分かっては……いるんですけどね。でも抵抗感がありまして」
「あー……。なら、スポーツブラとかは? あれならレースとかついてないし、体にフィットするだけで、あまり気にならないんじゃないかな?」
「ああ、なるほど。……って、先生、詳しいですね」

 鳥遊里に指摘されて頷くも、すぐさま返ってくる答えに少し頬が引きつる。

「うちに女らしくない姉がいるからね」
「そうですか。」
「で、他には?」

 他には、と聞かれて、どちらかというと今のほうが話から脱線しているんじゃないのか? と気づく。
 まあ、後でその辺も語ったのだろうから、順序が変わっただけなのかもしれないが。

「そうですね、まあ、自分の体に対してはそんな感じで……あとは、記憶を掘り起こさないために女の子らしくしようとするのに、ひょこっとでてくる記憶が邪魔なんです」
「へえ」

 今は野々村百花なのだと思い、『ひたすら女の子らしく』を心がけたこともあるが、そういった時に、ふとした拍子に思い出す記憶が厄介だった。

「なるべく思い出さないようにするのに、そういうときに限ってふとした拍子に思い出しちゃうんですよね。で、違和感を覚えてしまうんです。ですから、女性らしさを排除したら、こんな感じになりました」
「こんな?」
「先ほど先生が言われた口調です。ですます調なら、男性でも使いますから。ある意味、性別を感じさせない話しやすい喋り方です」

 もちろんこんなことは付け焼刃でしかないのだろうが。
 最終的には、記憶あってもなくても野々村百花自身がいればいいのだ。

「なるほど。社会人になっても言葉遣いで苦労しなさそうだしね」
「そうですね」
「話は変わるけど、前世療法ってのはどうかな?」
「あれは前世に原因があるのを探って、今困っているのを治すためのものですよね? 私はもう嫌というほど昔の記憶があるので、これ以上必要ありません」
「そういえばそうだ。うーん……」

 と、真剣に考えている鳥遊里に、意外に感じる百花だった。

「催眠術は?」
「催眠術で前世の記憶を丸ごと消せますかね? まあ、消せなくても、その記憶に翻弄されなければいい――と思っているんですが」
「そうだねぇ」

 違和感を感じる前世の記憶。けれど、今の自分を振り回さなければ、消してしまいたいとも思わない。そうするのは、百花の一部を否定している気がして。
 でもそれに振り回されているのも確かで。

「なら、こういうのはどうかな?」
「なんですか?」

 三つ目の提案はなんなのか、百花は見上げると、鳥遊里は自分自身を指差して。

「俺と、秘密の恋っての、してみない?」

 思考能力停止すること数秒、最後に間の抜けた声で「はい?」とだけなんとか答える。

「ほら、今思考が止まった」
「ええ、まあ、そうですね。あまりに突拍子もなかったので」

 そりゃ、あんなことを急に言われれば、思考が停止するのは当たり前だろう、と見返すと。

「先生と生徒の秘密の恋。ほら、スリリングじゃない? きっと前世のことなんて、考えるヒマ、ないと思うよ?」

 確かにそうだろう、と思っていると、急に腕をとられて前へつんのめる。
 その先には鳥遊里がいて、百花の体を抱きとめて――気づくと唇に生暖かい感触。
 それがキスだと気づくと、百花は真っ赤になって鳥遊里を突き飛ばした。

「なななななにするのぉぉぉっ!?」

「ほら、今は野々村百花だけだ」

 百花は唇を手の甲で拭いながら、それでも、今の出来事は百花本人が受け止めていることに気づく。
 そこには、前世が男だから、男にキスされるのは嫌だとかそういったのは全くない。ただ、百花本人が驚いていた。

「……あ」
「こうして野々村さんの考えだけに振り回されれば、前世の記憶がどうのっていっているヒマないと思うんだけど?」

 にっこりと楽しそうな笑みを浮かべて、「ね?」と念押しされる。
 確かにそうかもしれない。
 が、うーんと百花はうなる。ただ単にクラスの副担任だった教師が、いきなり秘密の恋人――と思っても実感がわかない。
 なによりなんでこんな展開になったのか、コーヒーカップを片手に持ちながら器用に頭を抱える。

「ふふ、面白いね」
「面白がらないでください」
「でも、こうして悩んでいると、自分のことだって思わない?」
「それは思いますが……」
「うん、そうやってぐるぐる悩んで、野々村百花になろうね」
「はあ……」
「改めてよろしく、百花さん」

 鳥遊里から差し出された手をとろうか迷っていると、向こうから百花の手を勝手に取る。
 その瞬間から、どうやら鳥遊里の秘密の恋人になったらしい。
 今日も今日とて、いや、この瞬間も野々村百花は自分の人生を模索するのだった。

 または運命に遊ばれているとも言われる――というのは言ってはいけないことだろう。

 

あとがき

前世の記憶が現世で使命がどうの~とかなく、ただ単に前世の記憶を持っている、というのを書いてみたかったです。
はやりこれも続きがないわけじゃないんですが、このままいくとレーティングに迷いそうなところなので私も迷い中。

2010.4.12 ひろね


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