今日も模索中 2

 ちょうど部屋に入ったばかりだったので、背中に扉、目の前に鳥遊里。
 そして先程の言葉。

(もしかしなくても――この状態は普通なら危ないというのでしょうかね?)

 思わず客観的に考える。
 そしてその後、「別に思っていません」とだけ、短く答えた。

「どうして?」
「そうですね、先生がそういうことを望んでいるように見えないからです」

 生徒に手を出すのはリスクが高い。それに鳥遊里は人気はあるが、生徒に手を出したなどという噂話は聞かない。あくまで鳥遊里はイイ男として人気があるだけだ。
 ほとんど話したことがない百花に対してそうなる可能性は低い。
 なにより、鳥遊里の顔は面白いといった顔で、これから女に手を出そうという下心が見当たらなかった。
 そういったことを総合して、百花はそう答えたのだが――

「ははっ、やっぱり野々村さんは面白いね」
「どこが、とお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 少しむっとしながら返すと、鳥遊里はやっぱり面白うそうに。

「いや、狼狽えるとか、びっくりするとか、いきなりだけど嬉しいとか、そういったのを期待したんだけど、野々村さんはどれも違ったから」
「悪趣味ですね。というより、どうしてほとんど話をしたことがない先生に対して、嬉しいなんて思わなければならないんです?」

 心外だ、とばかりに百花は呆れた口調で返す。
 だが、それさえも鳥遊里は面白そうだ。いったいどこが面白いのか。この男にすれば、世の中すべて何でも面白く見えるのか。少しうらやましく思いながら、百花はため息を一つついた。

「まあ半分は期待なんだけどね。野々村さんはいつも冷静で、その丁寧語が抜けないから」
「そうですか。まあ、この口調で安定してしまったので、変えるのは難しいと思います」
「なんで丁寧語なの? 野々村さん、どこぞのお嬢様ってわけでもないよね」

 容赦なく突っ込んでくる鳥遊里にまた呆れながら、話を続けるなら、もてなしくらいしたらどうだと返した。
 鳥遊里は「ああ、そうだった」と答えて、パソコン用の椅子を勧め、インスタントコーヒーを淹れ始める。
 まったく、何がしたいのやら――と百花は鳥遊里がコーヒーを淹れるのを見ていた。

「はい」
「……ありがとうございます」

 差し出されたコーヒーカップを受け取り、口をつける。

「あまっ」
「あはは、やっと驚いた」

 口にしたコーヒーはものすごく甘く、驚いて声に出すと、鳥遊里はいたずらが成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべた。

(この人……たしか、二十五歳のはず。こんなことして何が楽しいわけ?)

 心の中でぼやきながら、今度は覚悟してコーヒーを口に含んだ。

「それにしても、よくこんな甘いの飲めますね」
「うん? 甘いのスキだから」
「そうですか、先生はなんでも好きなんですね。嫌いなものがないのは結構なことですが、人に出す場合は嗜好を聞いてからにしたほうがいいと思います」

 あまりに甘すぎるので、立ち上がってポットの湯を足すことにした。
 そのためには鳥遊里に近づかなければならないが、それでもこの甘い甘いコーヒーをそのまま飲みつくす気にはなれなかった。
 百花は「ちょっとお湯もらいます」と一言告げて、ポットに手を伸ばすと、鳥遊里にその手を掴まれた。
 まだ何か言いたいらしい、とうんざりした顔になる。

「なんですか?」
「野々村さんって変わってるから、話をしてないけど興味はあったんだよ。だからさっきも話をする口実に助けたんだけどね」
「それはなんとなく分かります。秋穂さんに対する口調は先生としてのものでしたが、今の私に対する口調は少々馴れ馴れしいと思いますので」

 それくらいすぐに気づいていた。
 図書室で声をかけれた時から、と百花は付け足す。

「ふーん、察しいいんだね」
「まあ、それなりに。ところで先生、この手を放してください。私はこの甘すぎるコーヒーをこのまま飲み干す勇気はありません」

 別にコーヒー一杯を飲み干すのに勇気など必要ないが、それほど甘すぎるのだ、このコーヒーは。最後のほうは吐き気がしてきそうなくらいに。あとで胃薬の世話になるくらいに。
 懇願するような顔をすれば、鳥遊里は素直に手を離した。
 引き際がよく分からない男だ、と百花は鳥遊里を見る。

「ん?」
「いえ、先生の趣味趣向を分析中です」
「あはは、本当にこういう時まで堅苦しい言い方するんだ」
「もはや身に付いてしまったものですから。そうそう取れはしません」

 答えた後、コーヒーカップに湯を継ぎ足す。いっぱいになってから、先程使ったスプーンを借りてくるくるとかき混ぜる。

「……そんなに、この口調は変なのでしょうか」

 思わずでてしまった言葉に、百花自身がびっくりした。
 慌てて何も言わなかったかのように、コーヒーの味を確かめる。

(……今度はコーヒーが薄い)

 こうなれば自棄というか、置いてあるインスタントコーヒーに勝手に手を伸ばして少しばかりカップの中に落とした。そしてもう一度スプーンでくるくるとかき混ぜる。味見をすると、先程よりマシになっていた。

「野々村さんって結構順応性ある?」
「どうしてそういう結論になるんですか?」
「だって、もう自分で好きに動いてない?」

 もし順応性があるなら、こんなに堅苦しい口調になどならなかった、と百花は心の中で毒づく。

「ああ、それはこのコーヒーのせいです。それ以外は、全然、全く、これっぽっちもないと思ってます。なので、毎日いろいろ模索中なんです」

 少しばかり怒りの感情を含ませた、刺々しい言葉を鳥遊里に向けて言い切る。
 鳥遊里は一回瞬きする程度の時間、今何が起こったの、といった顔をした。それから気を取り直すためにコーヒーカップを口につける。
 鳥遊里が驚いたのは、彼の知る野々村百花は怒ったことがないからだろう。常に丁寧語で、どこか他人と一線引いているような、そんな状態しか見てないはずだ。
 いや、見せてないといったほうが正しいのか。

「それにしても……模索中って?」

 コーヒーのおかげで元に戻ったのか、鳥遊里はすぐさま尋ねてきた。
 それに対して百花ははぁ、とため息をつく。どうやらある程度話さなければ、コーヒーを飲み干しても、五時を過ぎてもこの部屋から出れそうにないようだった。

「そうですね……しいて言えば、『野々村ののむら百花 ももか』自身を、です」

 意外なところで意外な人物に自分の蟠りを話すことになろうとは――と百花は少し呆れながら、それでも口を開いた。
 やけっぱち、とも言えるが。微妙に掘り起こされた感情を抱えたままでいるほうが嫌だった。

「……って、先生、どうしたんですか?」
「いや、なんか急に哲学を勉強している気持ちになった」

 コーヒーカップを持ったまま、鳥遊里を見上げると、鳥遊里は心なしか困惑しているようだった。
 よもや軽い気持ちで声をかけたのに、こんなことになろうとは――そういった雰囲気がにじみ出ている。

「そうですか。まぁ、これも人生経験の一つだと思って適当に聞いてください」
「適当……で。いいの?」
「ええ、いいです。このままでは私もすっきりしないので。とはいえ、鳥遊里先生に何かを求めているわけではありません。ただ、聞いてもらえればいいです」
「そう?」
「ええ、期待しても仕方ありませんから」

 少し緊張した空気を和らげるために、百花は別に聞いてくれればいいと念を押した。
 理解してほしい、とまでは思ってないから。

「はっきり言ってしまうと、今の私は前世の記憶に翻弄されているんです」
「……ぜ、前世?」
「はい、生まれ変わる前の記憶です」

 しかも男性の、と後から付け足した。

 

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