第7話 窮地?

 こういう時はどう対処すればいいのか、師匠は教えてくれなかった。
 そもそも、師匠は男の人だから、こういう状況になることはないんだろうけど。
 どちらかというと、拘束される前に逃げろと叩き込まれてたんだっけ。ああ、拘束された時の対処法もちゃんと教えて欲しかったな。

 ……って、現実逃避している暇はない。
 なるべく動きやすいものを選んだとはいえ、今着ている服は裾の長いドレス。加えてユージアルはわざと裾を踏んでいるため、蹴りでも入れて――と思っても足が動かない。
 それに上半身のほうは息がかかるほど近くて、あの綺麗な顔がものすごく近くにあって落ち着かない。

「ユージアル、……あの、話を……」

 何を話すというのか――それも分からないけど、とりあえず、この危ない状況から逃れるために話しかけた。
 けど、それに対する返事は得られず、返ってきたのは優しい口付けだった。
 無理強いをするようなものではなくて、唇に触れるだけの軽いキスを何度も繰り返してくる。でも慣れないこちらとしては、それだけでも根を上げたくなる。
 ユージアルはこちらの限界に気づいたのか、しばらく繰り返していたキスをやめた。
 うう、ユージアルの馬鹿馬鹿馬鹿っ。なんでこんなことするのよー! おかげで息が上がって苦しい。

「剣を持っている時とは大違いだな」
「……っ」

 余裕ありげなユージアルに、こちらはいっぱいいっぱいといった感じが悔しくて、思い切り睨みつける。
 が、まったく動じない。経験の差を見せ付けられたようで、なんか悔しいなんて思っていると、ユージアルは少しだけ体を起こした。
 もしかして見逃してもらえるかも、と期待したのも束の間、ユージアルは近くの燭台に明かりを灯しただけに終わった。

「私はフォリーほど夜目が利かないからな。これでフォリーの顔が良く見えるようになった」
「……なっ!? んな見なくていいの!」
「それに傷跡があると聞いて心配だった」

 あ、なんだ。そんなことを心配してたのか。
 でももう傷自体が痛むわけでもないし――などと思っていると。

「だから、確認させてもらう」
「ええっ!?」

 ユージアルを退かすために少し開いていた隙間に腕を入れようと動かした途端、手首を掴まれて頭の上で固定される。足はそのままだし、腕までって……かなりヤバイ。
 それに見るだけって言うのに、なんで首の所に顔が……って、首に柔らかいものが……これは見るだけじゃないじゃないかーっ!
 目一杯もがいても頭の上で固定された腕は外れない。その間も器用に服のボタンを外してるしっ!

「だっ、駄目!」
「……こんな所にも痕が……本当に、綺麗に消せればいいのに……」
「うひぃっ!?」

 ユージアルの舌が遠慮なく私の傷跡をなぞる。その感覚に思わず悲鳴を上げる。

「慣れてないのは分かっているが、それでも、もう少し色気のある声を出して欲しいな」
「無理! いきなりこんなことになって、そういう気持ちなんてこれっぽっちもないから!」
「忍んで来てくれたのはフォリーのほうではないか。フォリーが来てくれたことを、私は嫌がってなどいないが?」

 いやいやいや、私がここに来たのは鍵のためであって――なんて、危うく本音を漏らしそうになって、開きかけた口を引き結ぶ。
 が、その間もユージアルの手は止まらない。

「ちょ、待っ……」

 すでに目的なんかさっぱり忘れて、とにかくこの場を逃れることだけを考える。でも、それさえもユージアルの手や唇のせいで思考が散ってしまう。
 ボタンはほとんど外されたのか、胸元が晒されている。どう見てもそこには傷跡なんかないでしょ、って所にまで触れて口付けていく。
 くすぐったいのかそれともこれが気持ちいいのかわからないけど、触れられるたびに小さく痺れる感じがする。それが落ち着かなくて声を上げてしまう。
 しかも、ユージアルの頭がだんだん下がっていって、胸の頂に唇が触れる。

「やぁっ! ………ユー……ジぁ……」
「なんだ、ちゃんと感じているじゃないか。いい声になってきた」
「そ……」

 こっちはどうしていいか分からずされるがままなのに、余裕綽々のユージアルにムカッとくる。もちろんそれさえも、すぐにかき消されてしまうけど。
 いつの間にかに手の拘束は解かれていたけど、ユージアルの服を握るくらいで抵抗らしい抵抗なんてしていなかった。
 でもスカートの裾に手をかけられた時点で一気に夢から覚めた――というより、水を浴びせられたかのように頭が冷えた。

「だ、駄目っ!!」

 足には短剣を忍ばせてある。それを見られたら不味い。
 慌てて全力でユージアルを押しのけようとすると、すんなりとユージアルは離れた。
 あれ、もっと手強いと思ったのに――と思っていると、感情のない顔で見下ろしているユージアルが見えた。
 怖い、と素直に思った。
 最初の時のどうでもいいといった表情でなく、感情は出してないのに、冷たいというか、それなのに怒っているような、表現しがたい表情で私を見ている。

「ユー……ジアル……?」

 怖さからか、上ずった声しかでない。
 仕事をしているときの死に対する恐怖じゃない。もっと違う、形容しがたい恐怖が体じゃなくて心を支配する。

「叔父上は……何故、お前のような者を選んだのだろうな」
「え……?」

 叔父上って……やっぱり知ってたんだ! どどどどどこから!? どこから気づいたの!?
 ユージアルの怖さに加えて、知っていたという事実が更に追い討ちをかける。
 どうしようどうしようとそれだけを考えていると、ユージアルが表情のないままで短剣を一本、私の目の前に出した。
 え? な、なに考えてるわけ? 叔父上って言うなら、私が何を言われてきたのか知ってるだろうに。それなのになんでそんなことするの?

「ユー……ジアル?」
「殺したければ殺せばいい。それがお前の役目なのだろう? だが、私を殺しても弟のヒュウェットがいる。叔父上の思い通りにならないと、最後に私が言っていたと伝えてくれ」

 それだけ言うと、ユージアルは私の上から退いて目を瞑った。
 ユージアルは知っていて覚悟を決めていた?
 でも私のほうが混乱していて動かなかったせいか、ユージアルのほうから動いた?
 無理やり握らされた短剣を見つめながら、そんなことを考える。
 そして――

 怒りが爆発した。

「ふざけんなっ! 誰があんたを殺しに来たんだって! ええっ!?」

 短剣をべしんとユージアルの顔に叩き込み――もちろん鞘つきで――顔を真っ赤にして怒鳴りつける。

「ふ、フォリー?」
「人を侮辱するのもいい加減にしろ! あと一回でも『殺せ』なんて世迷言言ったら、即座にぶちのめすからね!」
「……フォリーは刺客ではなかったのか?」
「なった覚えなんてないわよ!」

 人の気も知らないで勝手に殺せなんて気軽に言うな!
 もう溢れてくる怒りを止める術がなかった。ユージアルの胸倉を掴んで睨みつけながら叫ぶ。

「私が、いつ、あんたを殺そうとした! あんたには私がそんな風に見えてたわけ!? 言いなさいよ! 私は、お金欲しさにあんたに剣を向けるような、そんな人間だと思っていたの!?」

 ユージアルにそういう風に見られていたんだと思うと、なぜかツキンとした痛みを感じて泣きたくなった。
 ユージアルに対して隠していることはあったけど、ユージアルに対してそんな風に思ったことは一度もないのに――そう思うと悔しくて悔しくて、目頭が熱くなってくる。

「だが……」
「だいたい私が刺客かどうかはともかく、一国の王になるべく育てられたくせに、その責務を簡単に放棄するな! そんなのが王になったら、困るのは国民なんだからね!!」

 十五年前のあの時のように――とユージアルの胸倉を掴んで思い切り怒鳴りつける。
 たった二日間のことだけど、ユージアルは国を治めるのに相応しい実力を持っていると思っていた。弟のヒュウもそのユージアルを支えようと頑張ってる。
 それなのに、ユージアルはそれを放棄するわけ!?
 なにより、このままいけば十五年前と同じ悲劇を繰り返しかねない。
 ユージアルには、なんとしてでも頑張ってもらわなければならないのに。

「クリードが調べた調書では、フォリーがここに来たのは、私を殺すためだとあったが?」
「確かにルチルを攫われて、あんたを殺せって脅されたわよ。だけど! だけど、あんたを殺す気なんかこれっぽっちもないわよ!」
「では、なんでここに……」

 呆然とするユージアルに、私はふーーー、とため息をついた後。

「お城に来たのは、ちょうど千人目になって問答無用で連れて来られただけ」
「だが、城に入る予定だったのだろう?」
「場合によってはね」

 ユージアルの問いを否定はしない。だって、第一王子を殺せなんていう依頼は、お家騒動か他国が攻めてくるかの二択くらいだ。
 でも他国なら、王子じゃなくて国王になるはず。となると、やっぱりお家騒動のほうが強いわけで。

「ここに来たのは、素性明かさないくせに一方的に仕事を押し付けられたから、依頼主を探すのが目的だったの。まあ、ここに来てそれが誰だか、やっと分かったんだけどね」

 だいたい目的である第一王子の嫁候補になんて目立つものになるわけがないでしょうが。
 もっと地味な方法で城に入って、地道に探すつもりだったんだから。

「じゃあ、なんでここに……?」
「だって、執務室には鍵がかかってるんだもの。ここにくれば執務室の鍵があると思ったんだけど?」
「鍵……?」

 そうなのだ。大事なルチルを攫っていった黒幕が分からないから、言うことを聞くフリをしてここに来ただけ。
 でも昼間、向こうのほうからのこのこ出向いてきてくれて、ついでにテルルさんから情報もらって、ルチルの居場所がやっと分かった。だから助けに行くために西の塔へ入る鍵と、そして内部を詳しく記した地図が欲しかっただけ。
 そう説明すると、ユージアルの顔は無表情なものから一転して、目を見開いて口を開けてしまった。

「あのー、ユージアル??」

 目の前で手をひらひらさせていると、しばらくしてからいきなり笑いだす。
 もう何がなんだかさっぱり分からない。

「ユージアル?」
「いや、すまない。早とちりをした」
「ムカつく。だいたい私は師匠との約束を破る気なんかさらさらないってば!」
「済まなかった。思ったより、疑心暗鬼に陥っていたようだ。フォリーからそんな気配は感じられなかったが、それでも――と思うと」

 ユージアルの申し訳なさそうな声に、今回のことで大変だったのは私だけじゃないと分かる。
 それでなくてもユージアルは命を狙われている身で、妃候補になった人物が自分の身を狙う者の手先だとしたら、私の行動をつぶさに観察するのは至極当然だ。

「ごめん。私も自分の事情で手一杯で、深く考えていなかったから……」
「いや、信じていなかったのはこちらも同じだからな。――では、お詫びに感動の対面と行こうか?」
「は?」
「フォリーが私に手を出すのが先か、クリードが成功するのが先か分からなかったが――」

 ユージアルは笑いを堪えながらそう言うと、用がある時に鳴らす鈴を手に取り、チリンと音を立てた。

 

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