第2話 シンデレラの作り方

 泡いっぱいの浴槽に突っ込まれると、体勢を整えるまもなく押し込まれて、そのまま柔らかい布でごしごしと擦られる。さすがにこれだけ力を入れて熱心にされると、柔らかい布でも痛くなってくる。
 溜まった十日間の垢を――いや、それ以上取るかのように擦られて、私は「もういいです!」と悲鳴を上げるしかなかった。
 確かに汚いのは分かっているし、お風呂にも入りたかった。でも他人に洗われるのは嫌だ。

「駄目です。次に王子の前に出るには、きちんとした身なりにしなければいけませんからね。それにこれはあなたのためでもあるのですから」
「私の……ため?」

 どうして私のためになるのか? 半分涙目で、話しながらもごしごしと力いっぱい擦っている女官を見る。

「ええ、いくら王子様の出した案とはいえ、あなたが取るに足らない存在だと思われれば、今度は側室を持てという話題になるでしょう」
「でも普通なら、側室がいるのは当たり前では?」

 確かこの国では正妃に子がなかなか出来ない場合に限りだけど、愛妾を持つことが許されている。
 確実に跡取りを残すためにという政策で。

「ええ、それが普通です。けれど、側室でも寵愛を頂ければそれなりに優遇されます。寵愛とまでいかなくても、側室になることによって、多少影響力を持つようになりますし。王子様はそういったことを危惧しておられます。当面は妃一人で十分、というお考えですね」

 あー、それは私も考えた。ほんっと、身分ある人って何かと厄介だよね。でも、王妃一人かぁ。なんか大事すぎていまいち実感が沸かない。
 それよりも、淡々とした口調で説明するこの人の名前を聞いてなかったことのほうが、今は気になる。

「なるほど。あ、すみません。名前聞いてもいいですか?」
「ああ、申し訳ありませんでした。私、テルル・リサージと申します」
「テルルさん……でいいですか?」

 一応年上なので、礼儀としてさん付けで呼ぶ。
 王子の花嫁候補なら呼び捨てでも構わないんだろうけど、そんなことを自分からしたら、それこそ自分の立場を認めたようでぜったいに嫌だ。

「はい」
「私は――」
「聞いております。フォルマリール様、ですよね」
「は、はい……」

 名前は合っているけど……の『様』はなに!?
 それに気づくとテルルさんはかなり年下の私に敬語を使っている。なんかその言葉遣いが、これからの自分の立場を物語っているようで――うう、逃げたいっ。
 でもがしっと掴まれていて無理だし、運良く逃れても裸のまま逃げるのはちょっと嫌だ。お城は広くて迷いそうだし。

「次は髪を洗いますので、目を瞑っていてください」
「あ、はいっ」

 なんかね、逆らうほうが無駄。大人しくしていた方が早く済みそう。言われた通り目を瞑って下を向く。その間にテルルさんが私の頭をくまなく擦って汚れを落としていく。
 さすがに王宮で使っているものだけあって、香りもいいし、髪は多少引っ張られてもきしきしするような痛さもない。
 念入りに頭のてっぺんから爪先まで洗われた後、やっと解放された。
 でもすぐに浴槽から出るよう促されて、次は石鹸の泡を落とすために頭から何回もお湯をかけられる。
 その後は柔らかい布で丁寧に拭かれて、後はだいたい想像通り。
 窮屈な下着をつけられて――特に腰の辺りは念入りに――その後もやっぱり窮屈そうなドレスを着せられた。なんか……息するの、苦しいんだけど。
 でもそれだけじゃ終わらなかった。椅子に座らされると今度は小箱を持ってきて、開けると中には小さな小瓶やら何やら――あー、これは化粧箱なのね、と思っているうちに白粉で顔をはたかれる。くすぐったい。慣れてない私には悪戯されているよう。
 顔の近くに細かい粉が飛んでいるので、仕方なく終わるまで目を瞑って我慢した。
 最後は頭。けど、こればかりは――

「まったく、いくら庶民といえど女性なのですよ。このような髪――あの姿といい、もう少し女性として磨くことをしなくてどうするんです?」

 この国――といより、私が知る限り女性は腰くらいの長さの髪をしている人が多い。短くても背中が隠れるくらいはある。
 けど、私の髪の毛は良くて肩までくらいの長さしかない。

「それは、ええと……仕事で……ああ、じゃなくて、そのっお金が必要だったから売ったんです!」

 つい本当のことを言おうとして、はっと気づいて適当な理由を言う。

「……仕方ありません。なら付け毛をして誤魔化しましょう」

 実際、貧しいと髪の毛とか売る人がいることはいる。もちろんかつら用なので長くて綺麗という条件があるけど。
 私の場合、黒髪だしほぼ癖のない直毛で、売ったと言っても納得できる髪だった。
 おかげでテルルさんから、それ以上の追求はなかった。ちょっと哀れみの表情を向けれたのが、なんとも言えない気持ちになったけど。
 かなりの時間を費やして、完成した自分の顔は、誰よこれ? な状態だった。クリードさんの言ったことは本当だ。女性は服装や化粧で変わる――と。確かにその通りだ。

「思った以上にいい出来で満足ですわ」
「思った以上って……」
「というか、フォルマリール様は素材は決して悪くありません! ですからきちんと身なりを整えればこれくらい簡単なんです!」

 簡単って……ものすごく時間かけてあれこれやられた気がするんだけど。
 そんな私にツッコミというか表情に気づかないのか、テルルさんは人差し指を立てて得意げに語る。

「どちらにしろ、これで身なりに関しての問題はありません。後は礼儀作法ですね」
「出来ればこれ以上堅苦しいことはご免被りたいんだけど」
「最初から全部とは言いません。ですが、挨拶くらいは覚えてもらいます」

 はいはい、どちらにしろ決定事項なようで。
 一応貴族――とまではいかないけど、仕事上どうしても多少の礼儀作法は必要だから、まあ何とかなるだろう。
 ……というか、思いたい。

 

 ***

 

 結局、夕食時に再度顔見せということで、それまでの間、礼儀作法の特訓だった。ある程度のことは教えられていたため、結果はテルルさんの満足するものだった。
 王子に会う前にテルルさんと一緒にクリードさんの所に行き、私の格好とその特訓の成果(?)の話をテルルさんが説明すると、またクリードさんのあの笑みが浮かぶ。

「本当にいい拾いものでしたな」
「ええ、本当に。これなら問題ないと思いますわ。あってもほんの少しですし、これから直していけばいいことですから」

 待て待て待て。だから拾いものだとか、問題ないとか、勝手に話を進めないでよ。
 確かに私は十八歳で、年齢からすれば結婚という話題が出てもおかしくないような年にはなったけど、でもまだそんなつもり全くないんだって。
 それに私はここでやらなければならないことがあるってのに、そんなことに関わっている暇なんてない。とにかく早く――私には時間がほしいという状態なのに。
  ……って、ちょっとは人の話を聞けよーっ!
 こぶしを握り締めてそう叫びたいのをこらえていると、クリードさんがこちらを見る。

「ではそろそろ行きましょうか」
「嫌です」
「…………はい?」
「嫌ったら嫌ったら嫌なんです!」

 人を置いてけぼりにした会話に我慢できずに叫ぶ。
 早くしないといけない用があるのにそれも出来ず、窮屈な服を着せられて、挙句の果てに仏頂面で感情のなさそうな――顔は文句なしに良かったけど――男と結婚だなんていくら好条件でもご免だ。
 あの格好ならいくらなんでも前言撤回して千人目と結婚うんたらを取り下げると思ったのに、王子は全然動じないし。それにクリードさんもテルルさんも、いつの間にかにその気になってる。
 逃げるとしたら、夕食時の顔見せの前の今しかない。

「もうこんな茶番に付き合ってられませんっ!」

 一言叫んでから、くるりと背を向ける。そしてこの場から離れようとしたけど、クリードさんに腕を掴まれる。
 ……って、クリードさん、年の割りにけっこう動作が速くない?

「逃げられないと言ったでしょう?」
「……っ!」
「あなたにはもう、千人目になってしまったことを後悔する道しかありません。どうせなら、いっそのこと、これを機に女としての栄華を極めてみてはいかがですか?」

 言われた内容に、かっと頭に血が上る。

「どちらの道もお断りです!」

 腕を捻りながら掴んでいたクリードさんの腕を掴み返し、そのまま引っ張りながら体を捻って体を曲げる。
 その動きを利用しながらクリードさんを投げ飛ばした。

「……なっ!?」

 上手く出来たから転がるクリードさんを想像していた。
 それなのに、頭を上げて見えたクリードさんは、驚きながらも受身の態勢を取って膝をついて起き上がるところだった。これではクリードさんに痛手を負わせるまでいってないだろう。

「これは、なかなか……本当にいい拾いものでしたな。頭の良さだけでなく、護身術も身に付けられているとは……」
「……驚いたのは、こっちよ。まさかちゃんと受身を取られるとは思わなかった」
「言ったでしょう。王子の教育係だった、と。それは勉学だけでなく、剣術や護身術などもありますから」

 そう言って、またあの笑みを浮かべる。
 迂闊だった。ここで本性を出したのは。
 できればいざという時に使って逃げたかったのに、もうこの手は使えない。
 それなら……

「そうですか。なら、王子の相手役というのを務める代わりに、見返りを頂きたいんですが?」

 顔から表情がなくなるのが自分でも分かる。駆け引きするのに表情を出さないほうがいい。表情から、自分の心境を相手に知られないために。
 それどころか、すうっと目を細め、クリードさんを睨みつけるような視線を向ける。

「見返り?」
「ええ、本来、私はある目的のためにここに来ました。でもここにいてそれが出来ない以上、あなたが代わりにその目的を果たしてほしいのですが?」
「なるほど。それを引き受ければ、王子の相手役をしっかり務める――と?」

 クリードさんの問いに軽く頷く。テルルさんとクリードさんの評価から、やってやれないことはない。
 ええい、覚悟を決めよう! うだうだと悩んで時間を潰すよりも、今はそれに専念し、自分のするべきことはクリードさんに託したほうが早いと判断する。

「ええ、約束しましょう。王子が気に入るかどうかはともかく、それ相応の振る舞いをします」
「分かりました」

 あっさり承諾するクリードさん。ちょっと意外だ、と思っているとまたあの笑みを浮かべる。

「そのほうがあなたも逃げ出すこともなく、しっかりやりそうなので引き受けましょう」
「ああ、なるほど。……確かにその通りですね」

 なるほど。その可能性をなくすために、か。
 どちらでもいい、本来の目的が果たせるなら。

「なら、ある人物を探してください。名前はルチルといいます」

 本当なら、自分の手でケリをつけなければいけないことだけど……プライドより人命のほうが大事だった。

 

目次