第10話 一時帰還(2)

「全く……あの方を留まらせ、私たちの名を平気で口にし、そしてさらにもう一人のあの方まで味方にしてしまった。今まで誰もあの方を動かすことは出来なかったのに……それでも、そう言うのですね」

 これは褒められているのだろう、というのは分かる。
 けれど、やはり複雑な気持ちだ。褒められているのだろうが褒められた気がしない。
 ファーディナンドの言い分は確かに分かる。知らなかったとはいえ、彼らの名前を口にしていた。でも納得できるのはその点だけだ。

「うーん、やっぱりそんなすごいことしてないと思う……」
「意外と頑固ですね。ああ、また意外なところを見つけましたね」
「ファーディナンドさん……」
「貴女は小さくて、こちらがひと睨みすれば大人しくなるような存在のように見えるんですよ」
「……そう言われても、わたしももう十八近くなるし、自分の意見くらいあるもん……」

 見た目ではどうしても年下に見られるのは嫌というほど理解している。
 ここに来て何度も感じ、何度も口にしたことを思い出し、ため息を一つつく。

「しかし、その見た目で十八では詐欺と言われても仕方ないと思いますが?」
「詐欺って……別に好きでこんな格好じゃないし。……って、それよりも名前の説明をしているんじゃなかったの?」

 ファーディナンドの話し方が好意的なため、気づくと敬語が抜けてベルディータと話をしているような言葉遣いになっていた。
 でもそれには気づかず、とにかく別の話題――というより、話を元に戻そうとする。

「そうでしたね。私たちは名前を呼ばれると、どこにいても呼んだ相手が分かってしまうということになります」
「それはもう分かった。嫌って言うほど」

 結局、優花が一人でブチブチ言っていた文句は、すべてファーディナンドに筒抜けだったことが。

「ではもう一つ。私が名前を口にするのを封じたのは、人が私たちに『願い』を口にするからです」
「願い?」
「ええ」

 神様だから、お願いされるのは多いだろう。
 でもどうしてそれが名前を口にするのを禁じたのかが結びつかず、優花はカップを置いて考え込む。どうも自分で考えた結果を出さないと気がすまないようだ。
 それが分かっているのか、ファーディナンドもそれ以上の説明はせずに、黙ったまま優花を見ている。
 しばらくしてから。

「ええと……もしかして、お願いでも名前を呼ばれて言われると、その願いを叶えないといけなくなる……から?」

 名前を呼ばれて無視できないとなると、相手の話を聞かなくてはならないだろうと判断したのだが――

「少し違いますね」
「違うの?」
「ええ。名前を呼ばれて『命令』されたのなら無視できます。人には私たちを従えるような力はありませんから」
「それはそうだけど……」
「でも『願い』になると違うんです。なまじ神の一族として人の願いを叶えてきたせいか、私たちは『願い』に弱いんです」
「あーなんとなくわかった。命令なら無視できるけど、お願いだから叶えてあげなくちゃって思っちゃうんだ」
「ええ、そうです」

 やっと分かった、と優花は納得した表情になる。
 難問をやっと解決――とはいえ教えてもらったのだが――できた満足感に、カップを手にとってお茶を飲む。
 それにしても、長年の習慣とは恐ろしいものである。

「でも納得したというか……最初ファーディナンドさんの名前を口にするとき抵抗感あったし」
「でしょうね」
「でもそれって名前に対してじゃなくて、ファーディナンドさん自体だと思っていたんだよね。なんて言うか……存在自体に威圧感があるのかと。でも、ベルさんと一緒にいて思ったんだけど、ベルさんはちゃんと名乗っているのに、誰もベルさんの名前を口にしなかったことなんだよね」

 ベルディータは名前を偽ったことは一度もなかった。
 でも、一緒にいて周りの人の話を聞いていると、たいていベルディータのことを『貴方』とか『精霊術士殿』と呼んでいた。いない時は『あの人』とか――
 だからヴァレンティーネの話を聞いた時に納得できた気がした。

「でしょうね。名乗っても『その名を口にするな』というような雰囲気が漂っていたと思いますよ」
「あ、分かる分かる。みんななんかベルさんのことを敬遠してるみたいな感じで……なんでかなあ、って思ってたんだけど」

 他の人にはそういった雰囲気で接しているため、どうしても近寄りがたい人になる。
 けれどベルディータは優花に対して好意的だから感じなかった。
 ただ名前を呼ばない周囲に違和感を感じてはいたが。

「じゃあ、わたしがベルさんの名前を間違えてばかりいるのは、ベルさんがそういう雰囲気を出していたせいなのかな」

 最初に出会った時、普通に名前を教えてくれたが、どうしても言いづらくて結局『ベルさん』と呼ぶことにした。
 もしかしたら、その時もそんな雰囲気があったのかもしれない、と今になって気づく。

「いえ、別にそういう気はなかったと思いますよ。多少試そうと思っていたところはあったでしょうが」
「そうかな?」
「ええ、すでに貴女は私たちの名を平気で口にしていましたから。だから自分の名前はどうなんだろう、という好奇心からだったと思いますよ」
「ちゃんと言えなかったけどね」

 そう答えるが、言いたくても言えないというより、やはり舌が回らないといったほうが正しい気もしたが。
 この世界の言葉は日本語ではない。発音なども英語などに近いのかもしれない。
 ヴァレンティーネの力のおかげで言葉には困らないが、名前に関してはやはり外国人の名前として感じてしまうせいなのだろう。

「だいたいファーディナンドさんとか名前長すぎ。名前はもっと簡潔に。呼びやすいほうがぜったいいいよ」
「だからそう簡単に呼ばれては困るんですよ」
「それは分かっているけどねー」

 納得いかない――とばかりにお茶を一気に飲み干す。

「なら、私のこともファーディでいいですよ。そのほうがお互いいいでしょう」
「う、それは……」
「それは?」
「なんかファーディナンドさんをそんな可愛らしい名前で呼ぶほうが違和感が……」

 言ってから、ファーディナンドが顔をしかめたのを見てしまったと思う。

「あの方を『ベルさん』などと呼んでいる貴女に言われたくないですね」
「う、そう言われると……」
「まあ、名前の件は保留にしましょう。そういえばテティスが寂しがっていました。夜まで時間がありますから、少し話でもしてきてはどうですか」
「そ、そうだね。行ってくる」

 この気まずい雰囲気から逃げられるなら――とばかりに、優花は立ち上がってファーディナンドの部屋を逃げるように出ていった。

 

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