第10話 一時帰還(3)

 ファーディナンドの部屋から出る時、ふ、と優花は何かを感じた。

(ん?)

 優花は振り返って室内を見る。もしかして何か忘れたのかもしれない、と思って。でもそれが何なのか分からなかった。

「どうかしましたか?」
「あ……いえ、別に……」

 ファーディナンドは何も感じていないようで、先ほどと変わらない表情でユウカを見ている。

(気のせい……かな?)

 何かあればファーディナンドも感じるだろう。けれど彼は何も言わない。
 きっと気のせいだと考え直し、頭を軽く下げると部屋から出た。
 心にぽっかりと空いた何かを感じながら。

 

 ***

 

「結構鋭いですね」

 優花が出ていった後、ファーディナンドはカップを持ったまま呟いた。

「本当に……かなり鋭くなっているよねぇ」

 誰もいないはずの部屋からもう一人の声がする。
 けれど部屋の主のファーディナンドは全く動じず――

「ええ、それもベルディータ様のおかげでしょうか。ヴァレンティーネ様?」

 カップを机の上に置くと、入り口のほうへと視線を移す。
 そこにはいないはずの人物――ヴァレンティーネの姿があった。
 とはいえ、その存在感は希薄な気がするが。

「兄さんの……というより、やっぱりユウカのおかげでもあるんだけどね」
「それは貴方にとって、でしょう? 先ほどのはユウカ様に対しての話ですよ」
「ああ、そうだったね。まぁ、要らないって言っても多少の影響はあるだろうからね」

 ヴァレンティーネはそこまで言うと肩を竦めた。
 同じようにファーディナンドもため息を一つつく。

「本当に……言ったことを実行しているんですね、ユウカ様は」

 苦笑しながらも、ファーディナンドは突然現れたヴァレンティーネに動じることなく、普通に返す。
 ファーディナンドが優花に言った“良いこと”とは、ヴァレンティーネという存在の存続だった。
 これは優花がヴァレンティーネをその身に留まらせ、そしてその名を無意識に口にしていたため、完全に消えることがなかったせいだ。
 僅かだが残っていた意識に、同族であるベルディータの力を受け取り、その存在を少しずつ確かなものにしていった。
 そうなったのは、優花の行動から偶然に起こったことだったが。

「兄さんも過保護だからね。ユウカが傷つかないようにって何かと触れるたびに力を送ってくるんだよね。でもユウカは要らないって、無意識にそれを放り投げちゃうんだよ」
「おや、まあ……本当に無欲ですね。しかし勿体ない」
「うん、勿体ない、勿体ないんだよ。そう思うと、消えていくのが忍びなくて……結局、僕が拾う羽目になっっちゃうんだよね。……で、集めてたら、なんとかこうして存在できるようになっちゃったんだよねぇ……」

 ヴァレンティーネの兄であるベルディータの力は底なしといっていい。ただし、使うばかりでかなり少なくなっているが。
 それでも彼ら一族の頂点に立つはずだったくらいなので、ヴァレンティーネやファーディナンドに比べればまだ余裕がある。
 そしてその力を優花に与えて、本人がいなくても身を守れるようにと望んだ。
 けれど優花は無意識に拒否したため、行き場のなくなったその力は、ヴァレンティーネが預かることになった。
 その結果、本来なら跡形もなく消えるはずのものが、こうして存在できるくらいにまでなっていた。

「しかし……不思議なものですね。人とは違い、私たちは死んでしまったら亡骸も残すことなく消えるというのに」
「全くだよね。ユウカは未だに気づいていないみたいだし、兄さんは熱心に力を送ってくれるし……結局、のんびりさせてもらえないってことかな?」
「そうですね、ベルディータ様が確認されていることがはっきりすれば、こちらの動き方も変わるでしょうし、その場合、出来れば貴方にいて欲しいものです」

 ファーディナンドは素直に自分の気持ちを口にした。
 実際、優花が来てからというもの、今までと違い、かなりの速さで世界が動き出している。
 このままいけば、魔物も、そして北の森の問題も数年で解決できるだろうという程に。

「それにしても最初の頃は、なんでこんな小娘を……と思ったものですよ」
「あはは、理由は何にも言ってなかったからね。それだけ切羽詰っていたんだけど……それにしても兄さんってかなり鈍いんだね」
「鈍い?」
「うん、もう聞いてて爆笑ものだったよ。今思い出しても笑えるよ」
「詳しく、お聞きしてよろしいですか?」

 ファーディナンドはヴァレンティーネの変わりように驚いているものの、それでもこんな風に明るく話せる時がくるとは思わなかった。
 そのため仕事を忘れてヴァレンティーネとの会話を楽しむ。
 そして――

「そっ、それは本当ですか!?」
「うん、さすがにあれだけ騒がれれば寝たくても寝れないからね。覗き見みたいで良くないとは思ったんだけど……」

 悪いと言いながらもその顔は笑っている。
 ヴァレンティーネが楽しそうに話している内容は、優花がベルディータに告白した時のことだ。
 当事者たちがいたら全力でその口を塞ごうとしただろうが、不幸なことに二人はここに居ない。止める者がいないため、ヴァレンティーネはここぞとばかりに面白そうに語ってくれる。
 そうして久方ぶりに楽しい時間を満喫し、ファーディナンドは満足していた。

 

 ***

 

 そして、話題の人物のうちの一人――ベルディータは北の森へと来ていた。
 問題の術式がどれだけ減ったのか、そして、思い浮かんだ一つの過程の確認のためだった。
 置いておいた人形ヒトガタが動いているため、思ったより汚れていない。
 が、よく見るとあちこち壁が傷ついているのと、人形の数が減っている。不在の間に人が来たのだろう。『魔王』を倒しに。

 ふう、と一つため息をつくと、ベルディータは目的の部屋へと向かった。
 そこは広いが、人には力で秘密の部屋のようになっている。誰かに見られてはいないはずだ。
 入り口に辿り着くと右腕を壁に向ける。ほのかに手のひらが光ると、それに反応して壁が左右に別れ開いていく。

「どうやら誰も入った形跡はないようだな」

 部屋の中は荒れているものの、それは元からもの。それ以外に新しい傷は見られない。周囲を見回して少し安心する。
 その後問題のものに視線を移した。
 人よりも少し小さいだろうそれは、オレンジ色のゆらゆらと揺らめく球体に、周囲にある幾つもの細かい輪が周囲を囲んでいる。
 輪は魔物が生まれるという術式だ。
 ベルディータが前に見た時より、周囲の輪の数は格段に減っていた。

「このままいけば、思ったより早く片付きそうだが――」

 そう呟きながら近づいて右手をそれに伸ばす。
 するとそれは術式の隙間から稲妻のようなものを飛ばして、ベルディータの手を傷つけた。
 つー、と流れる赤い血を見ながら、やはりと想像通りだったと確信する。

「そうやって、いつまで『力』に固執するつもりなのか……」

 少し忌々しげに呟く。
 これの力の塊はほとんどベルディータたち一族のもの。そのため術式や魔物から同族の気配を感じるのは当然だと思っていた。
 けれど、リグリアの村で見た黒い霧のようなものに、半分は同族の、半分は別の気配を感じた。
 そして別の気配のほうは北の森に戻るのではなく、優花に向かっていた気がしたのだ。
 だから可笑しいと思った。優花には憑りつかれるような要因はないのに、と。
 考えた結果、別の気配は力に固執し暴走した人たちのものではないかという答えに行き着いた。
 力に固執ししがみ付いているものの、実質周囲の術式が邪魔をしているのとそれを使うための肉体がないのではないのか、と。

 今まで同族の力によって出来たものだったため、それに対して違和感を覚えたことがなかった。
 けれど、今は違う。
 周囲の術式はともかく、中の力に纏わりつく陰湿な感情は同族のものではなかった。千年前に感じた人たちの悪意の感情に近い。
 となると、周囲の術式はいったい何のためにあるのか。
 一人ではその答えが出なかった。

「ユウカなら分かるかもしれないな……」

 異世界から来た少女。そのためか、この世界で定着している考え方とは違う考え方をする。
 少し考えた後。

「もう少し人形ヒトガタを増やしてから戻るか。夜に話があるとあれに伝えてあるし」

 これからの行動を復習するかのように声に出すと、未だに血が付いている手を胸の位置まで上げる。
 ポタリ、ポタリと床に落ちる血に目を閉じ念じると、床にある血がぷるぷると動き出す。動きが激しくなってくると、いつの間にかそれは膨張して、人と同じ形になった。
 人形ヒトガタはベルディータの血によって出来た生き人形であり、外部からの侵入者を防ぐ役目と、彼が最低限の生活をするための道具だった。

「後は任せる」

 数体の人形にそれだけの命令を下すと、人形たちは各々動き出す。
 それを見て、ベルディータは戻る前に少し休むことにした。

 

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