第6話 歩み寄り(1)

 婚儀から数日たち、二人だけの生活もなんとか慣れてきた。
 シュクルは仕事で呼ばれれば一、二日居ないこともあったし、エマが何かと顔を出してくれていたので、あまり二人で生活しているのだという実感はないが。
 しかも、あれから二人は床を共にすることがない。それがミアディにとって、やはりこの結婚は天つ人としての義務だったのだ、と疑ってしまう。

(駄目。そんなこと考えちゃ……。エ……お義母さんだってとても親切だし、シュクルさんだってはっきり言う人だもの。嫌だったら嫌って言うはず……だから……)

 その都度、ミアディは何度も自分にそう言い聞かせた。
 それよりも信じようと努力し、婚儀の晩にシュクルに言われたことを守ろうとした。
 俯いていた顔を上げた。そのため、シュクルの顔をよく見るようになった。その表情は思ったものより優しく、ミアディを見つめているのに気づいた。
 最初はその視線に驚いた。それから、少しずつなぜか落ち着かない気持ちになっていた。
 優しくされているのに落ち着かなくなるこの気持ちがいったい何なのか、ミアディにはまだ理解できなかった。

 

 ***

 

 その日、シュクルは朝から仕事だといって出かけていった。
 ミアディはいつものようにシュクルの実家で朝食をもらって見送ったあと、自分の家に戻った。そして、すぐに水が少なくなっているのに気づき、桶を持って川へと向かった。
 水汲みは結構な力仕事だ。しかも一度運んだだけでは水瓶がいっぱいにならない。ミアディは数回川と家を往復したあと、昔、仲がよかったティニという同い年の少女に声をかけられた。

「おはよ、ミア!」
「おはよう。ティニも水汲み?」

 互いに挨拶を交わしながら、ミアディの横に並んで歩いた。
 ティニの手にも桶がある。同じように川に行くようだった。村では子供でも家事などの手伝いをする。家族の一員だから。

「お手伝い?」
「うん、そう。ミアは……奥さんだものね。当然かぁ」
「当然?」

 ティニの言った意味が分からず、ティニのほうを向いて首をかしげた。

「え? だって奥さんっていったら、その家を任されてるってことでしょ? ミアだって……あ……ごめん」

 途中で気づいたのか、ティニは急に謝る。
 ティニは、ミアディが村に帰ってきてから一人で暮らしていることを忘れていた。水汲みも料理も掃除も――何もかも、ミアディは一人でしてきた。
 結婚したから仕事が増えたわけではなかったのだ。
 ミアディにすれば日常のことだし、謝られても……と思ったので、「別に気にしてないから」とだけ答えた。大げさに否定しても、返事をしなくてもティニが傷つく気がしたから。

「それより早く行こ?」
「う、うん」

 こういう時、シュクルの言葉が当たっていることに気づく。
 下を向いてティニの顔を見なかったら、きっとそのまま暗い空気のままでいただろう。
 でも、ティニの目を見て、ティニの気持ちを考えれば、ミアディでも分かることがあるのだ。

(ありがとう、シュクルさん)

 心の中でシュクルにお礼を言いながら、ティニと世間話をしながら川へと向かった。
 水汲みは川の上流のほうでする、洗濯などは下流ででするというのはどこでも同じだろう。誰だってきれいな水を飲みたいから。

 水汲み場につくと、同じように水を汲みにきていたロシとばったり会ってしまう。
 ロシとは婚儀の日以来、会ってもいないし口も聞いていない。ジロリと睨まれると、ミアディは表情がこわばった。
 けれどそれでは駄目だと、ミアディは思い直し、笑顔とまでは行かないが、ロシに向かって「お、おはよう」と声をかけた。
 その様子にロシは一瞬驚き、その後、小さな声で「おはよ……」と返してくれた。

(もしかして……こんな風にちゃんと話しかければよかった?)

 好意的とまではいかないものの、それでも挨拶し返してくれるのは、罵られるよりずっといい。
 もう少し何か話したかったが、ロシのほうは水汲みが終わったのか、「お先に」といった短い言葉だけで立ち去ってしまった。

「もう少し、話してみたかったかな……」

 ぼそりと呟くと、ティニが驚いた顔をする。

「ティニ? どうしたの」
「どうしたの、はこっちよ! あれほど嫌がっていたのに、どうしちゃったの?」
「え、嫌……?」

 ロシ本人に対して嫌がっていたわけではないが、周りから見ればそうではない。
 ティニの説明では、ミアディは村の人が嫌い。特に直接文句を言ってくるウズリとロシに対しては、視界に入ると逃げるくらいだ、と言われた。
 そんな風に見られているとは思わず、ミアディは絶句した。

「だから、どうしちゃったのかと思ったのよ。私だってこうして普通に話してくれるまで時間かかったじゃない?」
「あ、そういえば……ごめんなさい」
「謝られても困るんだけど……まあ、だからどうしちゃったのかな、と思って」

 ティニは軽く肩をすくめながら、ミアディの負担にならないよう、軽い口調で話した。
 が、村を出る前は仲の良かったティニにまでそんな風に思わせていたのかと、ミアディは自己嫌悪に陥る。
 思わず桶を抱きしめながら、ポツリポツリと話す。

「ごめんなさい、ティニ。そんな風に思わせてるなんて思わなかったから……」
「別にいいけど。今はこうして話もできるし」
「ううん、悪いことをしたら謝らなきゃ。本当に、ごめんなさい。知らない間に、ティニのこと傷つけてた」

 顔を上げて、ティニの顔を見て、ミアディは最後のほうははっきりとした声でティニに謝った。

「ミア?」
「わたし、ここに戻ってくるまでちょっとあって……だから人の目が怖かったの。だから、友達だったのに、ティニの顔をもしっかり見れなくて……ちゃんと目を見て話をしないのが、どれだけ失礼なのかと考えなかったの……ごめんなさい」

 どれだけ言葉を重ねても言い訳にしかならない。けれど、言葉にしなければ伝わらないこともある。
 急に周りが自分のことをどう見ていたのかを知って、焦っていたのかもしれない。
 ティニが「もういいよ」というのに、ミアディは「でもっ」と続けようとする。
 すると、ティニはミアディの頬を軽く叩いた。

「……ティニ?」

 軽く叩かれただけなので痛みはない。けれど、ティニのしたことで我に返った。
 叩かれた頬を触りながら、きょとんとした顔をする。

「目、覚めた?」
「……かも」
「よし。じゃあ、これの話はこれで終わり。ミアの態度に私は怒った。だから叩いた。でもってミアは謝った」
「そ、そう……なる?」
「そう。そして仲直りして終わり。友達にはよくあることじゃない」

 ね、と片目を瞑って合図する。
 そのティニの顔を見て、ミアディの顔も緩んだ。「ありがとう」といって、満面の笑みを浮かべる。半分泣き笑いに近いもので。
 でも、ここに戻ってきて、本当の意味で笑った気がした。

「良かった。ミアが昔のままのところがあって」
「そ、そうかな?」
「うん、嬉しい。それよりロシに対してはいきなりどうしたの?」
「えと、いきなりってわけじゃないんだけど……」

 と前置きをして、ミアディはシュクルに言われたことを話した。
 それを聞いて、ちゃんと人と向かい合おうと思ったことと。
 だからロシにも挨拶をしたこと。話ができるのなら、話をしたかったこと、など。
 話すのに夢中になって、ティニがミアディの顔を見て嬉しそうになっているのに気づかないほど、ミアディにとって、この村に戻ってきてから一番楽しい時になった。

 

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