第5話 交わった視線

 かろうじて夜が明ける前に、やっと祝宴が終わった。あれほど騒がしかったのに、今はわずかに虫の声しか聞こえないし、その場に明かりひとつもなかった。
 ただ、宴の片づけが終わってないことから、あの喧騒が夢でなかったと分かる。
 ミアディは最後のほうはほとんど覚えていなかった。
 ただ、村の人たちより一段高い所に座り、ひたすら笑みを浮かべるのに苦労したのだけはかすかに覚えている。
 宴席に戻ってしまえば、ウズリやロシのように直接敵意をむき出しにされることはなかった。
 ちくちくと刺さるような視線を感じてはいたが……それらは気にしないようにして、終わった時はほっとして、後はシュクルに支えられるようにして宴席から離れた。
 シュクルはふらつくミアディを利き腕で支えながら、もう片方の手で松明を持ち周囲を照らす。
 ミアディの家は村の中では隅にあり、そこにたどり着くまで明かりがないのと、家に辿り着いた後、火を起こすのに手間だからだ。

 二人は以前ミアディが住んでいた家に住むことにした。
 エマは一緒に住めばいいじゃない、と言ったが、二人は遠慮した。
 ミアディは仕事で作る封魔石の元になる石は特殊――宝石という類ではないが――で、それが採れる場所は彼女の生家のほうが近い。
 それに何から何まで世話になるようで、申し訳ないと思ってしまうのと、村の中心に近い所では人の目が気になるからだった。そんなミアディの性格を考慮してか、シュクルもあっさりと承諾した。

 家まで歩く間、二人は無言だった。
 その雰囲気に耐え切れず、ミアディは口を開くが、シュクルに「無理するな」と一言で終わらされてしまう。
 それが自分自身を拒否されているようで、ミアディは押し黙った。そしてそのまま、シュクルにしがみ付くようにして歩く。
 しがみ付いて触れている所から、相手のぬくもりを感じるのに、なぜか心には冷たい風が吹いている気がした。それを埋めるかのように、しがみ付いた手に力がこもった。
 妙な緊張感を漂わせながら、なんとか家に辿り着く。
 すると、家の中には明かりが僅かながらに灯っており、二人は少しだけ訝しげな顔をした。

「どうして……?」
「おおかた、母さんが用意してくれてたんだろ。あの後、宴にも居なかったしな」

 シュクルのほうは気づいていたのか、まだ驚いた表情が抜けないミアディに、軽いため息をつきながら答えた。
 それに対して、そういえば……と記憶を辿ると、宴に戻った後にエマの姿がなかったのを思い出した。

「エマさんには、何から何までお世話になってしまって。明日、ちゃんとお礼を言わないと……」

 独り言のように呟くと、シュクルはそれに対して。

「気にする必要はないだろう。母さんは娘が出来るって喜んでたし」
「そう……ですか?」

 少し信じられない気がして、シュクルを見上げるようにして言うと、シュクルの顔が少しだけ険しいものになる。
 怒らせてしまったかな、と身を竦めると、頭の上でため息が聞こえた。

「シュクルさん?」
「あのな、言っておくけど、今日を一番楽しみにしていたのは母さんだ。母さんは、別に天つ人だからとか、普通の人だからとか、そういったことに関して気にしないからな」

 それくらいの気持ちがなければ、天つ人であるシュクルの父と結婚するなどしないだろう。
 祝福されず、陰口を叩かれるのを覚悟しなければ出来ないことだ。
 でも、なぜ今それを……?

「それは……わたしも聞きましたけど……」
「そんな母さんが、世間体を考えて同じ天つ人だという理由だけで、ミアを歓迎するわけないだろ? ミアを気に入っているから、素直にミアのことを可愛がっているだけだ。なのに、そんなに他人行儀にされると、逆に悲しむ」
「……はい」

 確かにエマはここに戻ってきてから、何かと面倒を見てくれた。シュクルとの縁談がしっかり決まる前から。
 もともとエマは他の人にも親切だったから、だからミアディにも声をかけてくれるのだろう、と思っていた。そう思わなければ、もし違ったときに、より辛い気持ちを味わうだろうと想像してしてしまうからか――なんにしろ、エマのことをちゃんと見てなかったのだと、改めて感じた。

「すみませんでした。わたし……」
「分かったら、もう少し回りを見たほうがいい」
「は、い……」

 もう一度頷くと、またシュクルがため息をつく。何か気に障ったのだろうか、と心配になって見上げた。
 その時になって、初めてシュクルと目が合う。

「やっと、見たな」
「……」
「俺は今どういう気持ちでいると思う?」
「……それは、ただ……怒っているのは……分かります」

 自分と同じ金色の瞳に、怒りの色が見える。それが強くて、ミアディは視線を逸らすことが出来なかった。
 同時に、こんなに長く人と視線を交ぜ合わせたのは、久しぶりだと思った。
 いつもは人の視線が怖くて、自分のほうから逸らしてしまう。けれど、今は逸らすことなく受け止めていた。
 自分に対する怒りの感情なのに。

「鈍感、というわけじゃないんだよな」
「え?」
「いや、俯くのはやめたほうがいい。それだと相手が何を考えているのか分からない。分からなければ、どう動いていいのか分からなくなる」
「はい……」

 シュクルの言葉に何ひとつ反論できず、ミアディは小さく頷いた。
 ここに戻ってきてから、誰とも向かい合っていなかったのを思い出した。
 あれほど優しくしてくれたエマに対しても、彼女の本質を見ようとしなかった。ウズリとロシに対しても、ただ怯えるだけできちんと向き合っていなかった。
 視線を逸らし相手を見もしない姿は、きっと彼女たちの憎悪を煽ったことだろう。自分の存在を無視されるのは、誰だって嫌だ。
 村の人たちのミアディに向ける猜疑心も、自分自身の行動の結果なのかもしれない、ということに気づいた。
 ミアディの行動だけではないだろうが、一役買っていたのは確かだろう。

「わたし……黙って大人しくしていればいいと思ってました。そうすれば、わたしの言葉を不快に思う人も少なくなると思って……」

 少し震える声で自分の思いを吐露する。
 ついで、それを聞いたシュクルの顔を見て、言葉を続けようとした瞬間。

「それより開けるぞ。ここで話をしていても仕方ない」
「……あ、すみません……」

 少しがたつく引き戸を開けると、暖かい風を感じる。
 部屋の中央にある囲炉裏に火を入れてくれていたのだろう。すでに熾火に近くなったものが、かすかに赤い光を放っていた。

「あったかい……」
「どうやら部屋のほうも用意していてくれたらしいな」

 すでに寒さを感じさせる季節に、この心遣いはありがたい。
 本当なら用意してあった薪に、シュクルが持ってきた松明で火をつけてから暖をとる予定だった。
 とはいえ、松明から火をとっても、中を暖かくするまでにはかなり時間がかかる。

「明日……エマさんにお礼を言わないと……」

 思わずこぼれた言葉に、ミアディは慌ててシュクルを見る。
 そして珍しく矢継ぎ早に。

「あ、お礼ってさっきの意味じゃないです。そのっ、ここまでしてくれる気持ちに対してのお礼であって……本当に帰ってきて暖かいっていうのは嬉しくて、その……」

 何も答えないシュクルに、ミアディはだんだん不安になって語尾が弱くなっていく。
 だんだん何を言っていいか分からなくなって、言葉が詰まった。
 また怒らせてしまった、とミアディは後悔したが、シュクルの表情は逆に柔らかくなっていた。

「あの……」
「いや、言いたいことは分かってる。そういう意味でなら、母さんも喜ぶ。たぶん、朝飯も用意してるだろうから、なるべく早めに行こう」
「は、はいっ」
「ついでに言うなら、『エマさん』なんて他人行儀じゃなくて、『義母さん』と呼んでやってくれ。そのほうがさらに喜ぶ」
「……お義母さん……いいんですか?」
「当たり前だろう」
「はい……、これからはそう呼ばせてもらいます」
「ああ」

 良かった、怒ってない、と思っていると、いきなり引っ張られる。
 思わず「きゃっ……」と小さく声が漏れるが、触れたぬくもりに驚いて、それ以上声にならなかった。

「もう遅い。部屋も暖かいし、このまま寝よう」

 そういってシュクルはミアディを抱き寄せ、板張りの部屋の囲炉裏の周りに敷かれた厚手の敷物の上に座り込んだ。
 ミアディが暴れないでいると、シュクルはそのままミアディを囲炉裏のほうにして横になった。それから近くにあった毛布をばさりと二人の上に掛ける。
 その後、まるで大事なものを包み込むかのように抱え込む。
 婚儀でのようなことは何ひとつなく、体中に感じるぬくもりを心地よく思いながら、ミアディは深い眠りに落ちていった。

 

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