シュクルが出て行ってしばらくすると、控えめに扉を叩く音がした。こんな格好でどうしようと思うものの、「開けてもいいかしら?」と問いかける声を聞いて、反射的に「はい」と答える。
それを聞いて静かに扉を開けて入ってきたのは、シュクルの母、エマだった。
声で分かったものの、気づくと先ほどとはまた違ういたたまれない気持ちになる。
エマは戻ってきたミアディに対して好意的で優しかった。ミアディの母とも昔馴染みで、ミアディが小さい時もよく面倒を見てくれた。
けれど今は……今はどうなのだろうか、とミアディは思う。今は嫁と姑という立場になる。
自分の母親と重ねると、あまり好意的に思われない気がして、思わず身構えた。
「ミアちゃん、大丈夫?」
「……あ、あの……」
エマの態度は婚儀の前とまったく変わらない。
そのため逆にミアディはどう返していいのか分からなかった。
「初めてなんだから、十分気遣うようにって何度も念押ししたんだけど……」
エマはそう言いながら、湯を沸かしてあるから身を清めるよう促した。
ミアディは素直に頷いて、肩に掛けられた服が落ちないように気をつけながら、エマのあとをついていった。外を出ても誰も居ないようでほっとしながら、すぐ近くの布で仕切られた場所へ入る。
体を清めるのはたいてい川などの水か、少し豊かな村なら共同浴場を作る。個人の家での湯浴みなどは、豪族やよほどの商家でもない限り、そのような設備はない。
この村にも共同浴場はあったが、そこにミアディが行くのを不安に思っていたため、エマが気を利かせてくれたのだった。
とはいえ、大量に沸かした湯を入れた桶をいくつかと、そしてミアディがいる場所を作った程度だったが。
それでもミアディにとってその心遣いは嬉しくて、エマにお礼を言った。
「あの、ありがとうございます」
「なに言っているの。せっかく息子の所に来てくれたかわいいお嫁さんなんだもの、大事にするのは当たり前。それにもう家族よ?」
「かぞく……」
微笑みながら桶に入った湯に布を浸すエマを、ミアディは不思議そうな顔で見つめた。
家族とはこうあるものだろうか、とミアディは少ない過去を遡る。
両親は、仲が良かった。
でも、祖母は……脳裏に浮かんだ祖母の顔を思い出し、重苦しい気持ちになると同時に、温かい湯が頬に触れた。
「あ……」
「あら、熱かった?」
「あ、いえ。ちょっと他のことを考えていたので、驚いただけです」
「そう。それより掛けている服をとってもいい?」
「あ、はい」
ミアディは遠慮がちに答えると、エマは豪快に彼女の肩に掛けられた服を取り去った。
全裸になったミアディは恥ずかしくて、顔が熱くなっていくのがわかった。
人前で裸になるのはもちろん、なにより先ほどの痕が残っている。思わずしゃがみこんで縮こまってしまいたい心境だ。
「ごめんなさいね」
「エマ……さん?」
「あら、私のことはお義母さんでいいわよ~」
「え……?」
「息子のお嫁さんになってもらったんですもの、当然でしょう?」
なってもらった、というところで、やはり半端者同士まとめられたのだろうか……と勘ぐってしまう。
だがエマはそんなことは気にしないで。
「話が逸れちゃったわね。ミアちゃんがすごく恥ずかしいのは分かるの。でも、頭の固い連中を納得させなくちゃならなくてね……」
「……そう、ですね」
語尾に続くにつれ、少しずつ怒気を含んでいったエマの声に、ミアディは戸惑いながら答える。
この婚礼も、ミアディが純潔でなければ白紙に戻ってしまう。
天つ人の血はどれだけ薄れても、その特徴である金色の瞳は変わらない。
たとえば、ミアディが子供を生んだとして、その子供は必ず天つ人の特徴である金色の瞳を持って生まれる。
裏を返せば、ミアディが前にいた所で、異性――しかも普通の人間との間の子だとしても、金色の瞳を持つ子が生まれる。その相手が同じ天つ人ならいいが、普通の人ならば、天つ人の能力が薄れてしまう。
それを恐れた村の人たちの条件が、ミアディの身が清らかなままならば、ということだった。
シュクルとミアディも両親が型破りで普通の人と結婚したため、すでにそこで血が薄れている。村人は安全のために、これ以上、その血を能力を、薄れさせることは出来なかった。
そこでふと、自分に優しくしてくれるのは、普通の人なのに天つ人であるシュクルの父――クトカと結婚した罪悪感からなのだろうか、という考えが浮かぶ。
自分の過去を振り返れば、シュクルも同じようなことを言われてきたのかもしれない、と。
「あの……」
「ん、なに?」
ミアディの体を柔らかい布で拭いているエマに声を掛ける。
「どうしてエマさんはクトカさんと結婚したんですか? その……」
「天つ人と普通の人との結婚は祝福されない、のに?」
「…………はい」
ミアディの母親は彼女が七歳の時に亡くなり、そのあと、父の生家に移った。
父の生家には祖母が一人いたが、祖母は天つ人と結婚した父と顔を合わせるとすぐ口論していた。
天つ人に手を出すなど、お前のせいで私は肩身の狭い思いをしているが分からないのか――と何度も祖母は父を罵った。ミアディに対しては、まるでそこに彼女が存在していないかのように振舞った。
それでもめげずに、子供ながら家事を一生懸命やった。祖母は年だったから家事は辛いだろうと思ったし、自分はここに居ると主張したかったからかもしれない。
けれど、祖母は最後までミアディの存在を認めてくれなかった。
祖母の生家でのことは悲しい思い出しかなく、ミアディの心に深い傷を残した。
「そうね、周りはもの凄く反対したわ。でも、マリザ――ミアちゃんのお母さんも、サリムと結婚して――そのせいかしらね、周りに何を言われても気にしないようにしよう、って思ったの」
サリムとはミアディの父のこと。
けれど、どうして二人のおかげでそうなったのか分からず、ミアディは首を軽く傾げた。
「たぶん同士って言えるのかしら? が居たから。マリザとサリムも頑張っているのに、私も負けちゃいられないわ、って思ったの」
エマの言いたいことが分からず、ミアディは少し首を傾げた。
そんなミアディにエマは続けて言う。
「それに誰を好きになるなんて、周りに決められることじゃないわ。それは天つ人も普通の人も同じでしょう? 私たちは私たちが互いに選んで伴侶になったの。マリザとサリムもそうよ」
懐かしげに語るエマに後ろ暗いところはない。
禁忌を犯したのに、その顔には自分のしたことに対する自信が見えた。
「納得できない?」
エマの言葉に頷こうとした瞬間、洗い流すための湯を上からかけられて、頷くというより、湯を避けるために下を向いた形になった。
少なくともエマは文句を言われることを覚悟して、天つ人であるクトカと一緒になったというのは分かった。
両親も同じように互いのことを思って一緒になったのだろう。小さい頃、この村にいたときは、家族三人で幸せだった。子供の目から見ても、両親は互いに愛しあっていたのも分かる。
そうして自分の意思で自分の未来を選んだのに、なぜ今になって天つ人同士を結ばせようとするのか――それが分からない。
孤児になったミアディを引き取るには、婚姻という形は最良なのかもしれないが、他に方法がないわけではなかった。
シュクルにはまだ仕事で相方がいない。神剣を扱うシュクルに、封魔石を作るミアディなら、婚姻でなくても仕事の相方として引き取ることも可能だったはず。
どうして自分の息子の未来を縛るような方法をとったのか、ミアディには理解できなかった。
(シュクルさんは、どうしてこの婚姻に同意したのかしら……?)
ミアディが『シュクルさん』と呼ぶたびに一瞬だけ顔を歪める。その様子から、どうしてもこの婚姻を、自分の存在を望んでいるとは思えない。
エマは周りに決められることではないと言い切ったが、今の状況は周りに決められたことだったし、シュクルも周囲に押し切られて、仕方なくなのかもしれない。
(なんで、こんなことばかり考えちゃうんだろう。いっそ寂しいなんて思う気持ちがなくなってしまえばいいのに……)
ミアディには自分の置かれた立場を把握するのが精一杯で、人の感情まで推し量ることは出来なかった。