第2話 天つ人の婚礼-ミアディ

 シュクルが出て行ってしばらくすると、控えめに扉を叩く音がした。こんな格好でどうしようと思うものの、「開けてもいいかしら?」と問いかける声を聞いて、反射的に「はい」と答える。
 それを聞いて静かに扉を開けて入ってきたのは、シュクルの母、エマだった。
 声で分かったものの、気づくと先ほどとはまた違ういたたまれない気持ちになる。
 エマは戻ってきたミアディに対して好意的で優しかった。ミアディの母とも昔馴染みで、ミアディが小さい時もよく面倒を見てくれた。
 けれど今は……今はどうなのだろうか、とミアディは思う。今は嫁と姑という立場になる。
 自分の母親と重ねると、あまり好意的に思われない気がして、思わず身構えた。

「ミアちゃん、大丈夫?」
「……あ、あの……」

 エマの態度は婚儀の前とまったく変わらない。
 そのため逆にミアディはどう返していいのか分からなかった。

「初めてなんだから、十分気遣うようにって何度も念押ししたんだけど……」

 エマはそう言いながら、湯を沸かしてあるから身を清めるよう促した。
 ミアディは素直に頷いて、肩に掛けられた服が落ちないように気をつけながら、エマのあとをついていった。外を出ても誰も居ないようでほっとしながら、すぐ近くの布で仕切られた場所へ入る。
 体を清めるのはたいてい川などの水か、少し豊かな村なら共同浴場を作る。個人の家での湯浴みなどは、豪族やよほどの商家でもない限り、そのような設備はない。
 この村にも共同浴場はあったが、そこにミアディが行くのを不安に思っていたため、エマが気を利かせてくれたのだった。
 とはいえ、大量に沸かした湯を入れた桶をいくつかと、そしてミアディがいる場所を作った程度だったが。
 それでもミアディにとってその心遣いは嬉しくて、エマにお礼を言った。

「あの、ありがとうございます」
「なに言っているの。せっかく息子の所に来てくれたかわいいお嫁さんなんだもの、大事にするのは当たり前。それにもう家族よ?」
「かぞく……」

 微笑みながら桶に入った湯に布を浸すエマを、ミアディは不思議そうな顔で見つめた。
 家族とはこうあるものだろうか、とミアディは少ない過去を遡る。
 両親は、仲が良かった。
 でも、祖母は……脳裏に浮かんだ祖母の顔を思い出し、重苦しい気持ちになると同時に、温かい湯が頬に触れた。

「あ……」
「あら、熱かった?」
「あ、いえ。ちょっと他のことを考えていたので、驚いただけです」
「そう。それより掛けている服をとってもいい?」
「あ、はい」

 ミアディは遠慮がちに答えると、エマは豪快に彼女の肩に掛けられた服を取り去った。
 全裸になったミアディは恥ずかしくて、顔が熱くなっていくのがわかった。
 人前で裸になるのはもちろん、なにより先ほどの痕が残っている。思わずしゃがみこんで縮こまってしまいたい心境だ。

「ごめんなさいね」
「エマ……さん?」
「あら、私のことはお義母かあさんでいいわよ~」
「え……?」
「息子のお嫁さんになってもらったんですもの、当然でしょう?」

 なってもらった、というところで、やはり半端者同士まとめられたのだろうか……と勘ぐってしまう。
 だがエマはそんなことは気にしないで。

「話が逸れちゃったわね。ミアちゃんがすごく恥ずかしいのは分かるの。でも、頭の固い連中を納得させなくちゃならなくてね……」
「……そう、ですね」

 語尾に続くにつれ、少しずつ怒気を含んでいったエマの声に、ミアディは戸惑いながら答える。
 この婚礼も、ミアディが純潔でなければ白紙に戻ってしまう。
 天つ人の血はどれだけ薄れても、その特徴である金色の瞳は変わらない。
 たとえば、ミアディが子供を生んだとして、その子供は必ず天つ人の特徴である金色の瞳を持って生まれる。
 裏を返せば、ミアディが前にいた所で、異性――しかも普通の人間との間の子だとしても、金色の瞳を持つ子が生まれる。その相手が同じ天つ人ならいいが、普通の人ならば、天つ人の能力が薄れてしまう。
 それを恐れた村の人たちの条件が、ミアディの身が清らかなままならば、ということだった。

 シュクルとミアディも両親が型破りで普通の人と結婚したため、すでにそこで血が薄れている。村人は安全のために、これ以上、その血を能力を、薄れさせることは出来なかった。
 そこでふと、自分に優しくしてくれるのは、普通の人なのに天つ人であるシュクルの父――クトカと結婚した罪悪感からなのだろうか、という考えが浮かぶ。
 自分の過去を振り返れば、シュクルも同じようなことを言われてきたのかもしれない、と。

「あの……」
「ん、なに?」

 ミアディの体を柔らかい布で拭いているエマに声を掛ける。

「どうしてエマさんはクトカさんと結婚したんですか? その……」
「天つ人と普通の人との結婚は祝福されない、のに?」
「…………はい」

 ミアディの母親は彼女が七歳の時に亡くなり、そのあと、父の生家に移った。
 父の生家には祖母が一人いたが、祖母は天つ人と結婚した父と顔を合わせるとすぐ口論していた。
 天つ人に手を出すなど、お前のせいで私は肩身の狭い思いをしているが分からないのか――と何度も祖母は父を罵った。ミアディに対しては、まるでそこに彼女が存在していないかのように振舞った。
 それでもめげずに、子供ながら家事を一生懸命やった。祖母は年だったから家事は辛いだろうと思ったし、自分はここに居ると主張したかったからかもしれない。
 けれど、祖母は最後までミアディの存在を認めてくれなかった。
 祖母の生家でのことは悲しい思い出しかなく、ミアディの心に深い傷を残した。

「そうね、周りはもの凄く反対したわ。でも、マリザ――ミアちゃんのお母さんも、サリムと結婚して――そのせいかしらね、周りに何を言われても気にしないようにしよう、って思ったの」

 サリムとはミアディの父のこと。
 けれど、どうして二人のおかげでそうなったのか分からず、ミアディは首を軽く傾げた。

「たぶん同士って言えるのかしら? が居たから。マリザとサリムも頑張っているのに、私も負けちゃいられないわ、って思ったの」

 エマの言いたいことが分からず、ミアディは少し首を傾げた。
 そんなミアディにエマは続けて言う。

「それに誰を好きになるなんて、周りに決められることじゃないわ。それは天つ人も普通の人も同じでしょう? 私たちは私たちが互いに選んで伴侶になったの。マリザとサリムもそうよ」

 懐かしげに語るエマに後ろ暗いところはない。
 禁忌を犯したのに、その顔には自分のしたことに対する自信が見えた。

「納得できない?」

 エマの言葉に頷こうとした瞬間、洗い流すための湯を上からかけられて、頷くというより、湯を避けるために下を向いた形になった。
 少なくともエマは文句を言われることを覚悟して、天つ人であるクトカと一緒になったというのは分かった。
 両親も同じように互いのことを思って一緒になったのだろう。小さい頃、この村にいたときは、家族三人で幸せだった。子供の目から見ても、両親は互いに愛しあっていたのも分かる。

 そうして自分の意思で自分の未来を選んだのに、なぜ今になって天つ人同士を結ばせようとするのか――それが分からない。
 孤児になったミアディを引き取るには、婚姻という形は最良なのかもしれないが、他に方法がないわけではなかった。
 シュクルにはまだ仕事で相方がいない。神剣を扱うシュクルに、封魔石を作るミアディなら、婚姻でなくても仕事の相方として引き取ることも可能だったはず。
 どうして自分の息子シュクルの未来を縛るような方法をとったのか、ミアディには理解できなかった。

(シュクルさんは、どうしてこの婚姻に同意したのかしら……?)

 ミアディが『シュクルさん』と呼ぶたびに一瞬だけ顔を歪める。その様子から、どうしてもこの婚姻を、自分の存在を望んでいるとは思えない。
 エマは周りに決められることではないと言い切ったが、今の状況は周りに決められたことだったし、シュクルも周囲に押し切られて、仕方なくなのかもしれない。

(なんで、こんなことばかり考えちゃうんだろう。いっそ寂しいなんて思う気持ちがなくなってしまえばいいのに……)

 ミアディには自分の置かれた立場を把握するのが精一杯で、人の感情まで推し量ることは出来なかった。

 

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