第1話 天つ人の婚礼-はじまり

 それは、はるか昔のことだった。
 まだ世界には秩序がなく混沌とした状態で、地上で、天空で、天つ神と大いなる魔と呼ばれるものたちが戦っていた。そのため、地上に生きる人々はその戦いに怯える日々を送っていた。
 何の力ももたない人には、天つ神と魔の戦いはそれだけ苛烈だった。
 そして長い長い時を経て、天つ神が優勢になる。大いなる魔は天つ神に敗れ、人々はやっと平和に暮らせると安堵した。
 けれど、見守ってくれるだろう天つ神も終わりを告げていた。
 天つ神は残りわずかな力を使って、人に自分の力を分け与えた。そしてそのための道具も。
 いまだ残る、魔に対抗するために。
 大いなる魔には劣るとはいえ、残存する魔は人にとっては脅威なもの。人々は彼らを頼りにするしかなかった。
 人々は、魔に対抗できる人たちを『天つ人』と呼んだ。

 そして時は流れる。
 天つ神が残した天つ人も、人との交わりによりその血は薄れていく。当然その力も薄れ、今では魔を完全に絶つことができなくなっていた。
 はるか昔、魔を絶つために作られた神剣の力を完全に引き出せる者は、いつの間にかいなくなった。
 天つ人はそれを補う方法として、神剣で弱らせた後、封じるというやり方を編み出した。今では神剣使いと封魔士の二人一組で魔から人を守るという形になる。
 そして、これ以上『天つ人』の力が弱まらぬよう、天つ人同士で結ばれる――『天つ人』と人との婚姻は祝福されないものになっていた。

 

 ***

 

 村の中で一ヶ所だけ明るい場所があった。そこから喧騒が聞こえる。見れば皆、床に座って盃を交しては笑っていた。
 彼らの目の前には数種類の料理――彼らにとってはご馳走になる――が所狭しと並べられ、隙間には陶製の瓶が置かれていた。中身は酒なのだろう。ほとんどの者が頬を赤く染め、中には呂律が回らない者もいた。それでもまだ酒に手を出そうとする。
 めでたい席ということで羽目を外しているのだろう。それを見ても咎める者は居ない。
 めでたい席――村で数少ない若い『天つ人』の婚礼なのだから。
 けれど、賑やかな祝宴の中、上座に主役二人の姿はなかった。

 喧騒から少し離れた場所に主役の二人はいた。
 暗がりの中、床に敷いた厚手の敷布の上で睦合っている、主役の二人――シュクルとミアディという、まだ若い『天つ人』。

「ミア……ミア……」
「んっ、あ、あっ……シュ……」

 涙を浮かべながらも名を呼び返そうとする。その表情は快楽よりも苦痛に歪んでいた。初めてなのだから仕方ないだろう。
 シュクルのほうも気遣わなくてはと思うものの、そこまで余裕がないらしい。己が欲望のほうが勝る。ひたすら彼女の名を呼びながら、欲望のまま動く。そのたびにミアディの目から涙があふれた。
 これも『天つ人』の婚礼の儀式の中の一つで、天つ人同士が結ばれたことを示すものだった。
 しかし、いくら天つ人とはいえ、このようなことことまで婚儀に組み込まれるのには抵抗がある。そのため、形として席をはずす程度にとどまっていたが、この婚礼に関しては違っていた。

 この時代まで来ると、天つ人と普通の人との婚姻は祝福されない。人々が彼らの血が、力がこれ以上薄れるのを恐れたからだ。そのため、天つ人は天つ人同士で結ばれるのが当然になっていた。
 だが、二人は天つ人と人の間に生まれた混血――この言い方も今さらだが――だった。
 特にミアディのほうは村にずっといたシュクルと違い、小さい時に別の村に移り、つい最近戻ってきたばかり。
 ミアディはまだ十五歳。けれど、別の村にいた間の異性との関係がはっきりしないという村の人の声により、天つ人の婚儀に則った形になった。
 要するに、村の人たちはミアディを疑っていて、ミアディはこの婚儀で己が純潔を示さなければならなかった。
 そのために、二人は婚礼の儀に則り初めての夜を迎えていた。

 宴の騒ぎが、途切れ途切れにミアディの耳に届く。
 さすがに宴から出て覗き見るという無粋な者は居ないだろう。それでも声が聞こえるたびに恥ずかしさが増す気がした。今は、何ひとつまとわず全てを晒している状態で心許ない。
 それでもなんとかことが終わり、疲れと上から見ているシュクルの視線に、恥ずかしさ感じて目を閉じる。ミアディの心の中はいろいろな思いが渦巻いていた。

 すでに両親が他界した今、ミアディに家族と呼べる存在は居ない。だから結婚という形でも、新たな家族ができるのは嬉しかった。
 でも、この結婚も天つ人という存在だからできたことだ。本来なら独りになったミアディを受け入れてくれるような所はない。
 彼女を覗き込んでいるシュクルも、本当にこの結婚に喜んでいるのかさえ、ミアディには分からなかった。
 でも怖くて聞く気にはなれなかった。
 何も持たないミアディにできるのは、おとなしく言うことを聞いてついていくことだけだ。

「ミア?」

 心配そうなシュクルの声が聞こえる。

「……なんでも、な……です」

 自分と同じ色の瞳――天つ人はすべて血が薄くても金色と呼べる瞳を持って生まれる――に見つめれられて、ミアディはなんとかそれだけ返した。
 同時に、なんとか体を起こそうとする。この宴の主役が、長い間席を外しているのも問題だと思ったために。
 それを察したのか、シュクルがミアディの動きを助けて起こした。背中に腕を回されて起き上がると、すぐそばにシュクルの顔があった。
 完全に大人といえないが、それでも十七歳とは思えないような大人の表情をしている。それに神剣を扱うため、その体には無駄な肉がほとんどない。
 天つ人でなければ、誰でも選び放題な整った顔。
 言い換えれば、天つ人だから、そしてミアディも天つ人だったから側に居られる人。

(もし……天つ人じゃ、なかった、ら?)

 自分など選ばない――という自虐的な答えを飲み込んだ。

「あのっ、それよりも早く戻りましょう。皆さんをお待たせするのも申し訳ないですし……」

 これは天つ人の婚礼の儀のうちの一つでしかない。甘い余韻に浸る余裕などなかった。
 それに互いに気持ちが通じ合っているわけではないという引け目もある。
 体に力が入らないが、それでもなんとか着ていた服で体を隠しながら立ち上がろうとした。
 シュクルもその言葉の意味を解したのか、ミアディに服をかけて、そのまま少し待つように手でミアディの動きを制した。

「シュクル……さん?」
「……ちょっと待ってろ」

 何をするのか分からず問いかけると、少し不機嫌な口調で返ってくる。
 とはいえ、どうしていいのか分からないので、言うとおりにすると、シュクルはそのまま上着を羽織り入り口に向かう。
 扉に向かうシュクルの背中を見ながら、先程まですぐ側に居たのに、どうしてそんなに遠くに感じるのか不思議に思う。
 違う、本当は分かっている。

(だって、本当は……想い合ってはいないんだもの……)

 扉を開けて出ていくシュクルを見ながら、ミアディの頬に一筋の涙が伝った。

 

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