第3話 天つ人の婚礼-シュクル

 一方、シュクルのほうは、後に着る服だけ渡されて放り出された。
 この扱いの差はなんなんだと思ったが、この場合は仕方ないかとため息をついた。こういった場合、人に見られたくないのは女性のほうだろう、と無理やり納得したせいだ。

 シュクルの家からは共同浴場より川のほうが近い。すぐに川のほうを選んだ。それに頭と火照った体を冷やすのに、川の水のほうが丁度いい。
 着替えと体を拭くための大きめの布を持って川へ向かった。
 適当な大きさの岩に着替えをおいて、そのまま川の水の中に飛び込むように入る。ひんやりとした水の冷たさが心地よかった。
 水を手ですくって顔を数回洗っていると、後ろから声をかけられて振り返った。

「なんだよ?」

 声をかけてきたのは、村でシュクルと同じくらいの年の少年たち――サハウ、スィク、タカの三人だった。シュクルと同じ十七歳で、タカだけ一つ年上の十八歳だった。

「決まってんだろ、どうだったんだよ?」
「そうそう、気になるよな~」

 興味津々に聞いてくるのは覚悟していたが、事が終わってすぐに来るとは思わなかった。
 水を指されたような気持ちがして、シュクルは眉をひそめた。

「そう嫌な顔するなよ。俺たちより先に結婚するんだから、聞かれたってしょうがないだろう?」
「だからって、すぐ来んなよ」
「そりゃ気になってしょうがないんだから、無理無理」

 悪びれずに答えるのはタカ。
 この周辺で平均的な寿命は四十歳と少しだろうか。そして、結婚する年齢はたいてい男性、女性とも十八歳くらいからだ。それからすると、シュクルとミアディの結婚は少し早い。
 理由は、天つ人は能力と仕事上、普通の人より早く亡くなる可能性が高いからだ。ミアディの母、マリザも二十五歳という平均年齢よりはるかに若い年で亡くなっていた。
 とりあえず、天つ人の能力と寿命は置いておくとしても、同じ年の仲間より先に結婚に至ったため、やっかみと興味を含んだ好奇の視線に晒される羽目になった。

(まあ、だからミアのほうがこうならないように、母さんが付いたんだけど……)

 この辺りは貞操観念が強い。特にこの村はそれが顕著だ。基本的に結婚するまで、床を共にすることは許されていない。付き合っていて、その仲がそれなりに進んでいるのが分かってしまえば、即結婚に結びついてしまう。
 特に男性より女性に対してそれが強いため、他所にいたミアディの風当たりはきつい。せめて同じ村にいて、そのような噂がなければ、もう少し落ち着いた進み方をしただろうが。
 とはいえ、ここでその愚痴をこぼしても仕方ない。それより三人の追求を逃れることのほうが問題だった。

「別に。普通だと思うが」

 仏頂面で答えるが、本当のところ、これがシュクルの本音だ。
 シュクルもミアディも互いに初めてなのだから、誰かと比べようもない。
 それに既婚の村の男から聞く猥談に関しても、聞くのと実際にするのではまったく違う気がして、これまた比べられる感じではない。
 というより、余裕などないのに、少しでもミアディを気遣わなくては、とそればかり気にして、自分がどう思ったかより、ミアディのことのほうが記憶に残っていた。
 短く答えたのがシュクルの余裕だと思ったのか、三人はそれぞれ好き勝手な感想を口にしている。

「へー、さすが結婚すると違うな」
「いいよなぁ、あの子かわいいし。羨ましいよなぁ」
「だよなあ。あんなかわいい子なら早く結婚してやっかみを言われてもいいな。でも、タカはもうすぐだろ? ラタ……だっけ」
「ああ、まあな。でも、結婚するまでまだだからな」

 それは他人事だからだろうが、という突っ込みはこの際黙って聞き流す。
 とはいえ、タカは一つ上だし、同じ村のラタという少女と結婚が控えているせいか、先に結婚したシュクルに対して、冷やかしに来たというより、純粋に気になるかららしかった。
 が、冷やかしに来たのに替わりはない。
 しかし、三人の話の一部には、心の中で同意する。

 シュクルの目から見てもミアディは可愛い。目が大きくはっきりしていて、その瞳の色は自分と同じ金色。鼻はあまり高くないが、童顔なせいか、低さが気になるほどではない。そして小さめの口に少し厚めの唇は柔らかくて口付けたときに気持ちよかった。
 まだ十五歳という若さのため、大人の女性が醸し出す色気と豊満な肉体はないが、それでも柔らかい丸みを帯び始めた体に、日焼けをしていないようで想像以上に白くてきれいな肌だった――と記憶してる。
 そこまで思い出して、顔が熱くなっているのが分かった。
 シュクルは慌てて「もういいだろ。早く戻らなくちゃいけないんだから」と吐き捨てるように言いながら、その顔を見られないように後ろを向いて水浴びを再開した。

「ちぇっ、もったいぶって」

 三人の中で一番元気なサハウがぼやく。
 その後、タカが再確認するかのように。

「そういや、例の問題は大丈夫だったわけ?」

 その問いにシュクルの指先が一瞬だけ止まった。

「問題ない。あいつは初めてだった。だいたい、あいつは……いや、なんでもない」

 ここまで言いかけて、ふと他人に話すことじゃないと思ったのか、途中で話すのをやめる。
 サハウの「途中でやめるなよ~」という声が聞こえたが、無視して水を体にかけた。しかも退けと暗に示すかのように、思い切り水を掬ってかけたので、後ろにいた二人は慌てて飛びのいた。
 その後、舌打ちする音が聞こえたが、ひたすら無視していると、タカの「早く戻って来いよ」と聞こえたあと、三人の気配が背後から消えた。
 振り返っていなくなったのを確認してから、ふう、とため息をついた。追求が浅くてよかった、と心からほっとして。

「まったく……当分こうしてからかわれるのか」

 村にいる若い者はあの三人だけではない。しかも今回は天つ人の結婚で、皆より年若く結婚している。
 そんなシュクルとミアディが、話題の種にならないわけがない。
 とはいえ、あのミアディがそれに耐えられるか――シュクルは不安になった。

(あれじゃあ、他の男どころか、人付き合いもまともにできないぞ……)

 村に戻ってきたミアディを見ていたシュクルには分かる。
 ミアディは異性だけでなく、人を怖がっている。そんな彼女が誰かと付き合えるわけがないだろう。

(なんであんな風になってしまったんだろう?)

 シュクルの知るミアディは、元気がいいとは言えなかったが、それでも笑顔を絶やさない子どもだった。

『しゅくるーしゅくるー』

 子供には少し大きすぎる籠を抱えながら、小走りに近づいてくる小さなミアディを思い出す。
 その時は剣の練習のため、木刀を持って素振りをしていた。近づけば危ないと思ったため、『来るな』と短く言うと、ミアディの足がぴたっと止まる。
 その後、どうしていいのか分からず、そこで体を小さく揺らしながら、笑顔が崩れていくのが見え、シュクルは慌てて素振りをするのをやめてミアディに近づいた。

『ミア、ごめん。でも、当たるといたいから……』

 決してミアディを邪険にしたつもりはなかったのだが……言い方が少しきつかったのだろうか、とシュクルはミアディを宥める。
 泣きそうなのを堪えているミアディに近づき、『もう動いてもだいじょうぶだから』というと、舌足らずな声で『しゅくるっ!』と嬉しそうな顔に戻って飛びつく。そんなミアディを受け止めきれず、二人して地面に転がった。

『ばか、いきなり飛びつくなよ』
『だって』
『おれはここにいるって。それよりメシもってきてくれたんだろ?』
『うん』
『おなかすいた』
『すぐだすね。でも、そのまえにエマおばちゃんがからだをふくようにって』

 ミアディの性格を考慮してか、籠の中には一番上に柔らかめの布が入っていた。それを取り出してシュクルに差し出す。受け取って汗をふき取っていると、ミアディは籠の中から食べやすく料理されたものをいくつか取り出した。
 声をかけると笑顔が返ってきて――そんなミアディを素直にかわいいと思っていた。

 なのに今は――

『あの、シュクル……さん。エマさんがご飯だって呼んでます』

 シュクルが何かをしていると、用があるのに声をかけるのも躊躇う。なにより、自分のことをさん付けで呼ぶ。他人行儀で余所余所しい。
 他人行儀といえば、ミアディは戻ってきてから、シュクルの家に一緒に住むように両親が勧めた。
 けれど他人なのに一緒に住めないと断り、昔住んでいた家を片付けて、数日前まで一人でそこに住んでいた。
 こちらから出向かなければまったく顔を見せないほど、外に出たがらなかった。
 まるで、何かに怯えているかのように。

「くそっ……」

 何が彼女を変えてしまったのか、シュクルには分からない。
 ただ分かるのは、結婚したものの彼女との間にある見えない壁は、完全に取り払われていないことだった。

 

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