第3章 リナとゼロス、そして創世記-9

「おいっしっかりしろ!!」

 シルフィールはルークに顔を軽く数回叩くと、だんだん意識がはっきりしてきたのか、「……きゃあ! すみませんっ!!」と叫びながらルークから離れる。
 慌てて離れたためよろけてしまい、ルークが倒れないようにと腕を掴む。
 それでまた「すみません」を繰り返したため、ルークに「落ち着け」と言われて大人しくなった。
 そして、シルフィールは一回大きく深呼吸した後、デビットのほうに体を向けた。

「伯父様……」
「シルフィール?」
「伯父様、もうやめてください。伯父様は操られているだけです。目を覚ましてください!」

 操られていると言ったが、はっきりとした根拠はなかった。
 けれど、後ろに控えていた怪しげな人物――ゼロスと、あまりに変わってしまった伯父を見ると、シルフィールにはどうしてもゼロスに操られているとしか思えなかった。

「操られている?」
「は、はい。伯父の擁護をするわけではありませんが、伯父はライゼールから来たという神官のゼロスに利用されたのだと思います」
「それは本当のことか?」
「わたくしが見る限りでは、ゼロスという神官に唆されて――という感じでした。伯父が出ていった後、彼はそのことを隠すつもりもなかったようですし、その話はリナさんも聞いています」
「リナが!? リナは無事なのか!?」

 シルフィールはゼルガディスに説明するのに、その場に居合わせた人物リナの名を出した。
 横で聞いていたガウリイが急にシルフィールに向かって尋ねる。これほど慌てたガウリイを見たことがなかった。
 その慌てた様子を見て、シルフィールは「ああ、敵わない」と改めて感じた。
 自分では彼の心をこれほど揺らすことはできない。
 その事実は悲しかったが、今は嘆いている暇はない。

「……申し訳ありません、わたくしが伯父に言われてリナさんを連れ出す手引きをしました。この件に関してどうか後で裁きを。けれどその前に、リナさんのことですが、わたくしがランドールの家を出るまででしたら、リナさんの命は保障できます。けれど……」

 こんなに人がたくさんいる中で、話していいものか迷う。
 そのため最低限のことだけ告げた。

「何があると言うのだ?」
「リナさんはそのゼロスという人をなんとかするために、ランドールに残りました。一緒に戻るよう説得したのですが、リナさんには聞き入れてもらえず……」
「……そうか」

 

 ***

 

 ゼルガディスはシルフィールの言葉になぜか納得するものを感じながら、これからどう動けばいいかを考えた。
 デビットだけで考えれば戦力もだいたい想像がつくが、シルフィールの口から出たゼロスという人物を知らない。ゼロスがどれほどの力を持っているのかわからない。
 下手に過小評価した場合に起こる損失を考えると、やはりここは慎重にならざるを得ないだろう。

「シルフィール、そのゼロスというヤツはどういう感じなんだ?」
「は、はい。その、彼が言うにはライゼールから来たと言っていました。エルメキアが邪魔だからと。それと、何故かリナさんに対して執着していました」
「リナに?」

 リナ、という言葉に、隣にいたガウリイが素早く反応する。
 身を乗り出してリナの状態を聞こうし始めたガウリイに、ゼルガディスは手で制して話を進めた。

「今はゼロスとやらを何とかするほうが先だ。我慢しろ」
「……だが!」
「シルフィール、それよりも話を進めてくれ」
「はい。といってもわたくしも良くわかりませんが、何か底知れない恐ろしさを彼から感じました。リナさんもすごく警戒していましたし……ランドールを出る時も、彼の相手は自分にしかできないと、わたくしだけ戻るように言い、リナさんは残ったんです」
「そうか」

 リナは他の魔道士を遥かに凌ぐ力を持つ。それはリナ自身も認めており、そのためにそのゼロスをなんとかするつもりで残ったのだろう。自分でなんとかしようと思って。
 ならば、ゼロスをどうにか――少なくとも、自分たちが行くまでは足止めする自信があるに違いない。
 しかし、ゼルガディスのそうした考えは、シルフィールの疑問によって砕かれる。

「あの……」
「なんだ?」
「あの、リナさんは一体……どういう方なんでしょうか。今まで疑問に思わなかったんですが……」

 シルフィールがおずおずと切り出すと、今まで俯いて黙っていたデビットも顔を上げた。

「リナ――そうだ、あの小娘さえいなければっ!」
「伯父様、まだそんなことを……!」
「そうだろうが! 王になりたくないかと唆したゼロスも、あの小娘が出てきたら、連れてきたやつらをどう使ってもいいが、小娘だけには手を出すなと言う。なにより、我らはエルメキア五聖家の血を重んじなければならないはずなのに、王は身元も知れない小娘に現を抜かす始末……」

 エルメキア五聖家の血と言われ、ガウリイが小さく反応するのが見えた。
 彼もやはり重い血の枷から逃れられない者なのだろう。
 ゼルガディスはその枷と感情の間で揺れ動くガウリイの心情を感じた。

「こんな事があっていいはずがないだろう! 確かに王暗殺は私としても行き過ぎていると思っていた。けれど、それを退ける力のある王であれば、この乱世を乗り越える力を持っているといえよう!」
「それは詭弁だ。たとえそう思っても、王暗殺など企んでいいことではないだろう」
「……確かにその非は認めよう。確かに私はゼロスに唆され動いた。だがどうだ? 最初の頃はいい。けれどあの小娘のおかげで、王は自分の責務を放棄しようとしている。わざわざ姪を城にやって、現実に戻るよう仕向けても、姪には目もくれず、あの小娘のことしか考えなかった!」

 激昂して言ったデビットの話に、ゼルガディスは内心その通りだ、とため息をついてしまう。
 暗殺という事実だけを見れば、デビットはれっきとした反逆者だ。処刑されてもおかしくない。が、言い逃れで出た言だとしても、デビットの言い分はある意味正しかった。

 ただ彼が王位を欲するだけでなく祖国を愛しているのなら、ゼロスの甘言に乗って国内を乱すのは好ましくないはずだ。どこかで、自国を救う手立てを考えるだろう。
 デビット自身を考えても、カリスマはないが五聖家として受けてきた教養は、王として立つのに相応しいだけのものはある。救済策がないわけではないだろう。
 きっと、その中の一つの手――それが姪のシルフィールだったのだろう。
 ガウリイがシルフィールを娶り、王妃の後見として立つことができれば、それはそれで満足したのかもしれない。名誉ある立場になり、そしてエルメキアには王の婚姻ということで活気に満ちるだろう。

 けれどガウリイは、シルフィールのことを見ず、リナと一線を越えてしまった。
 ガウリイもそのことに気づいたのか、口を引き締めると押し黙ってしまう。
 リナが悪いわけではない。けれど、リナという存在がこの国に一石を投じたのも事実だ。
 重い沈黙が訪れた時、それを破ったのはシルフィールだった。

「すみません。こんなことをここでお聞きしていいものか分かりませんが、ゼロスさんがリナさんをどう扱うのか心配なのでお聞きします」

 勿体ぶった物言いに、その場にいる者たちは神妙な顔つきになる。
 シルフィールは彼らの視線を受けながら、一呼吸すると彼女は静かに語りだした。

「ゼロスさんが言っていました。リナさんには素晴らしい力がある、と。確かにリナさんの魔法がすごいことは分かります。けれど、それだけではリナさんに執着する意味が分かりませんでした。でも……」

 シルフィールは早口で言い、そこでいったん言葉を切った。

「彼はその後、こうも言いました。『前ゼフィーリア女王の第一子ともあろう方が……。本来なら、貴女がゼフィーリア女王として君臨していたはずなのに』と。これが本当でしたら、リナさんは一体……」

 シルフィールの質問は、その場にいる皆を凍らせるのに十分だった。

 

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