第3章 リナとゼロス、そして創世記-8

 旧世界の遺産――魔族の欠片と聞いても、リナはピンと来なかった。
 神族も魔族も神話の中の物語であり、今はただ、その名残として遺跡が各所に残るのみだ。
 あちこちに建っているスィーフィードを祀る神殿も形だけのもの。

「……で、あなたはその魔族の欠片を手に入れてどうしたというの?」
「そうですね。今まで教えられてきたことと違うことが分かりました。そして、信じられなくなったんです。今まで自分が信じていたものが――生まれてから二十年以上ずっと教えられてきたことは間違いだったんです」

 リナは静かに息を飲んだ。
 確かにゼロスが魔族の欠片により、『本当の創世記』を知ったのなら、間違っていたと解釈してもおかしくない。

「僕はね、リナさん。その過去が許せないんです」
「……」
「この世界は間違っています。見たくないことに目隠して、真実から目を逸らしている。リナさんもそう思いませんか? ましてやリナさんは一番の被害者でしょう。どうして怒らないんですか?」

 ゼロスが感情を抑えながら話す様子を見て、ゼロスが神代の時代のことも、魔族の力の欠片から知ったのだと確信する。
 そして、ゼロスの口から出た被害者という言葉を聞いて、客観的に考えればその通りだろうと感じた。
 けれど、そう感じただけで、リナには周囲に対しての怒りの感情は沸かなかった。

「怒る気はないわ。あたしが怒りたいところはそこじゃない。あたしが怒りを感じているのは、あんたが勝手な思い込みでこの世界にいらぬ争いを起こしたことに関してだわ」
「いらぬ争いではありません。真実を知るための大切な手順です」

 リナは信じられないという心境でゼロスを見た。
 リナとてゼロスの言いたいことは分かっている。
 この世界の人たちが信じている『創世記』に誤りがあることは、リナ自身が良く分かっているのだ。

「それでも、あんたが知る真実が、全ての人に真実になるとは限らない。それに、知らないほうが幸せなことだってあるわ」

 それに誤りがあるからとそれを正すために、この世界を血に染めていい理由などどこにもない。

「ライゼールをけしかけてこの世界全体を血生臭くした理由とやらは、そんなことのためなわけ?」

 ゼロス自身が潔癖症で過ちを許さない性格なのか。
 また、手にした魔族の力の欠片に精神を浸食されてのことなのかは不明だったが、どちらにせよ見過ごせるわけがない。
 魔族の欠片がきっかけなのかもしれないが、あれだけの血を流しても平然としているゼロスに恐怖を覚える。
 その恐怖から逃れるためか、リナは怒りの感情を優先させ、ゼロスを非難する。

「もしそうなら、あんたは狂ってるとしか言いようがないわ」
「そうかもしれませんね。魔族の目的は全てを無に帰すこと。母なる金色の海へと戻ることでしたから」
「……知っているわ」
「僕が持つ力だけでそれがなせ得るとは思いません。けれど、間違ったこの世界の考え方を一掃することは可能かもしれない」
「はた迷惑な話だわね」
「それが貴女のためになっても?」
「迷惑よ」

 リナにはゼロスの言いたいことは分かる。
 けれど、それを黙って見過ごすことなどできない。

「あんたがそれを強行するのだとしたら、あたしは絶対に止めるわ」

 リナは面と向かって断言するとゼロスを睨みつけた。
 ゼロスは持っていたカップをテーブルに置くと、軽くため息をついた。

「家族のためとでも言うのですか? それともゼフィーリアのため? セイルーンの王女ため? そうですね、やっぱりここはエルメキア王のため――と聞くのが一番なんでしょうか」

 揶揄するようなゼロスの言葉に、リナははっきりと言い切る。

「どれも、よ。あたしは、あたしの大事なものに手を出されるのが大嫌いなの」
「やはりそう言うと思っていました。残念ですね。できれば失われし神代の言語――『混沌の言葉カオス・ワーズ』を操る貴女をこの手にしたかったのですが――」

 ゼロスは如何にも残念そうに言いながら、静かにソファーから立ち上がる。
 リナもそれに合わせて立ち上がり、テーブルを挟んで対峙する。
 互いに口にしないが、交渉が決裂した以上、残るのは戦いしか残っていない。

 ゼロスは自分が信じるもののために。
 リナは大事な人を守るために。
 互いに、己の力と命を賭けて。

 

 ***

 

 エルメキアの城にて、彼らはランドールへと使者を送り、返事を待つというのが手順だった。
 返事が着たら、すぐにでも動けるようにと、ランドール家に近い門のところで待っていた。
 それなのに、ランドールからやってきたのは当の本人――デビット=ランドールと暗殺者十数人の御一行様だった。

「おい。オレ、書簡に間違った書き方したか?」
「してないと思うぞ。俺たちも見てたし」
「じゃあ、なんでいきなりこんなことになるんだ?」
「向こうには向こうの都合とやらがあるんだろう。気になるなら本人を捕まえて聞き出せばいい」
「そーする」

 男たちの中で唯一女性であるアメリアを守るように囲みつつ、男三人はいまいち緊張感に欠ける会話を、剣を構えながらしていた。
 彼らは今まで暗殺者を何度も退けてきた実績があり、また各々の力量を考えてもこれくらいの数でどうにかなるものではないと分かっている。
 だからこそ、どうして今まで黒幕として決して尻尾を掴ませなかったデビットが、こんな暴挙に出たのか彼らにとって理解できないものだった。

「くれぐれも言っておくが、リナが心配ならデビット=ランドールだけは殺すなよ。まだ裏がありそうだ」
「分かってる」

 ゼルガディスがガウリイに念のためにと言うと、ガウリイは力強く頷いた。
 やり方を間違ってはいけない。
 間違えば、リナを失いかねない。
 やっとこの手にできたのに、このままでは永久に失ってしまいそうで、体が震える。
 ガウリイは真剣な表情に戻り、剣を構えた。

 

 ***

 

 そこから先は早かった。
 三人で向かってくる暗殺者を一人ずつ仕留めていく。
 彼らには手加減をしなくていい分、楽といえば楽だった。
 そうして暗殺者が倒れていき、残り数人になった時、ゼルガディスの視界の隅に、逃げようとしているデビットの姿が目に入った。
 まずいと思ったが、ゼルガディスも、他の二人も暗殺者を相手にしている。このまま逃げられてしまう――と焦った。
 が、そこへ甲高い声が響く。

氷の矢フリーズ・アロー!!」

 アメリアがデビットの足元に『氷の矢』を放つ。
 それが足元に触れるや否や、彼の足元は凍りつき、身動きが取れなくなってしまった。

「くそっ!」
「そこまでだ。観念してもらおうか」

 毒づくデビットにゼルガディスが剣先を向けると、彼は頬に一筋の汗を流した。
 それでももう逃げられないと悟り、がくりと膝を突いて氷の上にしゃがみ込んだ。

「どうしてこんな事をした? 今のこのときを考えれば、我ら五聖家が力を合わせなければならないというのに」
「……」
「二年前、貴方は自分の年齢を考慮し、王位から身を引くということをした。貴方は自分の立場を弁える方だと思っていたのに……」

 当時のことを振り返り、ゼルガディスはデビットのことをそう評した。
 彼は特に際立った才能がないことと、自分の年齢を考えて、いらぬ争いを起こさぬようにと、彼のほうから放棄したはずだった。
 それなのに、どうして今になってこんなことをしでかしたのか。
 まさに乱心したとしかいいようがなかった。

「貴様らに何が分かる!? 若く、才能もあり、これからの未来も自由にできる貴様らに!!」

 俯いていた顔をいきなり上げてゼルガディスを睨みつけた。その目にはまだ野心が残っている。
 デビットのあまりの変わりようにゼルガディスは眉をひそめた。
 少なくとも、年賀の折に挨拶を交わしたときには、今のようにぎらぎらと野心に満ちた目を見せることはなかった。
 その時の目は穏やかで、野心を隠していたとも思えない。

 ――いったい何があった?

 何かがおかしい、そう感じ、口を開こうとした時に、上を向いているガウリイが目に入る。
「どうした?」と問いかけながら上空を見上げると、ふらふらしながらランドール家の養女、シルフィールが降りてくる。
 否、落ちてくると表現したほうが正しいかもしれない。
 落下地点に一番近いルークがシルフィールを受け止めると、目を回しているようで、焦点の合ってない目で「ぶ、無事だったんですね……」と力なく呟いた。

 

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