第2章 自覚~思いが通う瞬間-16

――実はあいつはリナの前に別の女性を好きになっていた。
  けれどその女性とは付き合うことも、滅多に会うこともできない状況だった。
  だから、あいつは近くにいるお前を身代わりにしたんだと思う。

 ベッドに腰掛けるリナの頭にはゼルガディスの言葉が駆け巡っていた。
 リナとて、ガウリイがリナに見せていた感情全てが偽りだとは思っていない。
 けれど、その感情の根底に、その女性がいるのは事実だろう。

「ただの身代わり、か……」

 リナは虚ろな瞳でそう呟いた。そして、いつまでたっても自分は誰かの身代わりでしかないのか、という事実に胸が痛くなった。
 ゼフィーリア城にいる時も、認められるためには妹の代わりを演じるしかなかった。
 もちろん両親や妹にとっては身代わりではないが、リナの存在を知る重臣たちはそう思っていたはずだ。体の弱い妹のただの代役。それ以外では厄介者でしかない、と。
 そんなゼフィーリアを出て、その身代わりから抜け出して新たな世界に飛び出たと思った。
 それなのに、自分を必要としてくれた存在も、また誰かの面影を重ね、身代わりにしていた。
 考えれば考えるほど悲しくなってきて、これ以上ここに居たくないという気持ちになった。

「やっぱり……ここを出ようかな……」

 体はまだ本調子ではないが、明日になってガウリイの顔を見たら、出ていこうという気持ちが揺らいでしまいそうだった。
 リナは急いで荷物をまとめて、静かに立ち去ろうと心に決めた。
 そうとなると大人しくしていられない。リナは机の引き出しに入っている小道具をまとめて袋に入れた。衣装箱に入っている衣服は自分が持っていたものを抜き出して、きれいに畳んで袋に入れる。
 さすがにマントやショルダーガードなどの装備を身につけて城の中を歩くことはできない。それらを別の袋にまとめた後、リナは小さな部屋を出ようとして、ガウリイの言葉を思い出す。

『出ていくときは、きちんとお別れの言葉が欲しい』

 このまま勝手に出ていったら、ガウリイは本当に好きな人の代わりに、手に入りそうな自分を探すのだろうか。
 それとも約束を破った薄情な人として、自分のことなどすぐに忘れてしまうんだろうか。
 ガウリイがどちらの行動をとるかは分からなかったけれど、リナはリナなりのけじめをつけようと決めた。
 この時間ならガウリイのところへと人目につかずにたどり着けるだろう。
 会えなくてもいい。短く手紙を書いてそれを置いてこようと思った。
 リナは急いで紙を取りだし、ペンにインクをつけると、簡潔にここを出ていくこと、そして世話になったと短く認める。
 そのあとは中身を他の人に見られないように、封筒に入れ封蝋でしっかりと閉じた。
 そしてそれを持って静かに自室を跡にした。

 

 ***

 

 ガウリイの私室に行くにはいくつか人のいるところを通らなければならない。
 普段どおりの恰好で、荷物を抱えて静かに歩いたが、それでも人の目に留まる。

「こんな時間にそんな荷物持ってどうしたんだい?」
「あ、ちょっと頼まれものをしちゃってね」
「そうかい。でもリナちゃんは本当に働き者だねぇ」
「そ、そう? ありがとう、おじさん」

 何度か会話をしたことのある中年の男性はリナに好意的だった。
 リナの仕事ぶりを見ていて、身分など関係なくその能力を見てくれる。
 リナは純粋なその気持ちにお礼を言ってその場をあとにした。

「とうとうたどり着いちゃった」

 リナの部屋の扉とは違う、大きくて立派な扉。職人技で細かく彫刻された扉は芸術の域だろう。
 その扉を前にして、リナは控えめに小さく叩いた。
 これで返事がなかったら、扉の隙間から先ほどの手紙を入れようと思っていたところに、扉は静かに開いた。

「リナ……いったいどうしたんだ?」
「あの……ええと……」

 いきなり出てくるとは思わず、リナは急に口ごもった。
 ガウリイは風呂上りなのか、夜着を着ており、髪にはまだ水気が残っている。
 普段のきちんとした身なりの時とは違う雰囲気が余計にリナを落ち着かなくさせた。

「リナ?」
「あ、えと……。あの、ね。やっぱり、あたし……ここを出ていこうと思って……」
「え?」
「本当に急で悪いんだけど、思い立ったら即吉日! ってわけじゃないけど、なんとなくディルスあたりに行きたいな~なんて急に思って……」

 すべて嘘だった。けれど他にどういえばいいのか分からず、リナは適当に早口で誤魔化そうとした。
 でも、思えばガウリイがそれに騙されてくれるわけもなく。

「リナ、なにがあった?」
「え?」
「ゼルになにか言われたのか?」
「べ、別に……っ」
「言われたんだな」
「……」

 真正面から見つめられて、リナは視線をそらした。
 それが肯定することになっても、ガウリイの視線を真正面から受ける気にはなれない。

「なにを言われた?」
「……」
「立場を弁えろとか言われたのか?」
「……ちがっ!」
「じゃあ、なにを言われた?」

 なにを、それは口に出したくないことだった。
 言って、ガウリイが肯定したら、自分は本当に身代わりでしかないことが分かってしまう。
 けれどこの場で他に嘘をついて逃れることはできそうにない。

「……あんたには……別に好きな人がいるって」
「リナ?」
「その人には会うこともできないから……だから、その人に似てるあたしは身代わりだって……」
「……」
「だから、あたし……」
「違う! 身代わりなんかじゃない!!」

 俯きかけたリナの肩に手をかけて、ガウリイは大声で叫んだ。
 その声にリナが「え?」とばかりに顔を上げる。

「最初から、好きなのはリナだけだ!!」
「うそ……」
「嘘じゃない。ゼルがなにを言ったか知らないが、オレにはリナだけだ!」

 ガウリイの真剣な表情はとても嘘をついているように見えなくて、リナは戸惑う。
 もう、なにが真実なのか分からない。その不安から、リナは叫ぶように尋ねた。

「でも! あたしに会う前にその人のことを好きになったんでしょう!? ゼルが言ってたわ。初めてあたしを見たとき、すごく似ていると思ったって!」
「それは……確かにそうだけど、同一人物ならあいつらがそう思っても当然だろう」
「どうして、あたしとその人が同一人物だと言えるの!? あたしは……あたしは……!」

 リナはゼフィーリア城を出るまでほとんど外に出ていなかった。
 夜盗賊いぢめにこっそり出向くことはあっても、他国、エルメキアまでなんて来たこともない。それなのに、どうしてガウリイに出会うことができるというのだろうか?
 だからガウリイがリナとその人は同じだと言っても納得できなかった。
 ガウリイは一息つくと、静かな口調で語りだす。

「春のゼフィーリアとの同盟の時――」
「え?」
「オレはゼフィーリア女王、セラフィーナを見て、一目で好きになった」

(――え? じゃあガウリイが好きなのはセラ……なの?)

「一目見て、彼女の意志の強い瞳に惹かれた。でも彼女はゼフィーリアの女王。諦めるしかないと思った。リナ、お前さんがオレの前に現れるまで――」
「で、でもガウリイが好きなのはゼフィーリア女王なんでしょう? あたしは……」

 あたしはセラフィーナじゃない、そう言いたいけれど、あの時ガウリイたちに応対したのは、セラフィーナに扮したリナだった。
 それは、セラフィーナでなく、リナ自身を好きになったと言えないだろうか。
 でもそんなことを言えるわけがない。けっして知られたらいけないことだった。

「あ、あたしは、ゼフィーリア女王とは関係ないわ」
「あるだろう? どういった理由かは知らない。けれど、あの時セラフィーナを演じていたのはリナだ」
「ちが……っ!」
「あの時、ほんの悪戯心だった。彼女はゼフィーリアの女王で、いくらオレがエルメキアの王といえど、彼女に求婚することはできなくて」
「……」

 リナは否定したいのに、ガウリイはリナの言葉に耳を貸さずに淡々と語り始める。
 掴まれた肩はそのままで、リナは逃げることもできずに、ただガウリイが語る話を聞くしかなかった。

「だから、彼女の髪に袖口のボタンが絡んだとき、つい、彼女の耳に飾られていた小さなピアスをこっそりと頂いてしまった。それを記念にと。それは今でも持っている」
「……っ」

 リナの目がこれでもかと思うほど大きく見開かれる。
 春の同盟の時に失くしたはずの赤い石のピアス。母からもらった大事な、大事なピアス。

(――それは、あの時ガウリイが持っていったというの?)

 リナは信じられずにガウリイの頭に震える手を伸ばした。
 ガウリイは動じず、リナはそのままガウリイの横顔にかかる髪をかきあげて。
 そして、リナの右耳にしているものと同じ、赤い小さなピアスを見つけた。

 

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