第2章 自覚~思いが通う瞬間-15

 その日の夕食は暗殺者に狙われるというハプニングがあった割には明るいものになった。それは主であるガウリイから笑顔が絶えないせいだ。鼻歌でも聞こえて来そうなほどご機嫌なのが分かる。
 ゼルガディスは帰ってきた時とまるきり違うガウリイの態度に、気になってリナのほうを見たが、リナは普段と変わらずに食事をしている。ほぼ食べることに専念していて、隣に座ったアメリア(ほぼ強引に)に何か言われると返事をするくらいだ。
 だが、何かが変わった気がした。
 なんだろう、そう思ってルークのほうに視線を移せば、ルークが目をそらした。その態度に、ゼルガディスは不安を感じた。

(そういえば、あれほどリナのことを気にかけていたのに、いつの間にかに居なくなっていて、今は何も言わない。どういうことだ? まさかリナと会ったんじゃ……)

 ゼルガディスは五聖家に生まれた者としての責任感が強い。だからガウリイに王らしくしろと口うるさいし、リナに対する感情に関しても『リナのために』と言って無理やり抑えこんいた。
 けれどルークは違う。ある程度は五聖家の責務を果たすが、自分の感情を優先することも多々ある。
 そんなルークがあの二人の状況を見たら?
 自分たちの悲恋を重ねて、つい手助けをしてしまうかもしれない。
 今頃になって、戻ってきてから暗殺者たちのことにかまけて、ガウリイとルークが何をしているのか確認するのを怠っていた事実に気づく。
 しかし、今この食事中に尋ねるわけには行かず、ゼルガディスは表情に出すことなく食事を終えた。

「ガウリイ!」

 食事の後の談笑のあと、自室に戻ろうとするガウリイを呼び止めた。

「なんだ? ゼル」

 振り向いた表情は普段と変わらない。いや、リナが大怪我をしたあとなのに、変わらなさすぎる。
 その事実に不安は現実になったことを知った。

「お前、リナの部屋に行ったな?」
「……行った。悪いが、オレはもう我慢しない」

 ガウリイの開き直りに、ゼルガディスがぎりっと奥歯をかみ締める。
 駄目だ。噂になる前にガウリイを説き伏せなければいけない、とゼルガディスは焦った。

「……っそ、そのせいでリナが陰口叩かれてもいいのか!?」
「よくない。だから、人前では気をつける。それにリナもいつかこの城を出るだろう。それでもいいから、オレはもう黙っていることができなかった」
「お前はいいかもしれん。だが、リナは……っ!!」
「リナも承知している。お互い別れがいつか来るのは分かっている。だからその気持ち以上に望まない。ただ、時間を共有し、好きだという気持ちを伝えあうくらいは許して欲しい」

 ガウリイの静かな口調に、ガウリイをこれ以上説き伏せても無駄だと悟る。
 幼い頃からの付き合いのため、普段は物分りの言い彼が、いったん言い出したらきかないことは十分に承知している。もうどんな言葉でもガウリイを説得することはできない。リナのためと誤魔化しても、もう無理なところまで行き着いてしまっていた。
 それにゼルガディスとて鬼ではない。別れることを前提で、それだけの関係だけなら――と思う気持ちがないわけではない。
 けれど今は時が悪い。本来なら同じ五聖家の者で、正妃候補のシルフィールとの関係を深めなければならない時なのだ。それなのに他の女性がいたら、ガウリイの目はシルフィールに向くことがない。同時に二人の女性と付き合えるほど、この男は器用ではないのだ。
 しかしガウリイを止める有効な方法は見つからず、ゼルガディスは口を噤んだ。

「悪い。たぶん……長くてもニ、三ヶ月のことだと思う。だから、だから今は見ないふりをして欲しい」
「……」

 悲しげな表情でもう一度念を押すガウリイは、やはり五聖家の血に連なる者だと感じる。己の立場を理解し、そこから完全に外れることはない。
 悲しいほどに染み付いた――いや、それ以上に強い束縛。まるで己の身体と心を縛る目に見えない鎖に囚われている。
 ゼルガディスはそれ以上ガウリイに何も言えず、ガウリイは「じゃあな」と一言いうと自室へと戻った。
 ゼルガディスは仕方ない、と思いはじめた頃、廊下の柱の影に隠れる一つの気配を感じた。

「誰だ!?」

 この話を聞かれたのならまずい。
 早めに何とかして口を封じなければ――焦ってゼルガディスが強い口調で言うと、影はそっと姿を現した。

「シルフィール」
「すみません。わたくし、ガウリイ様のことが気になってついてきたのですが、ガウリイ様とゼルガディスさんの会話に声をかけることができなくて……」

 シルフィールの声がだんだん小さくなってくる。手を胸の上でぎゅっと握り、視線もだんだん下に移っていった。
 たぶん、すべて聞いていたのだろう。なんてまたタイミングの悪いところに出くわすんだ、とゼルガディスは心の中で盛大なため息をつく。
 けれど顔には出さずに、シルフィールの肩に手をかけて、なるべく優しい口調で語りかけた。

「大丈夫だ。あれはガウリイのただの気まぐれ――たぶんシルフィールと結婚する前に、少し遊んでおきたいだけなんだ。リナも今まで周りにいた女性とは少し違うところがあるから、きっとそこに興味を持ったに違いない」

 優しく、優しくシルフィールを諭すが、シルフィールは首を横に振るだけだった。ゼルガディスの言葉が信じられないのだろう。
 シルフィール自身も薄々分かっていたに違いない。
 先ほどのガウリイの言葉は本心で、たとえそれがリナが出ていくまでだとしても、それ以降も彼の思いはリナにあるということが。
 シルフィールがたとえ正妃になれたとしても、ただその座に相応しい血の持ち主というだけで、彼の心を手に入れたわけではないということが。

「シルフィール、その……」
「すみません。わたくし気分が優れないので失礼します」

 シルフィールは礼儀正しくそれだけ言うと、いたたまれないのか、逃げ去るようにその場を立ち去った。
 そんなシルフィールの姿を見て、やはりこのままでエルメキア王家および五聖家にとって問題だと感じる。
 ゼルガディスはリナの部屋へと向かった。

 

 ***

 

 リナの部屋はガウリイの私室から遠い。こつこつと靴音を響かせながら、ゼルガディスはだんだん質素になってくる廊下を歩く。
 そして、やっとリナの部屋に辿りつき、その簡素な扉を叩いた。

「はい。……って、ゼルじゃない。どうしたの?」
「いや、少し話があってな」
「話? こんな夜に来るなんて急ぎの用なの? あ、長くなるなら中に入る? ちょうど香茶を淹れたところなの」
「……そうだな。頂くことにするか」

 この辺は滅多に人が来ないだろうが、ガウリイがどうのという話を廊下でするのは迂闊すぎる。
 若い女性の部屋に夜訪れるのに抵抗を感じたが、それでもゼルガディスは招かれるままリナの部屋に入った。

「で、話ってなに?」

 リナはカップをもう一つ用意したあと、ポットに入っている香茶を注いだ。
 周囲に香茶の香りが漂い、一瞬和むが、それではいけないと気を引き締める。
 ゼルガディスはリナからカップを受け取りながら、単刀直入に尋ねた。

「今日、この部屋にガウリイが来ただろう?」

 その問いに、リナの手が止まり、目が大きく見開く。その表情が全てを物語っていた。

「来たんだな。で、ガウリイはお前に告白したのか?」
「……」
「そして、お前はそれに答えたのか」
「……っ」

 最初の言葉は質問。そして、それに続く言葉は断定。
 リナの表情を見ていれば、ここでどんなやり取りがあったのか、おおよその見当はついた。
 けれど、それは非常にまずい展開だ。
 ゼルガディスは心を鬼にして、リナにガウリイを諦めることを言わなければならない。

「一つ言い忘れたことがあってな。その前に……ガウリイはお前を好きだと言ったんだな?」
「……ええ」

 すでに否定できないのを悟ったのか、リナはしばらく黙ったあと、短く同意の言葉を口にした。
 ゼルガディスからため息がこぼれる。

「リナ、悪いがガウリイの言葉を真に受けないで欲しい」
「え?」
「実は……あいつはリナの前に別の女性を好きになっていた。けれどその女性とは付き合うことも、滅多に会うこともできない状況だったんだ」
「初めて……聞いたわ」

 ゼルガディスが語ったのは本当のことだった。
 ただ、リナが現れてからその女性の名を口にすることがなくなったから、リナ自身を好きになったことが分かる。
 が、今はその話を利用するしかなかった。
 ガウリイに問いただせば、ガウリイは正直に「そうだ」と答えるだろうことを予測して。

「リナには言わないほうがいいと思ったが、もし後でその話を知ってしまったら、傷つくと思ってな」
「……」
「俺たちもはじめにリナを見たときになんて似てるんだ、と思ったくらいだ。たぶん、あいつは近くにいるお前を身代わりにしたんだと思う」
「……っ!」

 リナがカップを握り締めたのを見て、ゼルガディスはこの話をリナが信じたと実感した。
 今の話を信じれば、きっと自分に向けられた感情は、本当はその女性に向けられるのもので自分に対してではない、という疑いを持つだろう。
 そして、リナのほうからガウリイを拒絶してくれるに違いない。
 エルメキアを守るものとして、ゼルガディスは優しさを心の奥底へと押し隠した。

「……そ、そうだったの、ね」
「ああ」
「……教えてくれて、ありがとう……」
「いや。リナが傷つくのは見たくないからな」

 十分傷ついているのは分かりきっているのに、それでも素知らぬ振りをする。
 巻き込まれたリナには本当に申し訳ないと思う。それでもこの国のためを思うと、人ひとりの思いより優先しなければならない。
 ゼルガディスは用件だけ言うと、すぐに立ち上がった。

「それでは俺は失礼する。あまり女性の部屋に長居するものではないしな」
「ええ。わざわざありがとう」

 いつも元気なリナが、今は弱々しくお礼を言う。
 目にはいつもの強い意志が見えず、反対に光を失った感じだ。
 その姿に胸が痛んだが、これもすべてエルメキアのために、と思い込んだ。

「それでは、おやすみ」
「おやすみなさい……」

 挨拶を交わしたあと、扉をぱたんと閉めると、ゼルガディスは渋面を作りながらため息をつく。
 それから自室へと戻るために歩き始めた。

 

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