第2章 自覚~思いが通う瞬間-17

 信じられなかった。
 失くしたはずのピアスが、ガウリイの右耳に飾られていたことが。

「うそ……」
「嘘じゃない。確かにオレも最初は同一人物とは思わなかった。だってそうだろう? ゼフィーリア女王だった人が、かの国にない色をまとって旅人として目の前にいるなんて」
「……っ」

 ガウリイは耳に触れていたリナの手を包み込むように握ると、その手のひらに恭しく口づけた。
 リナの頬がこれでもかというほど瞬時にばら色に染まる。

「でも、その瞳に宿る光は彼女と変わらないし、どういうことだろうとずっと思っていた。でも……」
「でも?」
「ローズマリーが倒れた時のことだ。リナを捕まえるために抱きしめた時、ちらっと見えたんだ。このピアスが。信じられなかった。まさかあの時のゼフィーリア女王がリナ本人だったなんて……」
「お願いっ、それ以上は――!」

 なんてことだろう。リナはガウリイが好きだった人が本当は自分だったという嬉しさから一転し、他国に自分の存在を知られてしまったことに対して恐怖を抱いた。
 ゼフィーリアは――ゼフィーリア王家は特別な存在。
 だからこそ、自分の存在は決してゼフィーリア王家に繋がってはいけないのに――身体がカタカタと小刻みに震えてくる。耳鳴りがして、今にも倒れてしまいそうだった。
 ガウリイはそんなリナの異変に気づいたのか、リナの背を撫でながら更に言葉を重ねた。

「別にゼフィーリア王家がどうとかオレには関係ない。ただ、オレが好きになったのはリナだけだ。それをわかって欲しいから言ったんだ」
「……あ、でも、あたし……」
「リナのことをゼフィーリアに問う気もないし、リナから無理やり聞く気もない。リナが誤解しそうだったから黙っていたんだ」
「ほ、ほんとう……に?」

 恐る恐る尋ねると、ガウリイは静かに頷いた。

「だいたいここでゼフィーリア王家のことを追及しても意味ないだろう。それよりもライゼールに対して力を合わせる時だ」
「それは……そうだけど……」
「分かっている。リナがそのあたりの事情を話せないのが……」
「ガウリイ……」
「分かっているんだ。オレだって本当はこんな風にしてはいけないことも……」

 ガウリイは辛そうに言いながらも、リナを引き寄せて抱きしめる。
 リナは黙ってその腕に収まった。この腕の中はドキドキするのに安心する。

「でも、どれだけ自分に言い聞かせても、この思いが消せないんだ」
「ガウリイ……」

 自分もそうかもしれない。頭の片隅で分かっていたはずだ。
 ゼルガディスが知略に長けていることを。その能力でリナの素性は、ある可能性を含めてすべて洗いざらい調べてあるだろうことが。
 そしてガウリイのためを思うのなら、夕方のとき、決してガウリイに答えてはいけなかったことも。
 そう、分かっていても口から溢れでた言葉を止める術はなかった。

(理性より勝る感情など厄介だわ。身を滅ぼすかもしれないのに、止める手立てがないなんて……)

 心の中で自嘲しながら、それでもリナの細い腕はガウリイの背に回った。
 背中に触れるとそのままガウリイが着ている夜着を掴む。

「リナが、好きなんだ」
「ガウリイ……ガウリイ……あたしも、やっぱり止められない……」
「リナ」

 リナはガウリイにしがみ付いた。ガウリイもリナを更に強く抱きしめる。布越しにガウリイの体温を感じてこのままずっとこうしていたい気持ちに満たされた。
 柔らかい夜着からは、洗ったばかりの爽やかな香りがしてそれも気持ちよく感じる。
 ずっとこうしていたいと思っていると、ガウリイが小さな声で呟いた。

「やばい、なんかこのまま帰したくなくなってくるな……」

 頭の上で声が聞こえて、その意味を知って頬が熱くなる。
 けれども、もっと一緒にいたい、もっと近づきたいと思うのはガウリイだけではなかった。
 その思いはリナも同じ。

「このまま帰りたくない――って言ったら、はしたない娘だと思う?」

 リナは見上げて同じく呟くように尋ねると、ガウリイの目が大きく見開かれるのが見えた。
 見上げているリナに、ゆっくりとガウリイの顔が近づいてくる。柔らかい唇が触れて離れると、「ぜんぜん。すごく嬉しい」と満面の笑みで答えた。
 その笑顔に後押しされて、リナはガウリイにしがみ付くと、ガウリイはリナを抱き上げて寝室へと向かった。
 抱えられたままガウリイの寝室に入ると、そこには天蓋などの装飾はほとんどない、けれどゆったりできる大きさのベッドが中央に置かれていた。
 ガウリイがそこに近づくと、静かにリナを下ろす。その一連の動作がものすごく丁寧で、リナはまるで自分が壊れ物にでもなった気がした。
 服を脱がしていくのも、白い柔肌に触れる手も、いつものガウリイからは予想できないほど繊細に丁寧に触れる。
 そのせいだろうか、はじめての行為なのに、不思議と怖いという気持ちがない。リナは身も心もガウリイに委ねた。

 

 ***

 

 まるで嵐にあったような気分だった。
 ガウリイは優しかったけれど、それでも異性を受け入れたことのない体には辛いものがあった。それにはじめて知る彼の情熱もまた、リナを翻弄した。
 そして今はすべてが収まり疲れた体を横たえている。
 包み込むようにリナを抱きしめるその腕に、安らぎを感じつつも、明るくなる前にこの部屋を出なければ、と思う。
 すでに体は清め服を着た状態のため、後はここから出ていくだけだ。
 けれど、疲れとだるさ、そして絡みつく太い腕に阻まれて、リナは起き上がることができなかった。
 体調の悪さに、そういえば貧血気味もあったんだっけ。くらくらするのはガウリイに抱かれたせいだけじゃないかもしれない――とぼんやりと思った。

「ね、そろそろ放してくれない? もう戻らなきゃ」
「んーもうちょっと」
「もうちょっとって……あと半刻もしたら明るくなってきちゃうわ。せめてここをでる時は誰にも見つからないようにしなくちゃ」
「う……せっかく幸せに浸ってるのに……」
「もうっ、……って、え?」

 いまだ放さないガウリイにリナはぷうっと頬を膨らませながら、何か文句を言ってやろうと思っていると、ガウリイの手がリナの右耳に触れた。

「ピアス……返さなきゃな」
「いいわよ。ガウリイが持ってて」
「いいのか?」
「ええ。でも、大事なものだから絶対なくさないでね」
「大事?」
「うん。母さんからもらったものだから……でもピアスはもう一つあるし。だから、だからもう一つはガウリイが持ってて。ガウリイが持ってるなら、母さんも文句は言わないと思うわ」

 大事な母からもらった物だから、大事な人に持っていて欲しい。
 リナはそう言うと、ガウリイは「ありがとう」と頷いた。

「――と、本当に戻らなきゃ。こんな恰好で歩くわけにも行かないし、部屋に戻って色々とやることもあるんだからね」
「まだ……どこにも行かないよな?」
「行かないわ。ギリギリまでここに居る。ねぇ、ガウリイ。三時のお茶の時間には二人でお茶をしましょう。でも、それ以外は――」
「分かってる。誰にも知られないように気をつけるから……」

 この部屋を一歩でも出たら、王と臣下に戻る。けれど、午後のお茶の時だけは、二人で語り合うことにしよう。
 思いを隠すのは大変だけれど、もっと触れ合いたいと思うけれど。でもそれがお互いにとって一番いいことだと思うから。

「それじゃあ、王様のガウリイは朝食の時に」
「ただのガウリイは午後のお茶の時間に」

「その時に会いましょう」

 互いに口に出して約束ごとを決めあう。
 それ以外では、決して二人の想いが見つからないように。
 こんなのは悲しい恋なのかもしれない。
 それでも二人の心はとても満たされていた。

 

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