ミアディはエマに新たな着物を着せられていた。
普段着より豪華なそれに袖を通すのにためらいを感じたが、普通の人の婚礼でもこれくらい着飾るのは当然だ、とエマに説得される。
普段は薄めの布でできた下着になるものを身に着け、その上にしっかりとした布地でできた服を羽織り、前で併せたあと、帯で留めている。
今回のものは布地の上等さもさることながら、二枚だけでは終わらず、色の違う薄手のものを数枚羽織ることになった。しかも所々に刺繍などが施されていて、普段着よりはるかに上品で華美なものだった。
たぶん、もう一生着ることはないだろうな、とミアディは思いつつ、腕を持ち上げて袖に施された刺繍を見つめた。その間にもエマはミアディの腰に帯をくるくると何周か巻いて、端を中に入れて留めている。
「さて、あとは頭ね。こっち来て」
「あ、はい」
エマはミアディを少し離れた場所に用意していた丸い木の椅子に座らせる。
祭事や身分が上の者の前に出る場合、女性は髪を結うのがしきたりだった。
ミアディの髪はふわふわとした柔らかめでくるくるした巻き毛で、瞳より薄めの淡黄色。
そのミアディの髪をエマは細い櫛で丁寧に梳いていった。
「ミアちゃんの髪の毛って癖があってまとめやすいわね」
まだ水気を含んだその髪を綺麗にとかしてから、エマはくるくると巻くと、器用に頭の上のほうでまとめ上げていく。
「そ、そうですか?」
「ええ。直毛だとまとめるの、難しいのよ」
「エマさんの髪、とてもきれいですけど……やっぱり大変なんですか?」
エマの髪は黒い艶やかな真っ直ぐな髪だ。今日も婚儀のために、綺麗にまとめ上げているのに、と思う。
きちんとした場所に出るのが初めてのミアディは、髪を結い上げるのもこれが初めてだ。普段は後ろで軽く結い紐でまとめているか、そのままにしているかのどちらか。
だからエマの大変さは分からない。
「大変よ。綺麗にできたと思っても、すぐ崩れてきてしまうの」
「思ったより大変なんですね」
「そうなのよ」
会話をしながらも、エマは着物と同じ色の布で巻き結んで両端をたらす。それと小さいが可愛らしい少し青みがかった花を、ミアディの髪にいくつか絡ませる。
その後は軽く顔に白粉と紅をひいた。
「さ、出来上がり」
渡された手鏡で見た姿は、花嫁とは言いづらい幼さが見える。
まだ幼さが残るミアディに、大人っぽいものは似合わないが、その髪型はミアディによく似合っていた。
「ありがとうございます、エマさん」
ミアディのことを考えてしてくれたのがわかって、エマにお礼を言った。
エマは笑みを浮かべながら、あと少しだから頑張ってね、と告げる。
そうだ、この後、また皆の前に出なければいけないのだ――と思うと、ミアディの体が少しだけこわばった。
人前に出るのに慣れていないし、ミアディに対して余所者だと訝る視線を向けるものもいる。その視線の前に出るのが怖い。
でも、出なければ終わらないのだ。気づくと手に力が入っていた。少し深く息を吸って、心を落ち着かせようとする。
そんなミアディの心境が伝わったのか、エマがミアディの肩にそっと触れて、「後ちょっとだから頑張って」と告げる。
ミアディはなんとか「はい」と答えた。
エマはこの場所の片づけがあるため、祝宴には一人で行かなくてはならなかった。
正直、人前に出るという恐怖だけでなく、体が痛むため、早く横になりたい気持ちが強い。けれど、ここで席を外したら、もう一人の主役であるシュクルに恥をかかせてしまう。
シュクルがすでに席についていればいいのだが――と思いながら、ミアディはゆっくりと明るく声のする方向へ足を向けた。
少し歩くと、ミアディを待っていたかのように、二人の女性が腕を組んでミアディに鋭い視線を向けている。この村に住む、ウズリとロシというミアディより少し上の年頃の娘たち。
この二人はシュクルのことを好意的を寄せていて、ミアディのことを敵対視していた。今日までにも何度か嫌味を言われたことがある。
その二人だと認識すると、ミアディは身を硬くした。
罵られる言葉には、どれだけ経っても慣れるものではないのだ。
「ずいぶん長いお楽しみだったようねぇ?」
「……」
「あら、何にも言えないの? この口は何のためにあるのかしら?」
ウズリはそう言うとミアディの唇に触れて、そのまま指先を横に力を入れて動かした。
「……っぅ」
唇をこすられた軽い痛みと、触れられるという恐怖にとっさに目を瞑った。
同時に瞑った目が潤み、熱を持つ。
「あらぁ、せっかく綺麗にしてもらったのに、汚れちゃったわねぇ」
「なら、これで綺麗にしてあげましょうよ」
ウズリがくすくす笑い、ロシはわざわざ持ってきたものを取り出す。
その手に持っているのはきれいな手巾などではなく、使い古されて汚れて色がくすんでいる家を掃除するための雑巾だった。
けれど、目を瞑ったままのミアディには分からず、その布が触れようとした瞬間。
「うわー、いじめの瞬間、見ちゃったよ」
横から声がした。その後も、「女の嫉妬って怖えな」と嫌味を含んだ声でもう一人。
そのときになってやっとミアディは恐る恐る目を開けた。
左側のほうから、ミアディを助けてくれたのは、シュクルの友人のサハウ、スィク、タカの三人だった。
「大丈夫? ミアディ」
一番最初にミアディに声をかけたのは、年長者のタカだった。
彼はミアディにそっと近づくと、綺麗な手巾をそっと差し出した。
「あ、ありがとう……タカさん」
ミアディの気持ちを察してなのか、必要以上に近づかず、手巾だけそっと手渡す。
それを受け取り、ミアディはウズリの触れたところを拭った。紅が取れてしまっているのなら、一度エマの所へ戻ったほうがいいかとミアディは迷ったが、ここにはまだウズリも、タカたちもいる。
一人でそっとこの場を離れることが出来ず、どうしようかと迷った。
「ちょっと、なんでそんな子に優しくするのよ!?」
「当たり前だろ。俺達はシュクルの友達。そのシュクルのかわいいお嫁さんをいじめる必要なんてないし」
「そんなの天つ人だからってだけじゃない! そんなよそ者……っ」
サハウの揶揄するような返事に、ウズリが気に入らなかったのか、余計に声を荒げる。
「よそ者じゃないよ。生まれた時にはこの村に居たんだから」
「そうだよな。家の事情でしばらくの間離れてただけだし」
サハウとスィクがからかうように言い、タカはため息をつく。そして。
「あのさ、なんでも自分の思うとおりになると思わないほうがいいよ。そりゃ、君は綺麗だから、見た目で騙されるのは多いけどね」
「なっ……」
「顔はいいかもしれないけど、性格を考えると俺はごめんだな」
「俺もー」
たしかにウズリはこの村で一番の器量よしと言われている。ウズリのことは隣の村の人も知るほどに。そしてそれを知っているウズリは、それを鼻にかけているところがあった。
とはいえ、ここでこんな言い争いをしないでほしい、とミアディはウズリの怒気を孕んだ表情を見ながら身を竦めた。
「君がどれだけシュクルを好きでも、シュクルと一緒になることはできないよ」
「……それくらい、私だって知ってるわよ! でも、ただ同じ天つ人だからって理由だけで、この子は……そう思うと腹が立つのよ!」
ウズリは叫びながらミアディを指差した。その行動にミアディの体がぴくりと震える。
けれど、タカは冷静で。
「君が天つ人だとしても、また、シュクルが天つ人じゃなくても……それでも、けして、君を選ばないよ」
冷静すぎる口調に、タカの言葉に嘘が含まれていないのを感じる。
ウズリもそれを察したのか、次の言葉が出ず、顔を真っ赤に染めて睨みつけるだけだった。
この膠着状態はいつまで続くのか、と思われたとき、渦中の人物が現れた。
「こんな所で騒いでんなよ」
話題の中心人物である、シュクルだった。
「お前がのろのろしているせいだろ?」
「俺のせいかよ?」
騒いでいたというのなら、話の内容を聞かれたのかもしれない――と思い、ミアディは余計に身の置き場がなかった。
天つ人だからこその婚礼。そうでなければ成り立たなかった。
それを再確認されているようで、いたたまれなくなる。
(もう、いや……)
タカが貸してくれた手巾を握り締めて小さくなっていると、急に肩を掴まれてぐいっと引っ張られた。
「泣くと化粧が落ちるぞ」
「シュクル……さ……」
「行くぞ」
ミアディの肩に手をかけたまま、シュクルは促すように祝宴の場に向かう。
肩に感じる温もりに、ミアディは少し安堵した。
「こんなことくらいで怯えるな」
「……」
「別に疚しいことをしているわけじゃない。なにも恥じることなんかない」
「……はい」
力強いシュクルの声。でも、ミアディにはその言葉を信じることが出来なかった。
その身を恥じているわけではない。
けれど、その存在を疎まれ続けた彼女には、自分に対して自信がもてなかった。