叫ぶだけ叫んで、私はその場所を後にした。
身分、ってのに全然縁がなく生きてきたせいか、身分という壁のせいでその人自身を見ないこの世界に対してものすごく悔しく感じて。
特に、似ていると思っていたアスル・アズールさえ、そんな考えだったが信じられなかった。
もしかしてテルヌーラさんのように、フィデールのことを下に見ているのかも、って思ったら悔しかった。
私のことも、乙女だから利用できる存在であって、ただの日月珠生という人間なら、あんな風にちょっかい出してこないのかも――といろいろ考えてしまう。
夢中で走ってフィデールの部屋へと向かい、扉を開けて入ると急いで閉める。これ以上、ここの世界の人たちを見たくなかった。
「ミオさん?」
扉を背に俯いて一息つくと、フィデールの声が聞こえて驚いた。
そうだよね、フィデールの部屋だもん。フィデールがいたって可笑しくない。でも返事できずにいると、フィデールは静かに近寄ってくる。
「何か……嫌なことでも言われましたか?」
「……っ!?」
嫌なことを言われたわけじゃないんだけど、でもなんて言っていいかわからない。
ただ悔しさに、顔が熱いのが分かる。思考もぐるぐると落ち着かない。言葉にならない。
ただ俯いて怒りを抑えていると、フィデールの手が優しく頭に触れる。
「庶民院でなら大丈夫だと思ったんですが……嫌な思いをさせて済みませんでした」
「別に…………ん? フィデール?」
もしかして、仕事を庶民院に回したのって、私をそっち向けの書類を持っていくように言ったのって、そのためだった?
「ミオさん? 誰が何を言ったんですか?」
「あ、いや、庶民院の人たちはみんな親切だったよ。きちんとした仕事を任されて嬉しそうだった」
うん、庶民院の人たちはみんないい人だったよ。
私が間違って召喚された人物だと知りながらも、普通に話をしてくれたし。フィデールから頼まれた伝言をきちんと伝えて、書類も渡して、そして気持ちよく外に出れたよ。
問題はその後で。
「では、兄達が何かしたんですか?」
兄達と言われて首を振った。
あの二人は嫌いだけど、関係ないことまで二人のせいにしたくない。
でも、フィデールが慕っているお姉さんの悪口も言いたくなかった。
だから口を噤むしかない。
「ミオさん、もう離宮に戻ってもいいですよ」
「フィデール? だってまだ仕事……」
配分するのは終わったけど、それ以外の仕事がまだ残っているはずじゃあ……。
「ええ。でもある程度片付きましたし、ミオさんも嫌なことがあって疲れたでしょう。少し休んでください」
「駄目だよ。それじゃあ、私何のために手伝いにきたか分からないよ。それに……それにフィデールは頑張りすぎるんだから、見張ってないと休まないでしょう?」
本当はそれもあるけど、私がここにいることで他の人が来ないんじゃないかという考えが頭を過った。
さっきの侍女は口が達者そうだったし、きっと他の所でこんなことがあった――と大げさに話していそうで。いかにもお喋り好きな感じだった。
そうなると、それはすぐさまフィデールの所に行くだろう。そう思うと、私はここに残ったほうがいいんじゃないと思ったんだ。
身分が上の人をなんとも思わない異世界の住人。だから偉そうにフィデールに文句を言ってきても、私がいれば多少は言いにくいはずだ。
特に上の王子二人は私がいるってことで全然ここに来ないし。フィデールから色んな用事を言いつけによく来ると聞いていたのに、だよ。だから私がここにいる意味は多少はあると思うんだ。
「ミオさん、もう一度言います。ここにいたらまた嫌な思いをしますよ?」
フィデールがもう一度問いかける。
確かにそうかもしれない。でも最初に決めたことだから。
何やってんだろう。最初にフィデールに念押しされた時、なんでも聞き流すから構わない、と言ったのは自分なのに。
たったあれだけでフィデールを心配させるなんて、来た意味ないじゃないか。
「大丈夫。心配かけてごめん。ホント、暗い顔してたら気になるよね。ちょっと嫌なことがあっただけだから、そんなに心配しなくても大丈夫だって」
「本当に?」
「ホント、ホント。フィデールって心配性なんだから」
なんでもなかったように、俯いていた顔を上げて笑ってみせる。
「心配にもなります。ミオさん気づいていますか?」
「なに?」
「ミオさんは私のことを頑張りすぎると言いましたけど、ミオさんは物分りが良すぎます。そして我慢しすぎてます」
何をもってそんな風に思うのか――誤魔化そうとしたけれど、フィデールは至極真面目な顔で、こっちが笑って否定しようとしても信じてくれなさそうだった。
「……そ、そんなことない、よ、うん。フィデールの考えすぎだって」
「そんなこと、あるから言っているんです。普通、いきなり異世界に連れてこられて、還るまで一年もかかるなんて聞けば、文句やわがままが出てきますよ?」
「いやそれは……向こうにいるよりいい生活だからさ。それに最終的には還れるんだし」
「それに、今も嫌なことがあったのに、私に言わないで我慢しようとしているでしょう?」
「そんなこと……」
だって言えないよ。フィデールのお姉さんのことだもん。ちょっと私が我慢していれば済むことじゃない。
テルヌーラさんのフィデールに対する感覚は変だと思うけど、それをあえて表に出してフィデールに嫌な思いをさせるよりずっといいよ。
「ミオさんは彼と似ていると言ったけれど、私にしてみるとあまり似ていません。ミオさんは彼に比べて素直すぎます」
「そんなことない……よ」
「いえ、本当にある意味素直ですよ。顔に出やすい。言葉に出しやすい。けれど、我慢してしまうところも多いですね」
「なんでそんなにはっきり言い切れるわけ? フィデールとの付き合いだってほんのちょっとじゃないか」
フィデールに自分の心を暴かれていくようで、居たたまれずに視線をそらした。
こんな風に言われるなら、言われるとおりにさっさと離宮に戻ればよかった、と思えるくらい後悔する。
でも、反対にフィデールは人をよく見ている、と改めて思う。
「少しでも分かることは分かります。それに、ミオさんの性格は王宮には向きません。嫌な思いをして、思わずそれに対して返してしまいませんでしたか?」
「……」
「そして、そのことに対して私に苦情が来ると思って、私に迷惑をかけると思っていませんか? だからここにいて、来たら自分がなんとかしようと思っていませんか?」
だから……だから、何でその時のことを見たかのように言えちゃうわけ!?
侮ってた。侮っていたよ、フィデールの頭の良さを!
でもそうだよね。フィデールの立場で頭が良くなければ、こんな風に残っていられるわけがない。
それでも今もなんとか立っていられるってのは、それだけ自分の立場や能力なんかを理解しているってことで。
正直、私なんかが少しでも……ってのは本当におこがましいことだったんだ。逆に足引っ張って――
「ごめん。でもどうしても黙っていられなかったんだ」
「構いませんよ。ミオさんに押し切られて連れてきてしまった私の責任です」
「ちが……っ、だからそうじゃなくてっ!」
続けてまた悔しくなって、最後まで言えずに俯いてしまう。
同時にフィデールの本当の優しさを感じて目が熱くなる。テルヌーラさんと違う、本当の優しさをフィデールは持ってる。
どんな身分でも、ちゃんと人を人として扱って、話を聞いてくれる。
それだけでも、すごく嬉しいことなんだ、と改めて感じた。