――あたしがここでやるべきことは終わったわ。だから、さよなら、ガウリイ。
心のどこかでこの言葉がでてくることを覚悟していた。
けれど、覚悟していても衝撃は強かった。頭の上から足のつま先までいっぺんに凍りついたような気持ちを味わう。
ガウリイは震える声で小さく呟いた。
「い、いやだ……」
「――ガウリイ」
今にも泣きそうな顔で、それでも気丈に涙を見せない。
意志が強すぎる――と思う。
もっと弱ければ、頼ってくれることもあるだろうに、リナは決して頼ってはくれない。
「ガウリイ分かって。みんなにも分かってしまったし、これ以上あたしが側にいてもいいことないわ」
「いいことってなんだよ!? 好きだから側にいたいって気持ちがあれば十分じゃないか!」
ガウリイは努めて冷静に話すリナを見て、自分との別れはそんなに悲しくないのか、と理不尽な怒りがこみ上げてきた。
本当は分かっている。いや、分かってはいるのだと思う。けれど感情は別だ。
自分と同じように、別れたくないと口に出して欲しかった。
けれどリナはどこまでも周囲のことを気にしている。
「駄目よ。あんたはこの国の王なんだから。一時の感情で流されては駄目よ。あんたは……」
「リナ?」
いったんリナの言葉が切れたため、ガウリイはリナを覗き込んだ。
「あたしがここから出たら、あたしのことは忘れなさい」
「……リっ!?」
「それがあんたにとっても、あたしにとっても一番いいことだわ。あたしは……あんたが他に誰かを正妃でも側室でも、迎えるのを見たくない」
まっすぐ見つめてくるリナを見ながら、ガウリイは何が一番いいことなのか考えてしまう。
リナは人々にとって特別な国の王族の血を引く者。けれど、その容姿から表に出ることはできない。
ガウリイはこの国の王だ。次代へと血を繋ぐべく、正妃や側室を娶り、世継ぎを望む声に応えなければならない。
二人の立場はまったく違い、本来なら会うこともないだろう。
立場上、リナは隠れて存在しなければならず、また、ガウリイはリナ一人だと言い切ることもできない。
「でもリナ、オレは……」
どう言っていいか分からない。
立場を考えれば別れるのがいいのだろう。でも感情は別だ。
ガウリイは返事に窮してしまった。
***
好きな人の側にいたい。独占したい。
それはそういった感情を持てば自然と持ってしまう気持ちなんだろう、とリナは改めて実感していた。
昔、自分には程遠いと思って見ていた本の主人公の気持ちも、今なら分かる気がする。同時に気持ちだけではどうにもならないことも理解できた。
「でも、あたしはそんなこと言える立場じゃないの。だから、あんたが国のためにすることを黙って見てなければならない。でも嫌なの。理解はできるけど納得はできないわ」
「……」
「あたし、我が儘だから、他の人の所に行くガウリイを見たくない」
リナはガウリイにきっぱりと言い放った。
リナ自身、これほど独占欲が強いなんて思ってもいなかった。
それでも嫉妬という感情は、自分の心をこれだけ狭くしてしまう。以前はシルフィールという存在に、次はまだ見ぬ女性たちにまで嫉妬してしまう。
「ゼロスのこともなんとかしなきゃならないわ。でも、それが終わったからといって一緒にいられるわけでもない」
「リナ」
早く終わりにしなければ、引き際を見失ってしまいそうだった。
今この流れに乗じてだから言えるが、この期を逃したら離れなくなってずるずると居続けてしまいそうだったから。
「だから……だからこの関係を知っているのがゼルたちだけの間に終わりにしましょう」
リナは極力感情を抑えた声で、ガウリイに向かって言った。
でも本心ではガウリイに向かって言ったのではなく、自分に対して言い聞かせたほうが正しいのかもしれない。
自分の出生を話すと決めた時から、早く諦めろ、と自分に何度も言い聞かせていたのだから。
「それがリナの望み――なのか?」
「ええ」
(お願いだから、これ以上引き伸ばさないで)
リナは心の中で願う。
これ以上ガウリイが何か言って引き伸ばしたら、自分の意思を貫き通すことはできないかもしれない。自分自身で制御できないこの感情を、頑張って抑えている間に。
(だから早く頷いて!)
「……分かった」
「ガウリイ」
「納得できないけど、リナがそう望むなら――」
個人の感情では離れたくない。
でも、大局を見れば離れなければならない。ガウリイのためにも、自国のためにも。
そして、自分はもう一度ゼロスと対峙するのだ。
文字通り命を掛けて。
その時に、危険なのは自分一人でいい。
「う、ん。あたし自身が望んでる――わ」
リナはもう一度心の中で自分の言い聞かせたあと、静かな声でガウリイに答えた。
「分かった。なら引き止めることはしない」
「ありがとう」
「でも最後に――」
ガウリイは答えるのと同時にリナの腕を取って引き寄せる。
体が軽いリナはガウリイに簡単に引っ張られて、その胸に飛び込むことになる。
びっくりして見上げると、ガウリイの顔が近くにあって、声を上げるより早く唇を塞がれた。
「……っ」
触れたと思ったのと同時くらいだろうか、そのまま唇を割り舌が侵入してくる。
これまでの強引だけど優しいキスと違い、今のそれは更に深く激しく、ガウリイが諦められないという想いを伝えてくる。
でも諦められないのはリナも同じだ。最後だからと、リナもガウリイに応えた。
唇が離れたのはどれくらい経ってからのことだろう。
長いような、反対に短いような時間感覚があやふやだった。
けれど早く夢のような時間から現実に戻らなければ、と自分のほうからもう一度別れを告げようとする。
「ガウリイ……これで、さ……」
「リナ、オレはこの別れは一時的なものだと思ってる」
「……っ」
『さよなら』と言おうとした矢先、ガウリイに止められる。
大きく目を見開いて、リナはガウリイを見つめた。
「すべてを終わりにして、絶対にリナのところに行く」
「ガウリイ……」
「行っただろう。理解はしたけど納得はしてないと。だから、全てが終わるまでになんとかして、絶対にリナの所に行く」
真顔でリナを射るように見つめるガウリイ。そこには固い意思が宿っている。
ガウリイは絶対に全てを成し遂げて、必ずリナの元に向かうだろう。
けれど、期待してはいけない。期待していると思われてはいけない。
「……き、期待しないけど待ってるわ」
リナはそれだけ答えるとガウリイから離れた。
ここから出たら、どうすればゼフィーリアを守れるか、どうすればゼロスに勝てるのかだけを考えなければならない。
自分の気持ちを優先するのはこれで最後だ。
「――さようなら、ガウリイ」
リナは自分の気持ちを押し込めて、無理やり笑みを浮かべた。