境界線の狭間で 03 距離

 あらかた食べ終わった後、ガウリイが食堂に現れた。正直、昨日の今日で、一瞬どういう対応をしていいか迷った。
 けど、ガウリイが遅かったおかげで少しだけ冷静に慣れたのか、あたしはまるで何事もなかったように、いつもどおりの口調で「おはよう」と言った。
 その声に、ガウリイは一瞬だけそのきれいな顔をしかめたが、すぐに気を取り直して「おはよ」と答える。

「あたし、先に食べちゃったから」
「そか……なぁ」
「ん?」

 ここで昨日の話が出たら、なんであんなことをしたのかと問うことができるけど、ガウリイの質問はまったく違っていた。

「どれが美味かった?」
「……」
「なんか、A定食も上手そうなんだが、Bも捨てがたい……あ、単品でもいいのがあるな」
「……AとBを食べたけど、Bのほうが美味しかったわ」
「そうか、じゃあ……おばちゃーん、B定食を三つと海鮮サラダ一つ!」

 出てくるのは食べ物ばかりで、昨夜のことには何も触れない。
 どうしてあんなことをしたのに普通にしていられるのか。いったい何を考えているのか――くらげのガウリイからもそれを読み取れない。
 そこで、あたしはいったん距離を置き、冷静に考えたほうがいいと改めて思った。
 運ばれてきた料理を美味しそうに見ながらフォークを持つガウリイに、あたしは香茶を一口すすってから、極力冷静に話しかける。

「あ、そうだ、ガウリイ」
「なんだ?」
「あたし、仕事請けたの」
「仕事?」
「そ。なんでも、魔道士が必要なんですって」

 仕事の依頼は魔道士のみ募集という仕事。どっかのお偉いさんの護衛とかじゃなく、ある魔道士の研究所が、研究途中の魔法で室内がごちゃごちゃになったそうで。
 いってしまえば、その魔道士の家のお片づけってことなんだけど、触ったら危険な魔法の道具マジック・アイテムなんかもごまんとあるわけで……要するに、ど素人に手伝わせて何かあったらマズイので、研究がばれる不安があるけど、ここは玄人の魔道士に任せよう――ということらしい。
 あたしとしては、面白そうな研究なら、覗いてみるのもいいかなーと思って、目を通していたのだった。それを朝一で見にいって、まだ募集のままだったからそのまま申し込んできた。
 そう。ガウリイと離れて少し頭を冷やすために。

「魔道士だけ? じゃあ、オレは?」
「ニ、三日で済むから、適当にしてて」
「……」
「あ、帰りととかもわからないから、ご飯も勝手に食べてて頂戴」

 研究者には、研究に没頭しすぎて時間を忘れることが多々あるのだ。
 なので、一応、朝は何時からと決まっているけど、終わりの時間は夕食の頃――お腹が空いてきたらという実に曖昧な時間になる。
 でも、先ほど言ったように、研究に没頭すると食欲さえ忘れるのもいるから、お腹が空いたと感じるのが、一体いつになるのかわからない。

「前の仕事でもらった報酬を半分置いていくから、それでニ、三日過ごしてて。ああ、適当に仕事しててもいいわ」
「……」
「んじゃ、あたし、これから行くから」

 話し終えた頃には、もう依頼者のところへ行かなければならない時間だった。
 ガウリイから何も返ってこないことをこれ幸いに、椅子から立ち上がって横に置いてあった荷物を持つ。

「じゃ」

 一人で仕事を請けたことを話すと、微妙に剣呑とした雰囲気に戻りそうになったため、あたしは話を早めに切り上げた。
 座ったままのガウリイは見ないフリして。

 

 ***

 

 依頼主はアイヴィーさんといって、まだ若い男の人だった。
 ただ、魔道士というより研究者という感じで、分厚いメガネをかけて野暮ったい格好をした人だった。

「いやぁ、まさか、あのリナ=インバースさんが来てくださるとは……」

 アイヴィーさんのという言葉に引っかかりを感じるけど、まあ、それは置いておこう。いちおー依頼主だし。

「では、仕事の説明を。一昨日、ある研究をしていたらその余波で家の中がめちゃくちゃになってしまいましてねぇ。なので、この家の片付けと、あと、歪んだ空間の修正――というところでしょうか」
「はあ……」

 空間を歪ませたなんて……いったい、どうやったらなるのよ? どこぞの魔族じゃあるまいし。

「まあ、偶然の産物なので、だいたい崩魔陣フロウ・ブレクで打ち消せるようです。まあ……」
「なんですか?」
「歪んだ空間に足を踏み入れたときは、どうなるかわかりませんが」

 …………おひ。
 ってことは、空間の歪みを感じたら、即座に崩魔陣フロウ・ブレクで元に戻さないと、どうなるかわからないってことかい!?
 あれ、そういえば、その手のヤツって……

白翼翔フェリアス・ブリードをアレンジしたのは効果アリかな?」

 前に魔族が張った結界を破るのに使った手だ。
 まあ、あまり強力な結界だと、この手も使えなかったけど……偶然の産物なら、こういったのでも効果があるのでは?
 などなど、話し出すと、アイヴィーさんは。

「さすがはリナ=インバースさん! そんな考えも思いつくとは……いやあ、私には思いつかない手ですねぇ」
「そうですか?」
「一度試してみるのも手ですね。せっかく、面白いようになってるんですから」

 あ、面白いって言っちゃうんだ。
 でもそういう辺りが『研究者』だよね、なんて思う。

「でもどうやってやるんです?」
「ああ、前に魔族の結界張られちゃって……その時に、結界を崩すために使ったんですよ。結界の外から別のものを呼び出すことによって、結界を不安定させた――ってところですかね」
「なるほど。勉強になりますねぇ。となると、崩魔陣フロウ・ブレクが間に合わなかった時の対策――ですかね」
「ええ。間違って変な空間に入ってしまったときに有効かなと」

 まあ、白翼翔フェリアス・ブリードでどうにか出来ないような強固な異空間となれば、もう手がないので余り使いたくない手だ。その辺も含めてアイヴィーさんに説明すると、彼はあごに手を当てながら熱心に何度も頷いている。

「それにしても、さすがはリナ=インバースさん。小鳥を召喚するような小さな呪文を実戦に役立ててしまうとは……」
「まあ、その時置かれている状況とかを踏まえれば、どの呪文を使えばいいかはたいてい出てきますよ」
「やはり実戦を重ねている人は違いますね!」

 結局、アイヴィーさんと話が合ってしまい、家の片付けはそっちのけで、魔法談義に花を咲かせて初日は終わった。
 ニ、三日で終わる仕事は、そんな感じで予定より大幅に遅れ――日に日にガウリイの表情が険しくなっていくのがわかった。
 でも仕方ないじゃない。魔法に関してはガウリイは聞き役にすらならないんだから。
 なぜか心の中でそう言い訳をして、ガウリイとは極力話をしない日々が続いたのだった。

 


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