紅 20

 後ろから抱きしめられて、その熱を感じて鼓動が早くなる。心臓がものすごく大きな音を立てているようにリナは感じた。
 ガウリイはガウリイで、意気込んで入ってきたのはいいけれど、どう声をかけていいのか分からず、ただリナを抱く腕に力がこもる。
 思うのはただ一つ。リナがこの腕の中から消えてしまわないようにと願うことだけ。
 しばらくの間、二人はそのままの状態で時を過ごした。

 けれどその瞬間ときが永遠に続くわけでない。リナはやっとの思いで、ガウリイに問いかけた。

「――本当に、いいの?」

 問われてガウリイの腕に更に力が入る。
 けれど、リナが少し苦しそうに咳き込んだのを見て、ガウリイはその力を緩め、自分の想いを口にした。

「ああ、リナと一緒にいたい」
「人として生きていけなくなるわ」
「構わない」
「それによって、何もかも捨てなければならないのよ」
「全てを捨てるわけじゃない」
「ガウリイ?」
「隣には、リナがいる」
「……っ」

 そう、全てを失くす訳じゃない。何もかもを引き換えにしてもいいと思えるものは、この手の中に残る。
 それに、ゼルガディスたちとも縁が切れるわけではない、とガウリイはリナにそう説明した。

「でも……でも……」
「選べと言ったのはリナだ。そしてオレはリナの側にいることを選んだ。それでもまだ逃げようとするのか?」
「そういう訳じゃ……」

 ない――と心の中で思いつつ、リナはいまだ抱きしめているガウリイの腕の中、身を捩って後ろを振り向いた。
 再会してからなんとなく目を合わせないよう、気をつけていたけれど、今は真正面からガウリイの青い双眸を見つめた。その瞳には迷いの色は見られず、リナは少しだけ安堵した。

「リナがたくさん考えて悩んだのも分かる。リナがそれだけオレのことを考えてくれたってのも嬉しいと思う」
「ガウリイ……」
「でも、それでもオレはリナの側にいたいと思った。それに、言っておくけどな――」
「なに?」

 ガウリイはいったん言葉を切って、リナの体をきちんと自分のほうへと向かせた。
 そして、リナの頬を両手で押さえると、優しい笑みを浮かべる。

「あの時――」
「あの時?」
「リナが混沌へと行こうとした時に、オレはどんなところでもリナに側にいて欲しいって思った」
「……」
「分かるか? オレはもう、あの時に自分の未来を選んでいたんだ――」

 言われて、リナははっとした表情になる。
 そうだ、自分はすでにあの時答えを出していた。余計なことは何も考えず、ただリナを取り戻すことだけ考えて、深い深い場所まで追いかけた。
 普通の人ならそこまでしない。リナだからこそ、追いかけた――あの時から、ガウリイの中の答えは一つだけ。
 それに気づくのに時間がかかってしまったが。

「バカよ……あんたって……。出会った頃は人をさんざん子ども扱いしていたくせに……」
「人の思いは変わるだろう。それに、オレはお前さんが『いつまで保護者しているつもり?』って聞いたとき、『一生』って答えたろう」
「くらげの癖に……覚えてたの?」
「ああ、オレにとって保護者ってのは、どんな時でも守っていこうと思ったからなんだが……。どちらにしろ、お前さんと離れるってのは選択肢に入ってないんだよなぁ」

 リナに出会うまで、旅をしていろいろな人と出会った。もちろん恋もして、愛しいと思う人もいた。
 でも、ガウリイにとって、その女性ひとたちとリナは違うのだ。
 小さな体に信じられないほどの意志と力。そして、その意思は強く揺るがない。いつしか、異性だから惹かれる――ということでは括れないほど、リナという一個人に惹かれていた。
 彼女の生きざまを、彼女の隣で、一番近い場所で見続けたい。彼女に一番近いところにいたい――それがガウリイがリナの側にいたいという原動力だった。

「だから、影響があるから惹かれるんじゃなくて、惹かれる思いを強くしているくらいにしか考えられないんだよな。オレにとっては」
「そんな簡単に……」
「でも、オレにとってはそんなもんだ。それに、オレの体に影響が出て、リナと同じようになったら、それこそずっと一緒にいられるしな」

 重い雰囲気を少しでも軽くするためか、ガウリイはリナに優しく笑みを浮かべた。
 リナは、ガウリイの盛大な告白に恥ずかしくなったのか、ガウリイの視線を外し俯いた。
 そして、自分の頬に添えられた手に、自分の手を添える。リナは泣きたい気分でぼそりと呟きだした。

「バカよ。本当にバカだわ……。あんたならどんな女だって好きに選べるでしょうに。なんだってこんな外見は子どもみたいな女に……しかも普通じゃないのに……」
「バカだって思われてもいい。それでも、オレはリナの側にいたい」
「バカだわ。でも……でも、その言葉を聞いて喜んでる自分が一番バカだわ……」

 頬を紅潮させ、目を潤ませてガウリイを見つめる。
 一人でいることを決めたはずなのに、ガウリイの側にいたいという言葉がこんなにも嬉しいなんて――嬉しくて嬉しくて、気がつくと目から溢れるものがあった。

「泣くなよ」
「……泣いてない」
「嘘つけ。泣いてるくせに」
「泣くのは悲しい時だわ。今は悲しくなんかない。だから泣いてない」

 嬉しくても涙が出ると思えないリナは、目が熱いのを感じても素直に認めようとしない。もともと照れ屋で意地っ張りのため、人前で泣くなんてことしたくない。
 ガウリイに見られているのが照れくさくて、リナは頑として泣いていることを認めなかった。そんなリナを見て、ガウリイはやっぱりリナはリナだなと思う。
 そして、頬に流れる涙を手ですくって、優しくリナに囁いた。

「人間は嬉しくても涙は出るもんなんだよ」

 リナを見るといつも内から湧き出る激しい感情に突き動かされていたが、今は、とても穏やかな気持ちでリナを見ることができた。いまだ泣き止まないリナの顔に、何度も優しく口づける。
 リナはその唇を、優しさを受けて、今まで我慢してきた思いが堰を切って溢れ出した。
 もう声を我慢することもできず、声を上げてガウリイにしがみつく。ガウリイは静かにリナの頭を撫で、リナが納得するまで黙ってそれを聞いていた。

 いつしか声は嗚咽に変わり、そして、それも少しずつ収まっていった。
 部屋に静寂が訪れた頃、リナの膝ががくんと折れて、ガウリイは慌ててリナを掴む。緊張が解け、泣きつかれたリナは、安らいだ表情で眠りについていた。

「リナ?」

 名を呼んでも返事はない。けれど、リナの小さな手がガウリイの服を掴んでいた。
 あれほど突き放していたのに、心の内では『行かないで』と思っていたのだろうかと、ガウリイは思った。

「オレはずっとリナの側にいるよ」

 眠っているリナが分かるわけではないけれど、それでもガウリイはそれを口にした。
 まるで何かに誓うかのように――

 

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