紅 21

 ガウリイはリナが目覚めぬよう注意を払いながら装備を外す。その後、自分の分も外すと、リナを抱き上げてベッドに入った。
 安らかな寝息を立てているリナは目覚めることなく、ガウリイはそのままリナを抱きしめて眠りについた。
 手の中にある温もりが愛しく、意識が薄れるまでずっとリナの頭を撫で続ける。
 ガウリイにとって、リナと再会してから初めて穏やかな気持ちになれた時だった。

 

 ***

 

 いまだにどうしていいか分からない三人は、リナたちが泊まっていた部屋に座り込んでいた。
 そして、一時間くらい経った頃、アメリアが口を開いたのだった。

「やっぱり戻ってきませんでしたね」
「まあ当然だろう。それより、本当にこれでよかったのか? シルフィール」

 ゼルガディスに問われ、シルフィールは目を閉じた。
 その表情は穏やかで、とても愛しい人を取られた気の毒な女性とは思えない――ゼルガディスは心の中でそう思った。
 シルフィールはそんなゼルガディスの心情を悟ったのか、穏やかな笑みを浮かべて、ゼルガディスを見た。

「ええ。これでいいんですわ」
「でも、シルフィールさん……」

 アメリアに痛ましげな視線を向けられて、シルフィールは少し居たたまれない気持ちになる。

「確かに、わたくしはガウリイ様のことが好きですわ。そして、リナさんの言葉通りなら、リナさんが離れればガウリイ様は少しは落ち着くでしょう。それに、わたくしといた二年間を出して説得すれば、ガウリイ様は戻ってきてくれるかもしれない。ガウリイ様はサイラーグの町の方にも望まれていたんですもの」

 たとえそういう関係になくても、周囲にはいずれ結婚するだろうと思われていた。
 それに、町の復興にも必要な人材だった。それらを出して説得すれば、一時の激情は去り、また前のように戻ってくれるかもしれないと思う気持ちもある。
 けれど、それでガウリイの心が晴れるわけでもない。心にわだかまりを抱えたまま、ガウリイは生きていかなければならないのだ。
 そして、そんな思いを抱えるガウリイを間近で見ながら生きていくのも嫌だった。
 町のことや自分のことでガウリイを縛りつけて、そしてリナの存在を気にして――どんどん自分が嫌な人間になっていくようで怖くもあった。

「わたくしの今の願いは、ガウリイ様が幸せになってくれることですわ。そして、わたくしではガウリイ様が納得する幸せを与えることができないんです……」
「シルフィールさん……」
「ガウリイ様は人であることを捨てても、リナさんといたいと望んだんです。なら、その願いをわたくしは叶えたいてあげたい――そう思います」

 シルフィールは無意識に手を胸のところで組んで、祈るように呟いた。
 愛しい人が幸せであることが、自分の幸せであるように、と心の内で呪文のように繰り返した。自分のこの思いを昇華するために。
 それは、傍で見ているゼルガディスとアメリアにとって、とても痛々しく映った。

「まあ、その……辛いだろうが、とりあえず元気を出せ。そして明日リナに一発殴らせてもらえ。シルフィールにはその権利があるだろう」
「ふふ、そうですね」

 ぶっきらぼうに慰めるゼルガディスに、シルフィールは笑みを浮かべて返した。

「でも、二人とも自分の思いにすごく鈍感ですわね」
「ああ、そうだな」
「本当に……」

 ゼルガディスとアメリアは苦笑するしかない。
 その辺にいる恋人たちより余程強い思いがあるくせに、自分の思いに気づかない二人。
 いや、違う。ガウリイは気づいていたが、それでも恋愛に疎いリナにあわせて、口に出すことがなかった。

 それぞれ、世界を引き換えにするほどの思いを、
 自分の命を省みず、混沌まで追おうとするほどの思いを持ちながら――

「……ったく、こんなことならさっさとくっつけば何の問題もなかったんだ。それなのに、あいつらは……」
「本当ですね。こんなに周りを巻き込んで……確かにいい迷惑ですよね。これは、シルフィールさんだけでなく、わたしたちも参加してもいいと思いませんか?」
「まったくだ」
「じゃあ、皆さんでリナさんとガウリイ様に一回ずつ……というのはどうです?」

 シルフィールは手をぽんと叩いて、にこやかに提案した。

「わたくしもですけど、ゼルガディスさんもアメリアさんも、わざわざセイルーンから出向いてきたんですし」
「それもそうだな」
「いいですね。でも殴るだけでは芸がないような気がするんですけど…夜は長いですし、ここは二人を驚かすために何か策を考えませんか?」

 アメリアはいたずら心を刺激されたのか、面白そうな表情で指を立てた。
 二人はそれに頷き、二人を驚かすための案を練りだす。

「それはいいですわね。でも、何が一番驚くか……ですよね」

 どうしたら二人が驚くのか、気づくとそれだけを考え始めた三人だった。

「ああ、何が一番効果的か……だな」
「それを朝までに考えないといけませんね」
「あら、でも朝になっても部屋から出てこなかったらどうします?」
「う……」
「それは……」

 シルフィールは殊更なんでもないように言ったが、その可能性がないわけではなかった。
 互いに、逃げに逃げ、追いに追い、そうしてやっと想いが通ったのだ。要するに、物語でいえばクライマックスで一番盛り上がるところであって、二人は互いのことしか考えてない状態だ。
 二人だけの世界を作って、約束した『明日食堂で』ということを綺麗さっぱり忘れ去っている可能性は高い。
 それでなくても、約束を交わした相手は、『くらげ』だの、『脳みそヨーグルト』だのと言われるガウリイだ。
 三人はそれぞれそう考え、そうなると、自分たちは待ちぼうけを食らわされるんじゃないかと心配になった。

「そんなことはさせませーんっ! 出てこないならこちらから出向くまでっ!!」

 また暗い雰囲気に戻り始めた頃、アメリアはいきなり立ち上がって拳を握り締め叫んだ。
 別に暗い雰囲気をどうにかしたいと思ったわけではないけれど、待ちぼうけを食わされるのを考えたら、いつの間にかに叫んでいた。

「だいたい、これだけ周りを振り回したあげく、約束を破り、わたしたちを待たせるなんて言語道断! 悪逆非道! すなわち正義じゃありませんっ!!」
「最後は意味不明だが……言いたいことは分かる。とりあえず落ち着け」

 演説を始めようとしたアメリアをなだめようと、ゼルガディスが立ち上がり、肩に手を置こうとした時に、シルフィールが更に悪乗りした。

「でもそれ、いいですわね。それに、リナさんがガウリイ様と同じベッドに寝ていたら、当分からかえると思いませんか?」
「それもそうですね! 明日七時までに食堂に来なかったら乗り込みましょう!」
「あ、そうなると記憶球メモリー・オーブなんかで現場を押さえると更に良くありません? それを使えばリナさんを当分からかえますよ」
「それはナイスアイデアです! 確か、わたし持っていたような……」
「おい……そこまでは……」

 エスカレートする二人にゼルガディスは手を出したまま、固まってしまった。
 あまり酷いことをすれば、あのリナのこと、町ごと『竜破斬ドラグ・スレイブ』で吹き飛ばれそうだと心配になる。
 とはいえ、表面上でも明るく振舞うシルフィールに、ゼルガディスは心の中で、その芯の強さに敬服した。

 

 ***

 

 一つは幸せに包まれ眠り、もう一つは楽しく談笑をする。
 そんな中、闇に蠢く異形が一つ――

「これはこれは……だいぶ予想外な展開ですね。ガウリイさんの執着も予想外でしたし、シルフィールさんの献身さも想定範囲外でした」

 それは、リナたちが泊まっている宿の上から油断ならない声を上げる。
 夕方まではそれぞれそれにとっていい負の感情を出していた五人は、今は正の感情を出している。

「――気に入りませんね」

 ぼつりと一言だけ呟く。
 気に入らない。
 ガウリイのリナに対する執着も。
 仲間の――特にシルフィールの献身さも。
 なにより、ガウリイを、いや、全てを拒絶しようとしていたリナが心を開いて受け入れてしまったことが。

「まあ、何事も予定外というのはありますし……これから軌道修正すればいいことですね。今夜一晩くらい幸せなときをあげましょう。その後は絶望の淵に立って、僕を楽しませてくださいね――リナさん?」

 闇は言いたいことを言うと、すーっと空間に溶けて消えた。

 

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