紅 2

 ガウリイは予定通りサイラーグを後にした。
 シルフィールが名残惜しそうに見ているのを背に、住み慣れた家を旅立ったのだ。さすがに二年間住んだ街である。離れるのはそれなりに寂しさを感じた。
 久しぶりに昔の装備を身に付けたせいで、そんなことを思ったのだろう。あの頃は命を懸けた旅をしていたのだから。
 けれど、セイルーンに行って、ゼルガディスの様子を確かめたらまた戻ってくる。だからそんなに感慨にふける必要もないのだ。
 ガウリイは改めて街道をのんびりと歩いた。空は雲ひとつなく青く澄んでいて、通り過ぎる風は心地よい。ここ最近、旅らしい旅をしていなかったガウリイには、なにやら新鮮に思えた。

(こうしてると、昔に戻った気がする。というか、オレらしいというか。……こんな風に歩いて、隣にはリナがいて……そう、こんな風にずっと一緒にいられると思っていたのになぁ)

 気分よく歩くガウリイは、そんなことを考えてふと足を止める。

(あれ……オレは今何を思ったんだ?)

 いつも感じる微妙なズレ。違和感。胸の中で凝りとなっているもの――そんなものを感じ、ガウリイは自然と心臓の鼓動が早くなった。
 まるで心臓をぎゅぅっと鷲掴みにされたようで、ガウリイは右手で左胸を押さえた。

(どうしたんだ? オレは……)

 ガウリイにはそれがなんなのか、考えてもわからなかった。
 ただ胸に嫌な凝りとして残る。
 いや、それだけじゃない。なにやら悲しさや虚しさが胸に充満していく。
 このまま考えていたら、わけも分からない不安に潰されそうになり、ガウリイは仕方なく思考をセイルーンへと向けた。
 セイルーンに着いたら久しぶりにゼルガディスとアメリアに会える。多分、リナにも連絡が行っていて、普通に来ているだろう。久しぶりに友と再会できるのだ。そうすれば感じた違和感を払拭できるに違いない。
 やっぱりそれまでは余計なことを考えないようにしようともう一度決め、のんびり歩くことにした。

 しばらくの間歩いていると、かすかな爆音が耳に届く。何やらもめ事が起きているようだ。そういえば、こういうのも久しぶりだとガウリイは感じて、自然と音のする方に足を向けた。
 歩を進めるたびに大きくなる爆音と悲鳴。そこへひときわ大きな爆音が上がり、盗賊とおぼしき数人が宙に舞う。
 こりゃまた派手だな、という感じで飛んでいく人を眺めた。肉眼で服装をしっかり確認できるため、かなり近いのだろう。剣の柄に手をかけて気を引き締めるのと同時に、聞き覚えのある声が聞こえた。

(こ、この声って……)

 もしかして、もしかすると――そんな気持ちでガウリイは木々の間を走りぬける。
 記憶に間違いがなければ、忘れもしない強烈な旅の相棒が盗賊を相手に立ち回っているだろう。
 ガウリイは心が踊るのを感じた。

「ふっ……このあたしに因縁つけるなんて百億年早いわ! さあ! お宝全部置いていきなさいっ!! ホラホラホラッ!!」

(やっぱり……)

 視界が広がると、ガウリイの想像していた光景が目の前にあった。
 数人の盗賊たちが地面に倒れている。数人はまだ剣を構えているものの、声の主の魔法に逃げ腰になっている。反対に声の主は小柄ながら腰に手をあてて泰然と構えていた。
 その様子に、ガウリイは緊張を解いて昔の仲間の名を口にした。

「リナッ!」

 そこにはかつての旅の友、自分が保護者をしていた少女の姿があった。彼女はあの頃と変わりがないように見える。
 声に気づいたのか、少女はガウリイのほうに振り返る。

「へ!? ガウリイじゃない。どしたのよ? こんなところで。あ、ちょっと待っててね。お宝さん巻き上げるまで♪」
「相変わらずだなぁ……」

 以前と変わらないかつての旅の友に、ガウリイは昔に戻った気がした。
 いつも騒がしくて、世のため人のためと嘯いては盗賊に向かい、お宝を巻き上げる。そんな光景が日常茶飯事だったのだ。今回の出会いも、彼女にとっては日常生活の一端だ。
 普通の人なら緊張が漲る場面だというのに、ガウリイの口元には笑みが浮かぶ。

「なぁに言ってんのよ。お宝目の前にして放っておくことなんてできるわけないでしょ? あたしの性格忘れたの?」
「いや、らしいなぁ、と思って」
「くらげの割にはよく覚えていたわね。ってことで待ってなさい、おっ宝さん♪」

 リナが心底楽しそうに言う。
 これは邪魔をしてはいけないな、と苦笑しながら、ガウリイは笑ってリナが盗賊たちを片付けるのを静観していたのだった。

 ***

「へ!? ゼルが人間になった!?」
「ああ、そうなんだ。だからセイルーンまで確かめに行くんだが――リナのところには連絡がなかったのか?」

 あれからリナはしっかり盗賊たちから金品を巻き上げ、その後のんびりと二人で歩いていた。
 現在、ガウリイはリナに状況を説明しているところだ。

「ううん。そんな話はちっとも。でも、ゼルが……ねぇ。まあ、あたしはあちこち旅してるし……アメリアも見つけられなかったんじゃない?」
「そっか。あ、リナも一緒に行かないか?」

 ガウリイはこのままリナと別れるのを惜しく思ったのだった。
 それにリナだってゼルガディスのことを気にかけているのだろうから、誘わないほうがおかしいだろう、と心に言い聞かせながら尋ねた。

「うーん……そうね、人間になったゼルを見てみたいかも。それにしてもゼルってばなんでセイルーンに行ったのかしらね~」

 面白そうに言うリナに、ガウリイは、会った後のゼルガディスの苦労を想像した。きっとゼルガディスが真っ赤になって黙り込むか、叫ぶまでからかわれるのだろう。
 話を広げるためにもそれに乗り、続けようとしたが、リナは話を別の方向へと持っていった。

「ねぇ、それよりガウリイはどーしてたの?」

 リナの問いに、今度は自分の方が危ないと思った。
 いや、それよりもシルフィールと一緒にいたということを、リナに対して言いたくない。なぜかそれが心に引っ掛かり、ガウリイは頭の中でいろいろな理由を考えていた。
 なぜだか分からないが、シルフィール――リナと違う女性――と一緒にいたということに後ろめたさを感じてしまう。
 リナとの関係はあくまで“旅の友”であり、男女の仲ではなかった。だからガウリイが別の女性と暮らしていても、なんら疾しい気持ちになることはないのだが――

「ガウリイ?」

 黙ったままのガウリイに、リナが心配して下から覗きこむ。
 その仕草にさらに言葉がつまった。

「……あーすまん……オレは……今、サイラーグにいるんだ。シルフィールと一緒に街の復興を手伝ってる」
「…………ふーん、そう」

 それでも嘘をつくということが苦手なガウリイは本当のことを口にした。
 その言葉に一瞬リナの表情が曇った。けれど、ガウリイはそれに気づかなかった。反対に恥ずかしさを隠すように頬をかいて余所見をしている。

「ま、ガウリイにも春が来たのねー」

 リナは先ほどの表情とは打って変わって明るくガウリイに返した。
 それに対して、ガウリイは慌てて。

「いや、えっと、まあ……じゃなくて! オレより、お前さんはどーしてるんだ?」
「あたし? あたしは相変わらずよ。いろんなとこ旅して回ってるわ」

 ガウリイの思っていた返事を返す。相変わらずのリナにガウリイは少し安心した。
 同時に心の奥から湧きあがる不信感。

(あれ? そういや、何でオレリナと別れたんだっけ?)

 ガウリイにも旅をする気はあった。
 リナも未だに旅をしている。
 ならば、一緒に旅をしていてもおかしくないんじゃないかとガウリイは不思議に思った。
 しかも別れるきっかけになった出来事を覚えていない。
 もともと記憶力のいい方ではないが、それでも印象の強いリナとの別れをなぜか覚えていないことに、ガウリイは疑問を感じる。
 けれど、その疑問よりもセイルーンに着くまでは昔のように二人で旅ができることのほうが嬉しく、その疑問をかき消した。

(なんか、昔に戻ったみたいだ)

 ガウリイは久しぶりにリナと旅することを純粋に喜んでいた。
 この時、シルフィールの言った言葉は、ガウリイの頭からすっかり忘れ去られていた。
 いや、覚えていても、リナに対して気をつけろというのは無理だろう。
 かつて共に旅をし、共に死線を潜り抜けてきた間柄なのだから、当然といえば当然なのかもしれない。

 

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