夕食が終ってお風呂に入って、やっと自分の部屋に戻った。
誕生日以降、秋月が何かとちょっかいかけてくるので、居間でトリィとウェンさんたちと一緒にいる方が安全だった。
だけど寝る時は自分の部屋に戻らなくちゃならない。以前トリィに「一緒に寝て!」と頼んだけど、ものすごく嫌な顔をされた。同時に、秋月から恨まれたくない、とも。
そのため体力回復後速効で街に行って、安全性の高い鍵を取り付けたのは言うまでもない。
でもこれだけで大丈夫、とは言い切れない。ついでに開けた時に音が鳴るような仕掛けも作った。さあ、これでトラップに掛かることなく入ることは難しいぞ、と自慢したいくらい。
……自分が入るのも大変だけど。
でも、秋月は部屋に入ってくることはなかった。
「変なの。それとも心配のし過ぎ……なのかなぁ?」
ベッドにごろりと寝転がって天井を見上げる。
やっぱりからかわれているだけなのかもしれない。誕生日の時から、秋月が構ってくるのはトリィたちが一緒にいる時ばかり。それ以外で二人の時もあるけど、薔薇の手入れで庭にいる時が一番多い。
気づいてみると、差し迫って身の危険を感じる程じゃなかった気がする。
もしそうだったら、あたしが一生懸命していたことってなんなんだろう。人目があるのにベタベタ触られるのが嫌だとか、トリィに対してもなんか悪いなーなんて思ったり。
秋月に対しても少しは気を遣ってよ、とイライラして――でもそれも秋月の遊びのうちだったのかな。だったら、あたしってすごく――
「馬鹿みたい、じゃない?」
仰向けになっていた体を横にして足を曲げて抱える。体を丸めてぎゅっと小さくなって悔しい気持ちを堪えようとした。
そこに。
「何がだ?」
上から馴染んだ声が聞こえてきて、かたく瞑っていた目を見開いた。
「おーい、せっかく来たんだからなんか反応してくれよ」
いつもと同じような口調で、人の頬をツンツンと突いて遊んでいるのは、あたしの悩みの種である秋月だった。
「なんでっ、どうして!? 鍵かけてあるし、音鳴らなかった!」
「あーなんか仕掛けしてるのは知ってたけど、俺には意味ないし」
「なんでっ!?」
さっきの落ち込んだ気持ちは、秋月の登場でどこかへ一瞬のうちに吹き飛んだ。
別に待っていたわけじゃない。ただ、なんの予測もなくいきなり居るなんて反則だという疑問と怒りの感情の方が強い。
「ほら、吸血鬼って霧に変身できるって能力あるだろ?」
「コウモリに変身とかは聞いたことあるけど……」
「霧にもなれるんでーす。で、霧になれば鍵かかってようと関係ないし」
お気楽な口調。でも、いつの間にかにあたしを跨ぐようにして上に乗っかってるし。なんか一気に身の危険を感じますです。ああ、言葉がちょっと意味不明だ。
「なっ……そんなのズルイ! あたしの苦労はどうなるわけ!?」
「知らん。」
「ひどっ!」
ああこういう性格だったよ、アンタは! と今さら気づいてももう遅い。自分の迂闊さを呪うしかない。
考えてみれば秋月は十三年も辛抱強く待っていたんだ。だから誕生日から三ヶ月弱、これくらい待ったとしても可笑しくないような気がする。
人とは時間の間隔が違うのは分かるけど、十三年ってやっぱり長いと思う。
拾った当初はぜったい守備範囲からは外れているとは思うんだけど……ってか思いたい。でなければ恐ろしいことになっている。
ちょっと待った。とりあえず過去のことは置こう。冷静になるんだ、自分。深呼吸をした後、今までのことをまとめてみる。
秋月は三歳のあたしを拾って養ってくれた。それこそ本心など一切見せずに。十六の誕生日を迎えるまで、セクハラまがいのことをされても、秋月の悪戯がここまで来たか――としか思わなかった。
もしかして秋月は、見た目のおちゃらけ具合は嘘で、かなり慎重な性格なのかもしれない。
――と、分析できた後、とにかくこの体勢と雰囲気を変えないと危ないことに気づいた。そこまで慎重な性格なら、そろそろあたしが落ちる頃合だと判断したからだろう。この体勢はなし崩しにいってしまいそうなほど、あたしは秋月に傾いていることになる。
「そそそそ、それで本日は何のご用でしょうか~?」
少しだけ視線をそらしつつ、裏返りそうな声で尋ねる。白々しいにも程がある質問だとは思う。
自然界の掟では目を逸らしたほうが負け、とある。でもあたしは真っ直ぐに見ることが出来なかった。だからこの時点ですでに負けているといっていい。負けたらどうなるか――それは分かりきったことだった。
決まってるだろう、と極上だと思われる――何故、思われるというと、あたしにしてみると極悪にしか見えないからだ――笑みを浮かべながら、右手であたしの首筋をすーっと撫でる。
…………っ、せ、背筋に寒気が走った。
「ちょっ……やめっ」
同じようなことを何度かされてるんだけど、そのたびに堪えきれずに拒否する言葉が出る。
もちろん素直に言うことを聞いてくれるわけじゃない。次にどんなことをされるのかと思うと体に力が入る。横を向いた体を丸めるようにして、ぎゅっと目を瞑った。
これじゃ逃げることもできない。今日も気まぐれで構うだけ構ったらどっか言ってくれないかなって思う。
「琴音」
あたしの名前を呼んで、目を瞑ったまま硬くなっているあたしの頬を撫でる。
「琴音」
いつもと違う優しくて真面目な声。頬を撫でる手もすごく丁寧。
ヤバいよ、どうしよう。秋月がいつもと違う。誕生日の時と同じだ。
これって本気を出したってこと?
「な、なに……よ?」
気になって目を開けて、少しだけ顔を上に向けると、顎に添えられた手にその動きを利用されてしまう。
おかげで上半身を捻るはめになったんだけど、それについて抗議している暇はなかった。秋月の真剣な表情を見てしまったから。
「しゅうげ……」
ヤバイ。キスされてしまった。今はまだ重なっているだけだけど……絶対これだけじゃ終わらない……よね?
でも本当の本当に本気なのかな? だとしたら、あたしは……
正直、あたしはまだ進路は先――と高をくくっていたのだ。
養ってもらっている身なのに、高校卒業は当たり前だと思っていた。そして後はどこかに就職して――それがあたしの思い描いていた未来。
けれど、十六歳の誕生日に未来を勝手に決められてしまった。しかも、人間から吸血鬼だから思い切り違う。
この家で薔薇に囲まれて、ずっと秋月と一緒にいる――想像しても仕方ないと思っていた未来。でも、続けばいいとも思っていた未来でもあった。
なにより、今とすごく変わるわけじゃない。
トリィと何度も話をして、実はとっくに気づいていた。自分が秋月のことを好きだってこと。
でも認めたくなかった。
自分で気づくより先に、与えられた未来に反発する気持ちの方が、とても強かったから。
でも気付いた今、あたしはどうすればいいんだろう。
「……っ」
つらつらと考えていたら反応が遅れた。
抵抗できないまま閉じていた唇を開かれ、生温かい舌が入ってくる。吸われて絡められて背筋がまたぞくぞくする。でも嫌なものじゃない。
嫌なものなら今だって全力で逃げると思う。
だけど、そう思えない。思えないのが悔しい。
こうしている今も上着の裾からて、手がお腹撫でます。しかも、なんか手が上にほうに向かってませんかね? 身の危険をひしひしと感じるので、現実逃避に実況中継してみるけど、本っ当に現実逃避だわ。
逃げられないんだからしょうがないけど、その先はあまり考えたくないよ。やっと自覚したばかりなんだもの。
「ふ……はぁー……」
やっと唇が離れると、苦しかったために大きく息を吸いこんだ。何回か繰り返して呼吸を整えたあと、薄目を開けると秋月が見下ろしていた。
むう、やはりオネエサンたちを食いまくっているせいか、余裕ありまくりな感じ。ムカつく。
「琴音」
あたしの名前を呟きながら、また近づいてくる。
あたしの右側のほうに頭が移動し、耳に微かな息遣いを感じた瞬間――部屋の扉が派手な音を立てて開いた。いや、開いたじゃない。扉が吹き飛ばされた。
……マジ!? ってか、何が起こったわけ!?
わけが分からず目を見開いていると、ウェンさんとトリィが入ってくる。おかげで思いきり仕掛けの音が響いてうるさい。こんなの仕掛けるんじゃなかった。
ウェンさん、トリィごめんなさい。すごく嫌な顔してるのが分かります……。
「せっかくいいところなのに邪魔するんじゃねーよ」
オタオタしているあたしとは違って、ゆっくりと入ってきた二人を見ていった言葉がこれ。
信じられる? こんなところ見られて、なんで冷静でいられるわけ!?
「邪魔するんじゃない、じゃなーい! あんたが退けええっ!!」
二人が入ってきたおかげで、少しだけ秋月との間に隙間ができていた。
その間に手を入れて、払うようにして秋月を退かす。秋月もそれに逆らわず、素直にあたしの上から退いたけど、反対に上着が捲れていたせいでお腹のあたりが丸見えだった。
「……と、ちゃっかりしてるなぁ」
「ちゃっかりしてるなぁ、じゃない! あたしは露出狂の気なんてないのー!」
急いで服を元に戻しながら秋月を睨む。
秋月は残念と呟きながら、ウェンさんのほうを見る。
「で、邪魔しておいてほんの些細な用でした、なんて言うなよ?」
「言わないよ。分かってるだろ、来てるっての」
「……それくらい分かってる」
ん? 来てるってなに?
分かるように説明して欲しいんだけど、あたしは蚊帳の外で話が続く。
「いいの、秋月? 近づかせたくないんでしょう?」
「分かってる。だからそれなりの――」
「手を打っているのは分かるけど、ここまで来たら琴音ちゃんを危険に巻き込むんだよ?」
「……はー。行けばいいんだろうが」
訳の分からない話を聞いて分析してみる。
なにやら秋月はここに来ようとしている何かに対し、友好的ではない対応をしようとしている――ということみたい。
いまいち理解できないけど、この状況の悪化は免れたと安心した途端、くいっと引っ張られて軽くキスされる。
「なっ……!?」
「悪いけど、続きはまた今度、な」
「……つっ、続きなんてないっ!」
動揺して秋月を平手を食らわせようとする。でも更にその手を掴まれてしまった。
「トリィ、琴音を頼む」
「分かったわ」
「大人しくして、トリィから離れるなよ」
トリィを見た後、あたしのほうに視線を移す。その表情はものすごく真面目で、あたしは反論することが出来なかった。
黙ったままいると、掴まれた手に秋月の唇が触れる。
「っ!」
「じゃーな」
離れた後は、さっきと違う軽い口調に戻る。
何も言い返せないでいると、秋月とウェンさんは窓から出て行き、夜の闇に消えていった。
嵐が過ぎ去った――とは、まさにこのことだろう。
窓の外を見ながら、深いため息をついた。