第4話 徹底抗戦

 あたし、琴音ことねの十六歳の誕生日、そりゃもう大騒動だった。
 養い親――秋月しゅうげつが吸血鬼だとその身をもって知らされて、そしてそのまま仲間にされて。
 逃げだしたら同じ吸血鬼のトリィ――アーティストリィという女性に殺されそうになった。
 いやもう……これだけでも寿命が半分以上縮まりそう。
 あれから三ヶ月近く経つけど、今は毎日毎日、秋月に迫られる日々。
 息つく暇もない――といった感じだけど、そんな中でも友情(?)なんかが芽生えていたりする。

「――で、その後はどうなの?」
「ふっ、そりゃあもう……逃げに逃げまくってやってるわ」

 あたしは遠い目をしながら笑みを浮かべた。
 怒涛の日々を振り返ると、体力回復後から始まった秋月との追いかけっこ、というか格闘というか――まあ自分の貞操をかけての戦いなんで気が抜けない――そんな毎日。
 で、どうしようか考えた結果、トリィを味方につけた。
 初めは命を狙ってきたんで近寄らないようにしていたんだけど、居間で秋月が手を出してきた時に「こんな所でいい加減にしなさいよ!」と割り込んできた時があった。そしたら秋月は案外素直に引いたのよ。ウェンさんが止めようとしてもなかなか止めないのに。
 この差はいったいなに? と思って後で怖々近づいて聞いてみたのだ。

 

  ***

 

 誕生日の日から少し後のこと、すっかり居ついてしまったトリィは、ソファーで寛いで紅茶を飲んでいる。その落ち着いた姿は、まるでこの部屋の主のよう。
 それに引き替え彼女にお茶を出しているあたしは、まるで小間使いのようだった。

「美味しいわ」
「ど、どうもありがとう。あの……」
「なに?」
「ちょっと、聞いてもいい?」

 ドキドキしながら尋ねると、トリィはこちらをちらりと見てから「なにかしら?」と答えた。
 そういえばトリィと二人で話をするのは、誕生日の日以来だ。でもどうしても聞きたいので、気合を入れて疑問に思ったことを口にした。

「唐突だけど、秋月はなんでトリィに甘いの?」
「あら、焼いているのかしら?」
「や、そうじゃなくて」

 聞きたいのはそこじゃないから、と返すと、トリィは少しだけむっとした表情になる。

「なんか、さらりと流されるとムカつくわね」
「ああ、ごめんごめん。えっと……秋月の態度がウェンさんトリィだと天と地の差というか、雲泥の差というか……とにかく気になって」

 他の人に対する秋月の態度を見てないんでなんとも言えないけど、なんかトリィにはだけは甘い。そんな直感がある。
 もともとトリィは秋月のことを好きなんだし、秋月もトリィに対する好意があれば、上手くすれば逃げられるかもしれない、と思ったから。
 あと、秋月が甘い人物ということで純粋に興味があるのと二つの理由から、聞いてみたい質問だった。

「ああ、それは……秋月にとってわたくしは“妹”みたいなものだからよ」
「……いもうと?」
「本当の妹じゃないけれど、小さい頃は彼と一緒に育ったの。だからわたくしには優しくしてくれるわ」
「そう、なんだ」

 秋月の意外な一面を知って素直に驚いた。
 そういえば生い立ちやら何やら、あたしは全く知らないんだと気付く。

「秋月とウェンとは悪友みたいなものかしら。年齢的に二人で組むことも多かったから。秋月は……強くてきれいで、わたくしには優しくて……わたくしにとって憧れの人だったのよ」

 憧れ……あれが憧れの人ですか――というツッコミは恐ろしかったのでしなかった。ここでそこまで聞いたら、出会った時の状態に戻りそうだったからだ。
 でも小さい時から一緒で、自分には優しいとなると、憧れを抱いてもおかしくないのかもしれない。

「“妹”であったけれど、秋月にとってわたくしは他の女性より“特別”だったの。だから花嫁に選ぶとしたら、わたくしを選ぶと思っていたわ。周りもそう思っていたみたいだったし。けれど、秋月は十三年前に姿を消してしまったのよ」

 十三年前――あたしを拾った時と一致する。
 もしかしてその間、秋月は仲間と連絡を取り合っていなかった、もしくはしても最低限の人のみだった?
 でも、なんで? あたしが人間だから?

 仲間に入れるのってすごく厳密な審査(?)みたいなのがあるみたいだし。謎が色々浮んできて、鬼気迫る勢いで聞いてみたのに、トリィはそれ以上答えてくれなかった。
 でも、それから少しずつ話しだして、今ではだいぶ打ち解けてきたような気がした。

 

 ***

 

 ミルクティーを一口飲んで、それから手作りクッキーをパクリ。うん、自分で作ったものだけど美味しい。

「それにしても、いつまで逃げる気なの? というより逃げられると思っているの?」
「うーん……実は逃げられるとは思ってないんだけど、思い通りになるのはムカつくからなるべく逃げてる……のかなぁ」
「なら、秋月のことが嫌いというわけじゃないのね?」
「う……」

 いやまあ、確かにそれについては否定できないというか。嫌いではないんだよ、あんなんでもずっと傍に居てくれた人だし。
 ただ本当にいきなり目の前に「この道を行け!」と突きつけられた身になるとちょっと……。まるで、親に決められた進路を歩くしかない子供のようだ。
 しかも、その道は死ぬまで続いてるし、あたしは素直に言うことを聞くようなタイプでもないし。
 考えていたことをなぞるように口にしてトリィに説明する。

「そりゃ……まあ、秋月のことは嫌いじゃないよ。でもね、秋月はあたしの保護者としてたから、こちらとしては恋愛対象として見てなかったというか。っていうか、そんな風に見られていたってこと自体意外だってのに、更にいきなり生涯ともにする――なんて言われたってねぇ……」
「まあ……確かに戸惑うのも分かるわね」

 とりあえず思いつくまま自分の思いを口にすると、トリィも否定することなく頷いてくれる。
 なので、さらに奥にある本音までポロッと出してしまった。

「それに、こう言うとトリィに失礼だけど、吸血鬼なんだよ? 人じゃないんだよ? そりゃ変な人だとは思っていたけど、ここまで規格外とは思わなかったってのが本音かなぁ」

 ため込んでいた思いを一気に口にして、その後気持ちを落ち着かせるために深く息を吸う。肺に空気が満たされてやっとひと心地できた。
 が、逆にトリィはここまで長々と言われると思わなかったらしく、少し口元がひくついている。
 ああ、ごめん。つい日頃の欝憤が出てしまったのよー。

「な、なんかボロクソに言われていたのは気のせいかしら?」
「うーん、気のせいというか気のせいじゃないというか……というか、トリィ言葉遣い悪くなってない?」
「当たり前でしょう!? ここにいたら変な言葉ばかり覚えるわ! それにあなたたちに合わせているからつい使ってしまうのよ!」

 こちらもまた吐き出すかのように言うと、気分を落ち着かせるためにミルクティーを一口。
 なんか不毛な愚痴の言い合いだけど、こんな感じでトリィとは仲良くなったほうだと思う。
 それにこうやって秋月のことを聞いたりしていると、あたしが知らない一面も見えてくる。だから最近、実はもう必死に逃げるのをやめようかなーなんて思うんだけど、本人を目の前にするとどうしても駄目。
 からかわれると売り言葉に買い言葉だし、“愛してる”なんてあの口から出たら寒気が走るーっ!
 …………ダメだ。あたしの中に恋愛脳ってのがないかもしれない。

「それにしても、よくあれだけ逃げ続けることができるわね。ある意味尊敬するわ」
「うん、それはあたしも同感。でも絶対秋月が手加減してるとは思うのよ。いくらあれから体力、筋力なんかが上がっているとはいえ、秋月に勝てるわけないもの。でも手加減されてる、って思うとやっぱりムカついてきて……ど突けないなら全速力で逃げてやる! って思うのよね」

 昔から立場的に保護者と被保護者で、力の差は歴然。今だって、秋月のおかげで強くはなったけど、その秋月を上回る力はない。
 だからこうして逃げていられるのは、秋月がまだ手加減しているからだ。
 そう思うと、本気を出してこない秋月の言うとおりになるのは、なんとなく癪に感じてしまって……結局、ひたすら逃げに回っている。

「矛盾してるわ」
「……分かってる」

 矛盾してるのは微妙な乙女心から。
 そう簡単に心の整理はできないのよ。ずっと保護者でいた人が、いきなり恋愛対象になったんだもん。しかもただの恋愛じゃなくて、種族という壁をぶち怖して――というか、一方的に破壊されたんだけど――生涯を誓うような相手になる。
 それに、生涯の相手なら立場が対等なはずなのに、まだ甘やかされている。そう思うと微妙に苛々して、そのまま受け入れるのに抵抗を感じてしまうのだ。

 こんな感じにぐるぐる思い悩んで、結局、最後に出るのはため息だ。
 こればかりは頭で考えても仕方ないものだと分かっている。目の前にいるのが秋月だったら本能で動いちゃうんだけど、トリィと話をしていると自分の知らない秋月のことを知ったりして、余計に考えて悩んでしまうのだ。
 そしていると、また深いため息をつくことになる。

「はあ……」
「あまり思い詰めないほうがいいんじゃなくて?」
「うーん……分かってはいるんだけどねぇ。なんて言うか、そう思ってもコントロール出来ないというか……」

 出来ればとっくに楽になっているんだけど。

「じゃあ、やっぱり琴音は秋月のこと好きなのかしら?」
「へ!?」
「だって、どうでもいい相手ならそんなに思い悩まないでしょう? 嫌なら殴って蹴りとばして踏み倒して終わらせてるわ」
「や、それはちょっといくらなんでも酷いから……」

 さすがにそれは……ねえ? トリィって過激だわ。まあ恋敵(?)をいきなり殺そうってんだから、過激といえば過激なんだろうけど。
 でもその後のセリフを聞いて、トリィは前に垂れている髪を手で払いのけながらあっさりと。

「あら、これはあなたが秋月にしていることよ。でもって、そのあと琴音は悩むのよね。本当に矛盾してるわ。そういうのって恋って言わないかしら?」
「ぶはーーっ!」

 トリィの言葉に、あたしは口に含んでいたミルクティーを思い切りふき出した。
 ふき出して服についたミルクティーを、持っていたハンカチで拭き取りながら、それでも頭はまだパニック状態。
 トリィはといえば、「汚いわね」というような目つきでこっちを見てる。
 ふき出しそうなことを言ったのはそっちでしょうが!
 しかもっ!

「こ、濃いですかっ!?」
「字、違ってるわよ」
「こまかっ! セリフをきちんと漢字変換して聞かないで! パニックで可笑しくなってるの!」
「ふっ、まだまだね」
「なにがーっ!?」

 こうして女同士のお茶の時間が過ぎていくのだ。

 

  ***

 

 夕方になって話をやめて、夕食を作り始めた。
 吸血鬼って普通に食事も出来るから、あたしにとっては好都合。長年(?)慣れ親しんだ食事がなくなると寂しいもの。
 最近では、秋月もちゃんと毎日食べるようになったし、ウェンさんとトリィも食事の時間になると集まってくるので、最近は張り切って作る。
 今日のメインメニューはクリームシチュー。野菜とお肉を冷蔵庫から取り出して、先にじゃがいもと人参、玉ねぎを大きめに切っておく。
 そして大きめの鍋に入れて火をつけたところで、ひょっこり秋月が現れた。
 秋月を見た瞬間、さっきのトリィの言った言葉が甦り、本能的に秋月の顔に拳になった手が飛び出ていたのは仕方ないことだと思う。

「……。いきなり先制攻撃か?」
「あー……いやちょっとハエが……」
「ほーぅ、お前はハエを叩くんじゃなくて拳で殴るのか」
「いや、あの、それはその……」

 じりじりと、まさにそう表現するのに相応しいように少しずつ近寄ってくる。
 そうなると本能でこっちもじりじり逃げるわけなんだけど、立っていたのはキッチンのシンクの前。逃げ場はこれ以上ない。

「逃げられそうにないみたいだな」
「う……」

 シンクのへりに手をついて体を反るようにして逃げるけど、さすがにそれも限界。秋月の手はあたしの顎に添えて無理やりあたしの顔を上げさせる。
 そうすると、楽しそう――と表現するには邪気があるような笑みが目に入る。その表情は、まるで猫がネズミなんかを捕まえていたぶる時のものに似ているなって思う。
 いつだって完全に降伏させることが出来るのに、さじ加減を考えながら時間をかけて遊ぶ――そんな感じだ。
 そう思うと心の底からムカムカとこみ上げるものが一気に倍増した。

「ざけんなあああっ!!」

 握りこぶしを下から顎に向けての至近距離からの攻撃。
 避けられずに見事に決まる。「げふっ」と変な声を出してのけぞる秋月に、顔を真っ赤にして怒鳴る。

「手加減しているヤツに落ちてやるほど、あたしは簡単じゃない!」

 そうよ、遊び半分であたしの人生決められてなるものか!
 ――そう思ったのに、秋月の目に剣呑な光が宿る。それを目にした瞬間、小さく震えが走った。
 こ、怖さが倍増した気がするんですけど……?

「ふーん。結構その気になってきたみたいだから――そろそろ俺も本気出そうかな?」
「……え!?」

 先程のニヤリとした笑みではなく、獲物を射抜くような鋭い目をした秋月を見る。怖い。ものすごく怖いんですけど……あたしは喉が自然に上下するのを感じた。
 どうやらあたしは、秋月の“本気”を引き出してしまったらしい。
 背の高い秋月は普通に立っているとあたしを見下ろすような形になる。だから上から見下ろされるような形になるんだけど、それがより迫力を増しているような……なんて思っていると、秋月はあたしの頬に軽く触れながら顔を近づけ――

「楽しみだよなぁ、琴音?」

 耳元でそっと囁いた。
 ヤバい。地雷踏んだみたい。

 

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