第4話 心が伴わない豪華な婚礼

 姉であるクレアトールは、妹のマリアベールに少し遅れて地界へと向った。
 強すぎる薬のおかげで、クレアトールはまだ少しふらついたが、それでも体調の悪さを表に出すことはしなかった。それも何もかも使者から聞いた話のせいだ。
 夫となる“ルシファー”。
 闇を抑えるために、ルシファーはその時一番力がある者が選ばれる。そうでなければ闇を抑えることも、今まで引き継いできた“ルシファー”の記憶と力を受け入れることが出来ないらしい。
 今回選ばれたのは、十六歳の若者。今までにない最年少らしいが、その力は強く有望視されているという。
 力の上ではなんの問題ない地界の支配者。
 問題なのは、嫁ぐクレアトールのほうが年上だということ。普通結婚となれば、女性のほうが年上という場合は少ない。
 だからそれを聞いた瞬間の衝撃を今もはっきりと覚えている。

(私に務まるかしら……?)

 豪華な婚礼衣裳を身にまといながら、周囲には分からないくらいの小さなため息をついた。
 病弱だったクレアトールは、公式な場にはほとんど出ていない。これから行う自分の結婚式を、問題なく終わらせることが出来るか心配だった。
 地界の支配者の婚礼ということで、三日間かけて行う祝宴は大広間を解放し、その間に地界の住人が順番に訪れるという。その間二人は彼らの祝福を受け続けなくてはならない。
 しかし三日間はさすがに長すぎる。疲れた場合は下がって休むことも出来る。けれど、二人まとめていなくなることは出来ないという。
 そんな宴席に三日間も耐えられるかしら? そられの説明を聞いた時、クレアトールはもう一度気を失いたい心境に駆られた。
 けれどそれは叶わず、今、彼女は着飾られて大広間へと向かう道を歩いている。

「そんなに緊張なされなくても大丈夫ですわ」
「レイラ。でも私は……」

 レイラというのは、地界に来てから彼女についた侍女の名だった。
 知らない世界に来たクレアトールのために、と同じくらいの年の女性を選んだという。見た目は地味な印象なのに、その笑顔は心を温かくさせてくれる。
 クレアトールはすぐにこの女性を気に入った。

「そんなに心配しなくても大丈夫ですってば。おかしなところはありませんし、それよりもクレアトール様に見惚れる可能性がのほうが高いですもの」
「レイラったら他人事だから言えるのよ。そんなことあるわけないじゃない。それより、私、公の場に出たことがないから心配で心配で……」

 ほう、と小さくため息をつく。
 レイラに言ったとおり、クレアトールは病弱だったため、公の場に出ていない。人に慣れていないといっていい。クレアトールは王宮の一角の箱庭のような世界しか知らない。
 その世界から飛び出す力を得られたのはいいが、勢いよすぎて他の世界に行く羽目になってしまった。
 しかも予備知識がほとんどない状態で。

(ふう、やっぱり軽率だったかしら)

 あの時、怒りに任せて地界を選んだことを思い出す。
 行動は軽率だったと思うが、それでもここに妹を来させるくらいなら、自分が来た方がいいとも思う。
 地界を軽んじるつもりはない。けれど、彼女が育った人間界よりも、地界は空気が濃くて肌にまとわりつく印象を受けて少し不快に感じる。
 控え目にレイラにその話をすると、笑いながら人界で育ったクレアトールなら、そう感じるだろうという答えが返ってきた。
 地界は人界よりも闇に近い。そのためクレアトールが感じているような差があるという。そのために薬を渡したのだとも言われた。
 確かに貰った薬は強すぎて、弱ったクレアトールにはきつかった。けれど今は少しずつ体力を取り戻しつつある。
 それに空気が重いような感覚はあっても、この地界で日常生活を送るのに支障はないし、いずれ慣れて気にならなくなると言う。

(まあ、マリアが来るよりいいかしら。あの子だとちょっとびっくりしてしまいそうだし)

 優しくて穏やかな気質の妹では、この空気に馴染むのに大変そうな気がした。つらつらと考えていると、大広間へ続く扉にたどりつく。
 両脇に立っている人が扉を開けると、喧騒が聞こえたが一瞬で静かになる。
 大広間にいる人すべての視線を受けて、クレアトールは息をのんだ。

 

 ***

 

 次々と祝福の言葉を贈る人たちに、クレアトールは笑み浮かべてお礼を返していた。
 間をあけて隣に座る夫――ルシファーも同じように礼を言っている。
 クレアトールが大広間に入ってから、もう数時間が経っていた。その間、二人が座る上座に人が尽きることない。
 ルシファーと話をしたかったが、彼との間は人が三人ほど座れるほど距離がある。こっそり私的な会話を交わすのは無理だった。
 ちらり、と横を見ると、まだ若い――けれど精悍な横顔が目に入る。彼は整った美しい顔立ちをしていたが、黒い髪に浅黒い肌、父や弟のレオナールよりもしっかりとした体躯に、逞しいという表現のほうが先に来ると思った。
 自分より三つも年下なのに、席に座って話をしている様子は堂に入っていて、不安になったり出たくないなどとぼやいている自分のほうが子供みたいだ、とクレアトールは悔しく思う。
 そんな気持ちから、思わずルシファーを何度ともちらちら見ながら、地界に降りてきた時を思い出す。

(そういえば、彼とは会話らしい会話をしてないのよね)

 地界に入った時には迎えに来てくれた。その時少しだけ会話を交わしたが、それは歓迎する者と歓迎される者の公的な会話のみ。
 知っているのは、その容姿と声だけ。
 だからいまだに自分の夫だと、現在進行系で結婚式を行っているのだという実感がわかない。
 クレアトールは病弱ではなかったら、すでにどこかの国へ嫁いでいただろう。国同士の結びつきを強くするための政略結婚で。
 そう考えれば、界は違えと今回も同じこと。政略結婚なのだから、相手のことを結婚当日まで知らなくても当たり前なのだと思い直した。

「どうした?」
「あ、いえ。その……」

 視線を感じたのか、いきなりルシファーに声をかけられて驚く。
 彼を見ているのを見られているとは気づかなかったのと、それから盗み見したような気分になって居心地が悪くなる。そのため答えに窮した。

「疲れたのなら少し休むといい」
「でも……」
「この宴は三日間続く。休みたい時に休まないと後が辛い。疲れが溜まる前に休んだほうがいい」
「そう、ですね。では少しだけ休ませて頂きます」
「ああ」

 優しい人なのかもしれない――そう思いたかった。
 知らない世界で夫となる人が優しい人ならば、まだやっていける。
 クレアトールは心の中が少しだけ暖かくなったように思えた。

 大広間から少し離れた所が休憩室になっていて、大広間からの喧騒は聞こえずゆったりと休むことが出来た。
 レイラにお茶を入れてもらって一息つくと、彼女は嬉しそうにクレアトールに話しだした。

「クレアトール様、私が言ったとおり大丈夫だったでしょう? みんなクレアトール様に見惚れてましたよ!」
「そうかしら。でも本当に不安だったのよ。私ああいうところに出たことってほとんどないんですもの」
「そうなんですか? でもクレアトール様は第一王女だったのでしょう?」
「まあ一応ね。でも体が弱かったから、私は宴に出たことはないの」

 夜、風に当たりたくて外に出ると、本殿のほうから賑やかな声が聞こえてきていた。
 そこに出られないことを悲しいとは思わなかったけれど、これなら少しは頑張ってでも出ていればよかったと思う。
 まさか、いきなりこんなに人が沢山いる宴の主賓になるとは思わなかった。

「宴に出る以前に、私は家族と数名の人たちとしか接触がなかったのよ」
「まあ!」
「人界では中心にある国だったから、人は多かったとは思うの。でも私はそれから隔離された所に居たから。だからこんな風に沢山の人と会うだけでも緊張しちゃうの。情けないけどね」

 少し困ったような笑みをレイラに向けると、そのあとはお茶を一口口に含む。

(そういえば……)

 クレアトールは過去を振り返って、ふと四年前の祭りのことを思い出した。

 賑やかな声に誘われて、見えるはずはないのに中庭に出た。
 でも場所は城の中庭。人の声は聞こえてもそこに人がいるわけではない。
 人のいない庭にさみしさを感じていると、目の前にいきなり大きなものが落ちて驚いた。

「なっなに!?」
「……ってぇ」

 一歩後退ってみると、黒い大きな塊は人のようだった。ぶつけたところを擦り、痛いと呟きながら立ち上がる。
 黒い、と思ったのはこの陽気にもかかわらず、黒いマントをしていたからだ。
 誰かと問いかける声に、相手は不機嫌そうにクレアトールを見る。
 少し濃いめの茶色のくせ毛に、大きな緑色の瞳。まだ子どものため声も高い。
 クレアトールはやんちゃな坊主という印象を持った。弟のレオナールとはまた違った可愛さを感じる。

「なんだよ、こっちこそこんな所に人がいるなんて思わなかったよ!」
「こんな所って失礼ね! これでも王宮の中庭なんですからね。それなりの身分の者でなくては入れないのよ!」
「いちおー俺もそれなりのモンだけど。つまんないから俺、王宮の祝宴から出てきたわけだし」
「祝宴から出たって……」

 見上げると、上のほうは会場に繋がる廊下がある所。
 クレアトールは首を傾げた後、落ちたという事実に気づいて笑う。きっと、祝宴から抜け出して、探検のつもりが失敗してここに落ちたのだろう。

「笑うなよ!」
「だって、あまりに器用なんですもの。いくら廊下から外に出られるからって……」
「う、うるさいな。フツーに探検したって面白くも何ともないだろう。だから……!」
「はいはい。そうだ、良かったら庭園の中は案内してあげる。あと、こっそり戻れるように道も教えてあげるわ」
「……頼む」

 ふくれっ面をしていても、赤くなった頬のせいで可愛らしく思ってしまう。
 クレアトールはくすくす笑いながら、男の子の手を引いて庭園を歩いた。
 男の子ははじめてきた場所に興味津々で、あちこち忙しなく動いてはクレアトールに尋ねては面白そうに見入っていた。
 その姿が面白くて、クレアトールもあちこち案内した。
 別れるとき、寂しく思うほど――

(あ、あら。私ってば家族以外の異性と話したのって、あの子くらい?)

 大臣だのなんだのは置いておくと、王女という立場を抜かして話をしたのはあの子くらいだ。
 記憶にない小さい頃は分らないが、覚えているのはそれくらいだろうか。恋はもちろん、他の人と満足に話をしたことがない。
 それなのに、何も知らないまま結婚しなければならなかった。
 けれど今さらやめるわけにはいかない。世界が違う以上、逃げ出しても家族の所にも戻れない。

「あ、あら。やだ……」

 つーっと頬を伝うものを感じて、クレアトールは慌てて手でそれを拭った。

 

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