第20話 王の望むもの

 父を殺して血塗れになり、あげく弟を殺され、信頼していた人も亡くし――それでも彼はその心を隠して、非情な王を演じていたのだ。
 誰にも知られることなく。
 ……って、可笑しいわ。ルイス様はある程度知っていたもの。
 そして、その頃、一番信頼していたのがお父様だった。二人の教育係をしていたというし、もし、お父様がそれに関わっていても、すぐに『セラン』が王を演じていたのだと分かるはず。

「なら……どうしてルイス様は、お父様が裏切ったと今も思っているの?」

 そうよ。表沙汰にできなくても真実を教えてくれたっていいじゃない。
 少なくともルイス様はお父様を信頼していたのに、裏切られたという悲しみがある。教えれば、その悲しみを和らげることはできるはずなのに。

「それは出来なかった。母上を信じていないわけではない。だが、確証もないのに迂闊なことを言えば、どこからその話が流れるか分からなかった」
「でもっ」
「俺は辛抱強く待った。あいつが動くのを。待ち続けて、やっと動いたと思ったら、シェルだった……」

 あいつ――バレリー候のことね。
 だけど王の思うように、バレリー候はなかなか動かなかった。この四年間、沈黙を守り続けた。でなければこれだけ疑っているのに、バレリー候が灰色のままでいられるわけがない。
 でも、私だったって……王は私のことを知っていたの?

「一つ……聞いてもいいかしら? それならあなたは、私が最初から誰か分かっていたということ? そしてその目的も」
「ああ、見てすぐ分かった」
「すぐって……」

 いったいどうやって知ったのよ、と喉元まで出かかったけど、それより先に王が口を出す。

「いや、アルバートから聞いていただけだ。
『息子は真面目だから能力はともかく信用できる。いずれ二人の役に立ってくれるに違いない。上の娘は結婚が決まってしまったが、心優しい娘だった。下の娘は気が強い。誰に似たのやら……ただ髪や目の色などを見るとやはり娘なのだろう、と思うが、さすがにあのじゃじゃ馬ぶりでは、後宮に収まることはないだろう』
 と。確かにその髪の色はアルバート似だ」

 長々説明した後、私の髪の毛を軽く手に絡める。
 ちょっと何よそれ!? お父様って一体私のことをどんな風に言っていたのよ?
 淡々と語る王に私の眉尻が上がっていく。
 でも確かにこの髪の毛はお父様似だったわ。ってことは、最初から王にはバレバレだったってことね。
 はあ、私のしてきたことってなんだったのかしら? 思いきり深いため息をつくと、小さく笑う声がする。

「……あのね、人があれこれ必死だったのに、笑わないでくれない?」
「ああ、悪いな。でもそういう訳ではなかったんだけど。ただ、こっちも色々事情があったからな」
「事情?」
「何も手を打つことなく、ただ殺されるわけにはいかなかったからさ」

 自分の死をまるで他人事のように気軽に口にする王に、私の方が怯む。
 そうして、いつだって死を覚悟しながら生きていたんだ。この人は。
 私とは……まるで天と地ほどに違う覚悟で。

「その手って何よ?」

 それが悔しくて、ここまできても自分の心の内を悟られたくないという気持ちから、不貞腐れた口調で尋ねる。
 でも王は笑って誤魔化して、しっかりとした答えが返ってこない。
 打った手を知られたくないのか、それとも私が知っても仕方ないような裏事情なのか――どちらかは分からないけど、こういった表情をした時は、それ以上突っ込んだ質問をしても無駄だと分かっている。

「ま、いいわ。それじゃあ、それが終わったから素直に来たっていうの? 殺されるかもしれないのに?」
「ああ」

 頷きながら浮かべる笑みは、王とも『セラン』とも違う、静かな笑みだった。
 まるで目的を達成できて満足したのと同時に、目標がなくなってしまった消失感が見える。

「私をどうにかしようとは思わなかったの?」
「いや」
「どうして?」

 もう一度尋ねると、またあの笑みを浮かべる。でもどうしたのかしら、いつものような雰囲気がない。
 バレてしまったから?
 ううん、それだけじゃない。
 この人は……疲れきっている。
 そう、思えるほど、彼の表情はどこか痛々しいものがあった。

「いつか……こんな日が来ると思っていた。俺は父親から始まって多くの多くの人間を殺したからな。いくら罪を犯していたとはいえ、死ねば悲しむ者がいる」
「それ、前に言っていたわね」
「ああ、母上は『王妃』として俺のしたことを容認するしかなかった。でも――」
「『妻』としては許せなかった……?」

 もしそうなら、ルイス様の拠り所は『セラン』しかいない。
 でも、そのセランも――だから隠すしかなかったのかしら。

「憎悪の目で見られたことはない。けど、父の死を悲しんでいるのは知っている……」

 吐き出すように言う王は、疲れきっていて覇気というものを感じない。
『王』である時も『セラン』である時も、力強さがあったのに。
 王はいったい何を求めてここに来ていたんだろう? 他人の気持ちは推し量ろうとすればするほど分からなくなる。
 重苦しい雰囲気の中、私は何を求めているのかと問うと、王は落ち着いた口調で一言だけ。

「シェルの手で、断罪を」

 その言葉に私のほうが動揺する。
 断罪って……なんで今頃になってそんなことを言うの?
 もう、盲目的に復讐なんて考えられないのに……今頃そんなこと言うなんて酷いわ。
 反射的に「嫌よ!」と叫んでいた。

「どうして? そのつもりでここへ来たんだろう?」
「それはっ……そうだけど、でも……っ!」
「俺は多くの人を殺したんだ。でも、それを悔いてはいない。罪を犯した者ばかりだったし、それによって苦しめられた人のほうが多いだろう。でも……アルバートだけは違う。俺のせいで命を落としたんだ」

 それを言われると、確かにそうなのかもしれない。
 あの時、王がもっとしっかりしていれば、父は殺されなかったかもしれない。
 でも弟を亡くしたばかりの王に、そこまで求めるのは酷だ。
 身内を亡くした悲しさや虚しさは、私自身もよく知っている。何も考えられなくなるほど、心が考えるということを拒否するのも。

「それは……っ、確かにそうかもしれないけど、でも、それをしていいのが私だけとは限らないわ!」

 それに、四年前のことで罪もなく亡くなった人は他にもいるかもしれないのに。
 ここに来た時の意気込みはどこへ行ってしまったのか、私は逆にその行為に恐怖を感じて大きな声で拒否していた。

「それを言い出したらきりがないさ。ただ……アルバートの意見をもっとしっかり聞いていれば、セランは死なずに済んだ。アルバートだって命を落とす必要もなかった。……そう思うと、自分が許せないんだ」

 もしこれが本音なら、彼の眼に私はどう映っていたのかしら。
 自分のせいで家族を亡くした気の毒な娘? それとも……
 いいえ、今はそんなことを考えている場合じゃないわね。

「正直、あなたがそんな風に思っているとは思わなかったわ。そして、あなたはあなたなりにこの後のことを考えていたのかもしれない。でも、あなたが作った時間のせいで私は知ってしまったの。もう、ここに来た頃のような気持ちは……持てないわ……」

 真実を知っても、過去は変えられない。家族が戻ってくるわけではない。
 でも、今生きている私の気持ちは変わっていく。
 ここに来た時なら、この好機を逃すことなく、その身体に剣を向けただろう。
 でも今は知ってしまった真実のせいで、私の中にあった王に対する復讐心は萎れてしまった。

「今更、殺してくれなんて言われても、もう無理だわ」

 疲れきった王を見ながら、私もまた疲れた顔で呟くような小さな声で答える。

「俺が望んでいても?」
「望んでいる?」
「俺はもう疲れた。この状況が終わるのをずっと待ち続けていた」
「でも、あなたはお父様の敵ではないわ」
「そうだな、でも間接的にでもかかわっているのは確かだ」

 王は頑として自分の非だと言い譲らない。
 確かに王はお父様を見殺しにしたといえる。少しの配慮で、違った未来があっただろう。
 そのあとだって、家族がどんな気持ちで死んでいったのか――それを考えると、まだ憎いという気持ちは少なからず残っている。
 でも、もう……

「さあ、かたきを討つんだ」

 差し出される懐剣。それは寝台の隅に隠してあったもの。
 気づいていたのね。これを持っていることも。
 今の彼を討つのは簡単だろう。私の手でも十分殺せる。
 押し付けられるように懐剣を持つと、手が震えるのが分かった。
 前は、これで復讐することを考えていた。
 でも、
 でも、今は……

 私は殺したくないのだ。この人を。

 でもこの人は死を望んでいて――こんな状況を考えていなかったから、また頭の中が混乱する。
 どうすれば、一番いいの?

「シェル、『お父様』の仇を取るんだろう?」
「お父様の……仇?」
「そうだ」

 王は穏やかな口調で言いながら、手を広げた。死を求めて。
 でもそれは、まるで、愛しい人を抱きしめようとしているかのような仕草で、胸が苦しくなる。

「お父様の仇……お父様、の仇……」

 何度もここへ来る前に思っていたことを口にする。
 そう、私はお父様の仇を取るために来たんだ。
 それを思い出し、私は唇を噛みながら、懐剣の鞘を抜き放ち、それを握りしめた。
 蝋燭の明かりを反射して小さく輝く刀身を見ながら、私は一つの決意をした。

「お父様の……仇……」

 握りしめた懐剣を王に向けて突き出す。王はそれを避けることなく受け止める。剣が肉に食い込む感触に震えると、痛みからか、頭上で呻き声が聞こえた。
 いつの間にか流れていた涙で視界がぼやけ、突き刺した懐剣から王の血が流れてきて、ぬるりとした感触と血の匂いに吐き気が襲う。

 ごめんなさい。ごめんなさい。でも私は……

「私は……お父様の仇を、討つ、の……」

 これが限界だった。気持ち悪くなって崩れるように寝台に倒れる。
 最後に感じたのは寝台の柔らかさと血の匂い。
 そして。

「ああ……分かっている。それで、い……。……済ま、な……」

 苦しそうな王の声。

 

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