改めて決意したくせに、いつの間にか私は逃げていた。
あの日から、セランはニ、三日に一度は必ず訪れ、ただ黙って私を抱いた。私も何も言わず受け入れた。
その間に、生み出すものは何もない。
生み出すものはないけれど、体を重ねることで一時的にでも心の平穏を得られる。
何もしないとなるとここは退屈で、目的を果たそうと思っても王から呼ばれることもないので何も出来ず――心の穴を埋めるためには最適だった。
いつものように夜を共にして、そして夜明けには帰っていく。その繰り返し。
それが突然破られた。
***
「シェル様、今のは……」
声の主はスサナだった。
変わった私のことをおかしく思っていたいたのだろう。
それらしい視線を感じてはいたが、よもや夜まで見張っていたとは……。
「見てのとおりよ」
「見ての通りって……シェル様っ!?」
なるべく感情を押し込めて、面倒くさげに言い放つ。
それに食い下がるようなスサナではなく、私の腕を取ると。
「説明してください。どうして王がシェル様の部屋に……っ!?」
きつく腕を握って放さない。納得いく説明を聞かなければ、きっと放さないだろう。
さてどうしたものかと少し考え、ため息をつく。
「最近になって来るようになったのよ。理由は知らないわ。でもここにいる以上、拒否はできないでしょう?」
正直、最近っていうほど最近ではない。セランが来るようになってから、かなり日が経っている。
ただ、それを周囲が知らなかったのと、私もあえて言わなかっただけだ。
「それは分かりますが……ならどうして目的を果たさないのです?」
スサナが言うのは、早く王を殺せということ。
でもあれはセランであって王ではないし、そんなこと説明しても信じてもらえない可能性のほうが高い。逆になんで他の男が、と問い詰められるに違いない。
ふう、とため息をついた後、もっともらしい話をでっちあげる。
「見極めているのよ」
「……え?」
「あなたも知っている通り、私はずっと呼ばれなかったわ。でも今になって急に来るようになった。そう……来るようになったのよ。他の令嬢達はわざわざ王の寝所に出向くのに。なら、その真意は?」
王じゃないから、来ても可笑しくないんだけどね……と心の中で毒づくけれど。
「それは……私には分りかねます」
「ええ、私もよ。だから、王がどういう思惑であんな行動をしているのか見ているの。それが分からなければ、無理矢理しようとしても失敗に終わるだけ。王の自室ならともかく、私の部屋ですもの。少しでも下手な動きをしたら、何を言われるか分からないわ」
心の中で可笑しなところはないわよね、と確認しつつ、ゆっくりと言葉にする。
スサナからも反論はない。多少疑問に思ってもある程度は納得したのだろう。
それから、以前から疑問に思っていたことを口にする。
「それより、スサナ、あなたは毒を持っているわね?」
「……っ!? し、シェル様……いきなり何を?」
いきなり問われると思わなかったのだろう。
スサナの体がびくっと震える。その後、私を掴んでいた手が離れ、青ざめた顔になった。
自分の持ち物を調べても何も出なかったから、きっとスサナが持っているのかも、と考えた末なのだけれど――どうやら当たりらしいわね。
でも、それをどういう目的で持っているのかは分からない。その目的を聞き出すために、もう一度尋ねる。
「持っているのね?」
「…………はい」
「それはバレリー候から持たされたの?」
「……そ、それは……」
「スサナ、話しなさい」
「ですが……」
毒はスサナが持っている。
そうなると、スサナの動き方によって、致命的になる場合もある。
そうなったら困るため、私はいつになくしつこく問い詰めた。
「間接的であれ、今の主人は私よ。前にも言ったとおり、私の望むことをしなければここから出て行ってもらうわ」
そして少しきつめに脅しをかけた。するとスサナは両手を胸の下で握りしめるようにして俯いてしまう。まるで何かに耐えるかのように。
やっぱり、スサナにはこの役を降ろされたら困る何かがあるみたい。だから、私の詰問とバレリー候から言い渡された役目との間で困っている。
そういえば、スサナだって身の危険はあるのよね。それなのになぜ私に付いてきたのかしら。しかも早くするよう催促までして。
……それだけ、スサナにとって時間が少ないってこと? ここに来てもうだいぶ経つ。本当ならすぐにでも終わらせるはずだったのだし(夜呼ばれたら決行するつもりだった)。
鍵となるのは時間。
のらりくらりと躱していたら、スサナの独断でしかねない。
言うことを聞かせるのなら、スサナの問題を引きずり出して、そこから切り崩すしかない。
「困っている……ということは、ここから出されたり、私が目的を果たさなかった場合、あなたは困るのね?」
自由になった手で、俯いているスサナの顔を軽く上げるよう促す。
その表情は悲しそうで、彼女自身に何かしらの事情があることが窺えた。
「どういう目的でそれ持っているかを聞いて、あなたを咎める気はないわ。ただ、ね。知っておかなければいけないの。分かるでしょう?」
「……」
「王を殺すためにバレリー候に渡された? それとも私が失敗して、バレリー候の立場が危うくなりかけた場合、口封じとして私に使うのかしら?」
「シェル様……お願いですから……」
それ以上は言わないでください、とばかりに懇願するスサナ。
私に言いにくいというのは、どちらの可能性も含んでいるのだろう。その時に応じて使うよう指示されているに違いない。
でもその後に彼女はどうする気なのか。証言のためと言われているけど、バレリー候が用意した侍女というだけで自分の身も危ういのだと、どうして気付かないのかしら。
……ああ、でも私と同じなのかもしれない。強い思い込みのために、周りが見えなかったように。
「では言い方を変えるわ。その毒は即効性? 遅効性? どちらなの?」
「……それは……即効性だと聞いています。なんの、かまでは分かりませんが……」
「そう」
すでに毒を持っているというのを隠せないと思ったのか、スサナは割とすんなりと答えた。
スサナが持たされた毒について、少し考える。何の毒か分からない。けれど、即効性の毒。
ここから、バレリー候が考えた筋書きは私が王を殺した後、スサナが目撃したとして騒ぐ――という感じかしらね。
王は力で人を支配していた。その力は死してなお、どれだけ人を動かす力があるか分からない。どちらかというと、力で支配していたのだとしたら、居なくなって喜ぶものは多いだろう。
それでも王を殺害した人物を放っておくことはできない。
私を犯人に仕立てても、その侍女であったスサナが、何もなく無罪放免――とはならないでしょうね。なったとしても、王暗殺の事情を知る人物として、バレリー候が黙って見逃してくれるとは思えない。
まずはその毒を使われないように、何とかしなければならないわね。
「スサナ。あなた、あと少ししたら休みを取りたいと言っていたわね?」
「は、はい……」
「なら、その休みは少し延ばして。そうね、バレリー候に聞かれたら、私が許可を出さなかったと言っていいわ。ここに来た以上、何もなく終わることはできないの。それは分かるわね?」
何もなく終わることができない、という台詞のとき、スサナの表情が強張った。
「なら私の言うことを聞いて。あなたにとっても悪いようにしないわ。次の休みは――そうね、私の機嫌が悪くて駄目だった、とか言いなさい。バレリー候への報告は、なかなか進展できずに苛立っていると」
とりあえず時間稼ぎに一度だけ休みは取り消して、その間に新たな手を考える。
それに今言った理由なら、ありきたりな理由のため、バレリー候も納得せざるを得ないでしょう。
「それから……」
「シェル様?」
「次の休みはちゃんと取らせるわ。その時に遅効性のものを用意して。なるべく何の毒か分からないようなものを、ね。大変なのは分かるわ。でも即効性じゃまずいの」
何を言い出すのかわからない、といった表情で見返すスサナ。
本当に分かってないのね。本当は自分の身も危ないことに。
私の考えだけど――と前置きして、バレリー候の考えた筋書きをスサナに聞かせる。
「あなたの持っている毒で王を殺す。でも私が知らなかったってことは、私が上手く出来そうにない場合、飲み物か何かに細工する。それで王が死ねば上手くいくし、私が一緒に死んでも捕まって拷問や処刑をされるより、自ら死を選んだ――そう思わせるのでしょう?」
「な、なんでそれを……」
「それを見てあなたは騒ぐ。そう……私が犯人だと思うように。そしてあなたは私がこんなものを持っているとは思わなかったと証言するのでしょう?」
どうやら当たりらしい。バレリー候から決められていた筋書きを私に言われて、スサナの顔はまるで死人のように血の気のないものになった。
でも……本当に馬鹿ね、私は。こんな簡単なことに気づかなかったんですもの。
とはいえ、セランを殺すわけにはいかないし、本来の目的に戻るとしても、このままでは不味い。
「スサナ、しっかりしなさい」
「……は、はい」
「あなたの驚き具合から、私が言ったことが決められていたことだとして話を進めるわ」
「……はい」
「でもその筋書きは、あなたも見捨てられる可能性が高いのよ」
「…………えっ?」
驚くスサナに、自分が考えたことを語る。
バレリー候と私が無関係という証明をすることができても、スサナ自身のことはまた別なのだと。
主の不審な行動に気づかないのは侍女としては問題だし、知っていたらなぜ止めなかったと責められる。処刑とまではいかなくても、何かしらの処罰の可能性があること。
逃れたとしても、バレリー候が王暗殺に通じる人物を放っておかないだろう……など。
聞いていくうちにスサナはさらに青ざめ、小さく震えはじめた。
「そ、そんな……そんなこと、わ、たし……聞いて……」
「でも残念ながら考えられることだわ。場合によってはバレリー候も紹介はしたけれど、それだけだと言い切るでしょう」
「……だって、侯爵、様……なに、も……」
「言わないでしょうね。言ったらあなたは降りるかもしれないのだから」
「……」
まるで少し前の自分を見ているかのようだった。
震えるスサナは初めてやっと自分のしていることを、そのことによって起きることを考えて驚いているようだ。
「私はいいわ。死ぬ覚悟で来たんですもの。でもスサナ、あなたにその覚悟はあるの? 命をかけるほどの価値があるの?」
もう一度問いかけると、スサナは黙り込んでしまった。
たぶん彼女の中で今、何が大事でそのためにどこまで出来るのかを考えているのだろう。
こうなると迂闊に声をかけられない。間違って変なことを言ってしまうと、どう動くか分からないから。
仕方なく、私はスサナの出方を待つことにした。