第13話 意外な気の散らし方

 ルイス様はどうしてあんな風に泣いたのかを尋ねることはなかった。ルイス様も昔そうやって泣きたい時でもあったのかもしれない。だから分かってくれたのかもしれない。
 私は泣いてすっきりしたのか、朝より落ち着いた気持ちで自分の部屋へと戻った。
 部屋の扉を開けるとスサナが待っていて、どこへ行っていたのかと問いただす。もちろん大部屋での出来事も知っていて、そのことも含めて最近どうしたのかとか、もう少し自覚をと言う。やっぱり他にもバレリー候の息のかかっている者がいて、スサナと連絡を取り合っているようだった。
 想像していたことが当たって嫌な気持ちになるわ。こういう想像は外れてくれたほうがいいのに。少し落ち着いていた気持ちが揺らいでいくのが分かる。
 黙っていると、スサナは何度も同じ問いを繰り返すため、嫌な気分は倍増するばかり。仕方なく頭が痛くて別の部屋で休んでいたこと、まだ痛みが残っているから金切り声を上げないでと面倒くさそうに言う。

「……ですがっ」
「何度も言わせないで頂戴。そういえば、あなたは私個人で雇った侍女ではないわね」
「そうですが、それがどうかしたのですか?」

 明らかに不満そうな表情を隠さないスサナは、とてもじゃないけど、私のために動いているとは思えない。
 ふう、とため息をついて、こちらも不満をぶつける。

「あなたはバレリー候のために言っているのかもしれないけれど、私は自分にとっていらない人物をおいておくほど心が広くないのよ。あなたが私の言うことを聞かないのなら、私個人で別の人を雇うから辞めてもらうわ」
「シェル様!?」

 さすがにここまで言われるとは思わなかったのか、スサナの顔が青ざめるのが良く見て取れた。

「で、ですが、私を解雇したらバレリー侯爵家の後見が……」
「あら、お前の雇い主はたかが侍女を一人を辞めさせたからといって、後見をやめるような心の狭い方なのかしら?」
「それは……でもシェル様はバレリー侯爵家のおかげで……!」
「後見は確かにありがたいわ。うちは男爵ですもの。でも、一介の侍女の機嫌を取ってまで、バレリー候の後見が欲しいわけじゃないわ」

 貴族からすれば侍女一人など、どうでもいいことだ。有能な侍女なら手放しがたいと思うけど、スサナはその点では合格していない。
 でも待って。
 ちょうどタイミングよくこんな話になったけど、侍女一人やめさせるのに、バレリー候が何か言ってきたら、スサナにはある程度重要な役をやらせる予定なのかしら? 監視役というだけなら、私の機嫌をとりつつ、別の人間代えればいいだけのことだもの。
 そうなると、スサナの使い道は残っている。利用できるのなら、捨てるのはもったいない。そう……捨てるのは、スサナが持っている情報を引き出してからでも遅くはない。半ば冷静になってきたのか、今の状況を分析しながら、自分で打てる手を考える。いつまでも思う通りの駒でいてやる必要などどこにもないのだから。
 でもここまで言った以上、いきなり態度を変えるのはおかしく見えるわね。少し突き放して、彼女の出方を見てみましょうか。

「バレリー候には感謝はしているわ。でも、お前ごときに私の行動をとやかく言われる筋合いはないの。分かっているわね、バレリー候が選んだ人だとしても、気にいらなければ変えることくらいは出来るのよ?」

 とどめに、それに何の役にも立っていないのだし? と付け足すと、スサナはそれ以上言わずに部屋から出ていった。


 スサナが出て行った扉を見ながら、あれ以上うるさく言わないところをみると、スサナ自身にも何かあるのかもしれないと思った。
 今のやり取りで思いついたのは二つ。
 スサナは監視役であり、また、それ以上の何かを言い渡されている。でも、それは替えがきくものなのだろう。
 けれど、スサナは他の人に替えられると困る何かがある。これはバレリー候の命だからではなく、スサナ自身が抱えている何かによって。だから、あそこで退いた。私に辞めさせられては困るから。
 バレリー候とスサナとで、それぞれ考えに差異があることが分かった。

 そうだ、私は今まで一体何をしていたんだろうか? 表面上の穏やかさに誤魔化されて、本来の目的を忘れるところだった。
 それでなくても危ない橋を渡っているのだ。もっと慎重になって、もっと必要な情報を集めなければ。疑心暗鬼になって当たり前なのだから、と自分に言い聞かせた。警戒心を持ち、疑い、見極めることだけが、目的を果たす術になるのだから。


 ***


 結局夕食はほとんどとらず、そのまま部屋にこもった。明かりをいくつか灯してから机の上の本を手に取った。読書はいい。話に入れれば他のことを忘れることが出来る。
 常に気を張り詰めていたら精神的に参ってしまう。そのため、夕食後から就寝までの間の読書の時間だけは、何も考えずに本を読むことだった。
 そうして、少しでも気を落ち着かせる時間を作ることが、昼間のようなミスを犯さないことにも繋がるだろう。
 復讐することだけを考えて、トールの庇護の下、剣の腕を磨くだけの日々と違う。他愛のない会話から情報を引き出し、自分にとって有意義なものを見つけなければならない。
 それを忘れて安穏としてしまったツケが、今こうして動揺という形で現れたのだ。今は少しでも落ち着くのを待つしかなかった。
 大丈夫。少しすればまた同じ気持ちを取り戻すだろう。四年前のあの日から、ずっと変わらなかったのだから。

 いえ、違う。
 本当はわかっているの。いくら憎しみがあっても、その憎悪を維持していくためには、平穏な日々は害でしかないうことが。
 心が穏やかになれば、憎しみの糧が減り、復讐しようという気持ちから離れていく。人はいつまでも憎しみだけを持って生き続ける事ができない。その後の生活の中で他の感情が芽生え、憎しみが薄れていくのは分かっていた。
 けれど、私はそれを拒絶した。
 いえ、拒絶したかったのよ……。

 ……駄目だわ、読書に身が入らない。頭を軽く振って、もう一度思考を追い払おうとする。
 同時に、外で微かな音がした。
 まさか…また来たなんてこと、ない……わよね?
 思い浮んだ考えを否定する間もなく、問題の人物が姿を現す。いい加減、懲りるという言葉を知らないのかしら、と疑問に思ってしまう。
 黙ったまま見ていると、セランは何食わない顔でそのまま中に入ってきた。

「……」

 なんて言えばいいのかしら。
 もう近付くな? 顔も見たくない?
 そんなことを言っても彼に通じはしないだろう。言ってその通りにするくらいなら、最初から私の所になど来ない。ここへ来ることの危険性はセラン自身だって分かっているはず。
 少し考えれば分かるはずだったのに、私の頭はそんなことも考えられないほど硬くなっていたようだわ。
 でも、分かりたくなかった。

 セランに関しては特に――
 彼の感情は懐かしい過去を思い出させて決心が鈍る。彼の姿を見ただけで、また決心が鈍ってしまうほどに。色んな思いが交錯して、自分がどういう行動をすればいいのかも分らなくなる。特に、セランに対してどう接していいのか。
 身動きできないままいると、セランの手が頬にそっと触れてくる。視線を合わすように顔を上げれば、整った顔が近づいてくる。そして、すぐにセランの唇が自分のものと重なった。
 躊躇いなく口付けるセランに対して、少しだけ体が硬くなる。けれど、抵抗しないでいると、口付けはすぐに深いものになり、甘い痺れが体に浸透していく。
 そしてそれとは逆に、今まで頭の中を占めていた色々な考えが散っていった。

 馬鹿みたい。こんなことで楽になれるのね……

 意外な気の散らし方に気づいて苦笑するしかなかった。もっとも笑みを浮かべられるような状態ではなかったけれど。
 それでも楽になれるならいい――と、セランの背中に手を回す。それを同意ととったのか、セランは少しずつ体重をかけて私を寝台に沈めた。
 完全に横になった後、セランの唇が離れる。一瞬視線が合ったと思うと、すぐに逸れてしまう。視界に残ったのは左横に揺れる金色の髪。同時に首筋に温かいものが触れた。

「ん……」

 感触にぞくりとして声が漏れた。この感覚に身を任せていれば、今は何も考えなくて済む――


 ***


 セランは前回とは違って時間をかけた。合意の上だから、なのだろうか。時間をかけて快楽を与え、思考を奪っていく。
 そのせいか慣れないながらも少しずつそれに溺れて、気づくと恥じらいなど消え去っていた。
 セランが動くたびに嬌声を上げ、背中に回した手に力が入る。裸で自分でも信じられないような声をあげてしがみついているのに、なぜか安心できる。
 そんな不思議な気持ちもだんだん感じる余裕がなくなり、最後は何も感じられなくなった。
 荒い息をしながら私の上にいるセラン。よく見ると汗もすごい。そっか、これって結構体力使うものなのね……などと思ってしまう。最初は体の痛みと恨みがましい気持ちのほうが強かったから、こんな風に見ることはなかったけど。
 そう思ってセランを見てると、またもや視線が合う。でも、すぐにそらされて頬に唇が触れる。
 それでも気づいてしまったの。セランの気持ちに。
 ただ心配する気持ちと、私に対する純粋な気持ち。
 最初の頃のような好奇心丸出しの感情がそこにはなかった。
 でも私はそれに応えることができない。応えてしまったら、何も出来ずに終わってしまう。

「セラ……」

 名を呼んで、話しかけようとした矢先に、耳元で囁かれる。

「もう一回してもい?」

 耳にかかる息に小さく震える。気づくと頷いていた。
 セランに対する気持ちなんて分からなかった。
 嫌いではない。そうね、好きといえば好きなのだと思う。でなければ話なんてしない。触れさせない。けれど、はっきりと言えるような気持も持ち合わせていない。
 そんな軽い気持ちしかないのなら、普段の私だったらこんなことさせない。昨日のように噛みついて拒否するに違いない。
 それでも今の私は、頭の中を駆け巡る悪い思考を忘れさせてくれるならどうでも良かった。こうして重なっている間は考えるということをしなくて済むから。
 本を読むことだけでは消し去れない考えを、こうしていると考えなくて済む。
 気づくとセランの背中に手を廻し、必死にしがみついていた。

 そう、セランへの気持ちなんてどうでもいい。
 どうでもいいと思うのに、この温もりを手放したくはなかった。

 

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