気づくと外は真っ暗になっていた。隣にセランの姿が見当たらない。
だるい体を何とか上げて周りを見回すと、私を連れてきた侍女の姿が目に入った。
なっ……、なんでこんな所に人がいるのよ!? ものすごく心臓に悪いわ!
「お目覚めですか?」
「………………は、はい……」
この状況を目の前にして表情を全く変えないこの人は、本当に感情があるのかしら、と疑いたくなる。
それよりもセランがこうして女の人を連れ込むのが珍しくないのかもしれない――と考えを訂正した。
なんにしろ、この侍女はこの部屋にこんな格好の女性がいても動じないのだけは確かね。
はーとため息をつくと、侍女が頃合を見計らったように声をかけてくる。
「湯浴みの準備ができております。いかが致しますか?」
「……お願い……します」
この場合、こう答えるしかないでしょうが。どう考えても、この状態でドレスを着なおして戻る気にはなれない。
素直に従って彼女の後を付いていく。外に出ることなく、別の部屋に繋がる扉から小さな部屋に移ると、湯気のたった浴槽があった。
抱えていたドレスを近くの棚において浴槽に足を入れる。少し熱めの湯のせいか、足先が痺れた。それでも湯につかると気持ちよくて、やっと落ち着いた気持ちになった。
「そういえば、名前を聞いてもいいかしら?」
「私……の、ですか?」
「そうよ。聞いていなかったわ」
「貴女様が気になさるようなものではございません。それに、ここでのことも口外致しません。ご心配は無用です」
どうやら、彼女はこのことを言いふらさないか気になって声をかけたのだ、と判断したようだった。
それに貴族の令嬢ともなれば、自分付きの侍女ならともかく、それ以外は、顔はともかく名前まで覚えない。それだけ使用人が多い、というのが条件だけれど。
でも私としては別にそういう意味で聞いたのではないんだけれど。
お湯は気持ちいいけど、横に無言で控えられているとなんとなく落ち着かないのよね。
「別にそのことを気にしているわけじゃないわ。あなたの口が固そうなのは分かるもの。そうではなくて、色々聞きたいとことかあるのよ。その時にあなたの名前が分からなければ話しにくいでしょう?」
「は、あ……左様でございますか」
「ええ、だから名前を教えて頂戴」
名前を知ると会話の切っ掛けになる。逆にそれさえも教えてもらえなければ、会話をする気がないと取れる。
さあ、彼女はどう出るかしら?
「私は……ベス・マレコットと申します。すでにお分かりと思いますが、太后様に仕えている者です」
「そう。私はシェル・パリュール。知っているかもしれないけれど、よろしくね」
「そんな……私のような一介の侍女に必要ありません」
主従のけじめをしっかりつける人なのか、貴族に気軽な言葉をかけてもらったことがないのか。どちらか分からないけど、彼女は明らかにとまどっていた。
「あなたは陛下の出された命は知っているわよね?」
「あ、はい」
「でも、ルイス様からもまた来て欲しいと言われてしまったの。ルイス様の願いを叶えようと思ったら、あなたの協力が必要だと思うのよ」
彼女を丸め込んでおけば、何かと特になることがあるかもしれない。だから私は彼女の主であるルイス様の名前をあえて出した。
すると彼女はとたんに表情が和らいだ。
「かしこまりました。太后様が喜ばれるのでしたら、私もご協力させていただきます」
「ありがとう。ミセス・マレコット」
「あの、私のことは呼び捨てにでもしていただければ……」
「言ったでしょう。協力して欲しいと。それにあなたは私の侍女じゃないわ。私は貴族の娘としてではなく、ベス・マレコットという一人の人に頼んでいるの」
少しだけ押しを強く、彼女は私にとって侍女以上の存在だと告げる。
こうすれば気をよくして、少し口が緩むはずだと思いながら。
「そんな風に言ってくださるなんて……ありがとうございます。シェル様」
「よろしくね、ミセス・マレコット」
「はい、シェル様」
少し照れくさそうに返すミセス・マレコットを見て、私は気づかれないようそっと息を吐いた。
***
湯浴みをさせてもらって、ドレスも新しいものまで用意してくれて、本当に至れり尽くせりだと思ったのよ。
別にモノで釣られるわけじゃないけど、さすがにあのドレスは無理やり脱がされたから皺だらけだったんですもの。あれを着て戻るところを誰かに見られたら言い訳するのに大変だわ。
だから嬉しかったのよ。なのに……
この重苦しい雰囲気はなんなのっ!?
思わず、ナイフとフォークを握っている手に力が入る。
私は、夕食まで誘われて断れなくて……そこまでは仕方ないと思うけど、テーブルを囲んでいるのがルイス様とセランじゃなくて、王の方なのよ! 今も、すっごく仏頂面でワイングラスに口をつけている。
そんなに嫌なら来なければいいのに、と思ってしまうのはしょうがないでしょう?
でも、ルイス様は誰かと一緒に食事をとるというのが嬉しいらしくて、ずーっとにこにこしている。話もしてないのに。その落差が激しくて、なんとも落ち着かない気持ちになる。
妙な居心地の悪さを感じながら、それでも何とか食事を終わることが出来た。
するとルイス様は少し用があると言って席を外してしまわれたのよ。
どうしろって言うのよ、王と二人きりなんて!!
いくら覚悟を決めてきたとはいえ、予定通りに進まなくて頭がおかしくなりそう。
そして、沈黙が痛くて、この部屋から逃げ出したい気持ちに満たされた頃。
「何を考えている?」
突然の王からの質問。
意味が分からずすぐ答えられず、首を軽く傾げる。
「ここへは来るなと言っていたはずだ。それに私は――」
一旦ここで言葉を切り、一呼吸おいて。
「お前のことを疑っている」
その一言でやっと理解した。私がルイス様に取り入って何かをするんじゃないか、と。
即位して四年。それでもまだ信用できない人物がいる。私の後見であるバレリー候もその一人なんだろう。
でも理由が分かって少しほっとした。私としては、セランとのことを聞かれるほうが心臓に悪いから。
「確かに、私の後見人のことを考えれば、陛下が疑う気持ちも分かりますわ。でも、こちらへ来ないようにと仰った理由をお聞きしていませんでしたので、わけも分からず来てしまったんですわ」
理由がわかって、心に少しだけ余裕ができる。
そうなるとここまで心臓に悪い時間をすごしたのだから、少しだけお返ししなくては気が済まない。
「ほう。だが、お前がその言いつけを破ったのは間違いない」
「ええ、確かに。でも陛下から全然お声がかからないので、この中を散策するくらいしか暇を潰すものがなかったんですわ。それにどこから行ってはいけない場所になるのか、私には分かりませんでしたの」
笑み浮かべて嫌味半分で返す。
猜疑心の強い王。
でも彼も人間。弱点もあれば人としての感情もある。それが分かれば怖くない。
「それに……」
私もここでいったん言葉を切る。
疑い深い王がいったい何を思うのか、それを考えながら。
「私がルイス様に何かするとでも?」
「ない、とは言い切れないと思うが?」
「そうですわね。でも、私なら狙うとしたら直接陛下を狙いますわ」
笑みを絶やさずにはっきりと断言する。
その言葉に王の表情が強張り、そして手が帯刀している剣に動く。
「私が『残酷王』だと言われていることを知っていて、そのような口を利くか?」
噂どおりなら、王に向かってこう言っただけですぐさま処刑されるだろう。
けれど、セランから聞いているのよ。嫌疑だけならしないことを。
「何を勘違いしているのか分かりませんが……私は別に命をなんて言っていませんわ」
「ほう。なら何を狙うというのだ?」
「あら、後宮にいる女性なら望むのは一つだけでしょう?」
寵愛を手に入れ、正妃の座に座る――それはここにいるご令嬢たちが望んでいること。
もっとも私はそれを望んでないけれど、どちらにせよ、そういった思惑は私にとっては狙いを隠すために丁度いい。
王は剣から手を離し、逆に私のあごに手をかけて軽く上を向かせる。
心の奥まで図ろうとするその目に、私は逸らさずに見返した。逸らしたら負けだ。
「減らず口を……だが、その度胸は認めてやろう」
一応納得したのか、この場は収まったらしい。
と、思っていると、顔が近づいてくる。
これって……そりゃ確かに意味深な台詞を言ったけど。でも命を狙っていると思っている相手にそんなことができるのよ?
セランといい王といいどういう神経をしているの?
そう思いながらも、逃れられず、その熱い唇を受け止めるしかなかった。