テーブルの下に隠した指が微かに震える。
それをルイス様に気づかれないよう、せめて表情だけでもと無理やり笑う。
悟られてはいけない。笑わなくてはいけないのに。
「どうしたの?」
「いえ、あの……」
それでもやはり気づかれてしまう。
そうよね、いきなりこんな態度になれば誰だっておかしいと思うわね。
どう言い訳しようと迷っていると、ルイス様のほうが。
「ごめんなさい。愚痴を言える相手がいないので、つい……。貴族の令嬢に話して聞かせるような話ではなかったわね」
「……いえ」
「全く、セランがなかなか戻ってこないから、つい話に夢中になってしまったわ」
ルイス様はこの場にいないセランのせいにして落ち着いた。
私も追及されることがなかったため、ほっと一安心していると、急に扉が開くいて不機嫌そうな声が耳に届く。
「俺が何ですか、母上?」
声のする方を見ると、見ると大きなトレイを持ったセランが立っていた。
しかも両手でトレイを持っていて、片方の足だけで立っている。
もしかしなくても、器用に足だけで扉を開けたんでしょうね……彼は。
「あなたが遅い、と言っていたのよ。レディーを待たせるものではなくてよ」
「それはそれは失礼しました。でも、レディーといっても、昔レディーと、レディーとは言えないじゃじゃ馬しかいないようですが?」
今、ピシリっと心にヒビが入るのが分かるわ。
ルイス様も同じようなことを思ったのか、浮かべていた笑みが固まった。
「セラン、ここに座りなさいな」
ルイス様は多少引きつっているものの、笑みは絶やさず椅子を勧める。
セランも不穏な空気を感じ取ったようで、トレイをテーブルの上におくと素直に座る。
座った途端、「もう少し女性の心というものを~」とか「だからあなたは結婚が~」とルイス様のお説教が始まった。
それを見ながら、仕方なくセランが持ってきたおトレイに手を伸ばす。トレイの上にはティーポットとカップが三つ。そしてお菓子が数種類のった飾り皿が一つ。
まずはお菓子の皿を真ん中において、それからカップに手をかける。伏せておいてあったカップは、温めてなくて冷たいままだった。
「セラン、あなたってお茶も満足に淹れられないの?」
「は?」
「時間をかけた割りにカップも温めてないじゃないの。何やってたのよ?」
ルイス様の話では独り身だというし、まあ、王弟なんだから召使いだのいっぱいいる家に住んでいるんでしょうけど。
それでも自分から淹れにいったから、ある程度できると思ったのに。
「は? カップなんて温めるのか?」
「当たり前でしょう。カップが冷たかったらお茶が冷めちゃうじゃないの」
「そう言われても……茶葉だって色々あって何がいいか分からないから適当に入れて、菓子もらって皿に入れてきたんだけど」
「それだけでこんなに時間がかかるの? お茶摘みからしてきた、なんて言わないわよね?」
半分呆れながら、セランの話からまともなお茶の量に思えなかったのでポットの蓋を開けてみる。すると、茶色い塊しか見えなかった。
ええと、この塊は……きっと茶葉がお湯を吸った結果なのね。でも、お湯というものが分からないほどの量って、いったい……
「……一体どれだけ入れたらこうなるの?」
「え? うーん……三人分だし、おかわり含めてさじで五、六杯ってとこか? あ、なんか少なく思ったから、あと三杯くらい足したか」
「セラン……あなたに家事能力が全くないのがよく分かったわ」
茶葉はお湯を吸えば増えるものとは思わなかったらしい。
はあ、とため息をつくと、ルイス様が横から口を挟む。
「セランから聞いていたけど、シェル嬢って本当にしっかりした方なのね」
「はい?」
「セランがね、あなたのことを話してたの。気が強いけど、頭が良くてしっかりしてるって。セランのようなお馬鹿さんには、あなたくらいしっかりしている方がいいのかもしれないわね」
「あの……」
一体セランは私のことをどんな風に話していたのよ?
そりゃ、気が強いってのだって間違ってはいないけど、貴族の令嬢に対してその紹介の仕方はどうよ、と思うのだけれど。
ギギギ、と首を動かして。
「セラン、後でしっかり説明して頂戴」
「……分かった」
セランは降参、といった顔で答える。
そのあとはセランとルイス様の三人で世間話をして終わった。
***
また来て頂戴、と気軽に言われて返事に戸惑う。だってここへ来るのは命がけなんですもの。
どう返事をしようか迷っていると、ルイス様は寂しそうな顔をするので、仕方なく「はい」と答えてから、挨拶をして部屋を出た。
そして扉を閉めて数秒後。
「さて、セラン。あなたは一体、私のことをどういう風に言っていたのか説明してもらいましょうかね?」
一緒に部屋から出たセランに向かって、私は下からジロリと睨みつけた。
セランは軽く笑うと「立ち話もなんだから」と近くの部屋の扉を開ける。
「そこまでゆっくり話をする必要はないでしょう?」
「でも誰かに聞かれたら困るだろ?」
「……」
「ほら、早く入って」
「でもいいの? 勝手に部屋なんか使って……」
「いいのいいの。ここは俺が借りてる部屋だから」
と、セランは半ば強引に私を部屋の中に押し入れた。なにやらルイス様がいなくなった途端、強気な気がするんだけど。
中に入れば後宮には相応しくない簡素な部屋。簡素といっても最低限のものはあるし、調度品は高級なものばかりだった。
「で、話を、んんっ……」
振り向いて尋ねれば、急に引き寄せられて口を塞がれる。
ななな……何するのよ、こいつはー!? と思っても声にならない――って、前も同じパターンだった気がするわ。
わざわざ部屋に入ったのは、そのためだったのね。どうしてやろうかしら。
辛抱強く終わるのを待つけど、かなり長い間離してもらえず、やっと開放されたので足でも踏んでやろうと思っていると、急に体が持ち上げられる。
「きゃあっ!?」
「お、声は結構まとも」
「なっ何言ってるの! 下ろしなさいよ!」
「下ろすのはいいけどもうちょっと経ってからな」
「は……?」
最初意味が分からずにいると、数歩歩いたところで急に止まる。その先を見れば、大きな寝台。
それが意味するのは……。
「せ……セラン?」
「約束」
「え?」
「情報をくれる代わりに、俺の相手をする。そう言ったのはシェルだよな?」
「なっ!?」
確かにそう言ったけど、聞きたいことはあれだけで、これ以上の情報を耳に入れるのは逆に混乱に繋がる。ルイス様の口からお父様のことが出て、内心かなり焦ったのに。
こうして話をしながらも、セランは私を寝台の上に乗せた。そして同じように寝台の上に――さらに私の上にまたがるように乗った。
逃れられないと思いつつ、少し上ずった声で抵抗する。
「確かに欲しい情報はあるけど、押し売りは結構よ」
「まあ、今回はシェルの意向を聞いてはいなけどな」
「ならさっさと退いて。あなたにも選ぶ権利があるけど、それは私にだってあるのよ」
情報さえ渡せば、何をしてもいいなどと思われてもいけない。それでは、主導権を完全にセランに渡してしまう。
けれど、この状況は私にとってとても不利だった。
「そりゃ、な。でも聞いておいて損はなかったと思うけど?」
「……」
「それに耳に入った情報は返品不可。となれば、後は支払うしかないってこと」
セランは軽く口端を上げて笑いながら、着ている服に手をかける。
幸か不幸か今日はハイネックのドレス。この服を傷つけずに器用に脱がせるにはかなり大変なはず。
その間に私はセランの気を逸らすことを考えなければお終いだわ。
「い、意外とドレスって脱がしにくいものでしょう?」
「全くだ。夜のだと楽なんだけどなあ。窮屈じゃないか?」
「そりゃ……でもずっと着て……じゃなくて!」
とりあえず会話で手を止めようと頑張ってみるけど、話をしている最中もなかなかその手を止めない。
「面倒なら…やめてちょうだい」
「脱がすのをか?」
「とっ当然でしょ!」
「なら、脱がすのは最低限にしてさっさとやってしまいたい、と?」
「…………はぁあああぁっ!?」
何考えてるのよこいつはっ! ってか、やることは前提なの!? 人の気持ちを無視するんじゃないのっ!
婚約者は決まっていたけど、恋愛経験なんてほとんどない。そんな私だって知っているわ。こういうのは、一方的にするものじゃないって。
たしかにセランの提案を呑んだのだから、こうなるのも仕方ないけれど、今回は私にとって無理やり渡されたものでしかない。
「やめるという選択肢だってあるでしょう? 大体私は今回の――」
「ない。それにせっかくだから綺麗な肌見たいし。って、ホントに色白できれいだな」
「なっ……」
人の話をまったく聞いていないどころか、器用にも後ろの小さなボタンを丁寧にはずしている。気づくとドレスは肩より下におろされて、下着が露わになっていた。
胸の上の辺りを大きくて熱い手が肌をなでてざわりとした震えが走る。首筋にはセランの唇が触れ、それがさらに高まった。
「ちょ……ぃやっ……やめ……っ」
思わず声がこぼれる。
夕方近いといってもまだ外は十分明るい。この恥ずかしい姿はセランの目にしっかりと映っているに違いない。
そう思うと余計に恥ずかしくて身を捩るけれど、だからといって逃がしてくれるほど甘くはなかった。
逆に楽しそうに丁寧に私の服を剥ぎ取っていく。
「綺麗な肌。こういうのを見るとたまんないね」
「なに、が……よ?」
与えられる刺激に意識が散らされながらも、それでも問う。
「穢したくなる、ってことさ」
肉食獣を思わせる勝ち誇ったような笑みを浮かべるセラン。
そんな彼を見て、ゾクリと背筋に寒気が走る。
軽そうに見えても、やっぱりあの王の弟なんだわ――