第6話 エイラート-王

 白いテーブルクロスの上には小さな花瓶があるだけだった。
 お茶の支度は本当にセランにやらせるらしく、彼は出ていったまままだ戻ってこない。

「そんなに硬くならないで頂戴?」
「はい……」

 と、言われても、こちらもどういった用件で呼ばれたのか分からない以上、うっかり口を開けないわけで。
 ああもうセランの馬鹿馬鹿馬鹿っ! 一体何を考えているの!?
 自然と私の怒りは、この場にいないセランへと向けられる。
 そんな私の気持ちより、ルイス様は楽しいという気持ちの方が勝っているようで、笑みを浮かべながら。

「ふふ、久しぶりだわ、こういうの」
「はい?」
「だって、エイラートってば心配してここへは誰も来させないんですもの。セランがこっそりと来てはくれるけれど……さすがに相手があの子だけってのも寂しくてね」
「はあ……」

 ミセス・ムーアからこちらに入ってはいけないと言われている以上、危険を冒してくるような令嬢はいないでしょうね。もしここへ来たのがばれたりしたら、『残酷王』と名のつく王のこと、すぐさまその場で命を落としかねないもの。
 それに「近づくな」というだけで、ここに太后がいるとは聞かされていない。
 聞いていれば、多少の危険があっても、気に入られようと頑張って訪れようとする令嬢もいるかもしれないけど。

「そうですね。こちらへは来てはいけないと言われていますし、まさか太后様がいらっしゃるなんて皆思っていないんですわ。私も初めて知りましたもの」
「まあ、本当なの? だから誰も来てくれないのね」

 ちょっと拗ねた顔でルイス様はぼやくように言う。本当に知らされていなかったのね。
 でも、私達にもただ近づくなとしか言ってないし。
 となると、王は太后であるルイス様のことを大事に思っているから、ってことかしら。どうでもいいと思っているのなら、こんな配慮はしないわよね?

「それは太后……ルイス様のことをとても大事に思っているから……だと思います」
「そうかしら。だとしたらもっと顔を出してくれてもいいのに……」
「陛下はこちらへ来られないのですか?」
「たまに来るのよ。でもセランほど来てくれないし、たまに来ても挨拶くらい。しかも、いつもいつもしかめっ面で。まあ、あの顔のまま話をするのも疲れるから、あれくらいの時間でいいのかもしれないわね。でも本当に無愛想な子になってしまって……」

 あの王を『無愛想な子』で済ますルイス様がすごいです……と思わず口にしそうになる。
 内心ドキドキしていると、ルイス様はだんだん熱を帯びて、次から次へと愚痴がこぼれた。

「全く……いくら仕方なかったとはいえ、少しばかりあの子は心配性すぎるわ。だからって、ちょっとでも信用できないと思ったら遠ざけるなんてことをしていたら、あの子の側には誰もいなくなってしまうのに……」
「あの、ルイス様……」
「あの子は、親殺しの罪を背負っている以上仕方ないのかもしれないけれど、あの時はあれしか方法がなかったと思うのよ。それなのに……」

 親殺し、しか、なかった……?
 もしかして、ルイス様が今言っているのは四年前のこと?
 セランはそれを聞かせるためにここへ連れてきたのかしら……?
 でも子が親を殺すのが最善だったなんて――しかも他の貴族だっていくら罪があったとはいえ、半数くらい処刑されている。
 それなのに仕方なかったって一言で済ませられるものなの? ルイス様ってどこかずれていない? それとも私たち一般――といっては御幣があるけれど、他の人には分からない事情があるってことなのかしら?

「あの……すみません、ルイス様。話がよく分からないのですが……」
「あら、私ったらつい……そうね、私が今言ったのは四年前のことよ。世間では親殺しだの言われているけれど、あの時あの人を止められる人は誰もいなかった。いえ、それ以上に欲に駆られたあの人に群がる貴族が多かったのよ」

 確かにこの国で王に逆らえる人などいない。長年染み付いた王政はなかなか消えないものだ。
 だからこそ王が無能だった場合、ルイス様の言うように私利私欲に走るものは、王を唆して私服を肥やしていくのだろう。
 欲にかられた王も、そんな貴族たちの思惑など気づかぬまま、その富に酔いしれているとしたら?
 そして、そんな王を廃せるものがいたとしたら?

「だから……だから陛下が……とでも言うのですか?」
「ええ、そうなのよ。あのことについては私も分かっているわ。妻である私でもあの人を止めることなど出来なかった。何度も何度もやめてと言ったのに……」

 ここでルイス様の立場を思い出す。今は太后、その前は王妃、さらにその前は――そう、問題になったスールから嫁いできた。
 ルイス様はスール王家の血を引いているのだ。

「もしかして……前王はルイス様にもスール王家の血が流れていることを理由にして、あの国の問題に手を出した――というのですか?」
「ええ、ええ。よく分かったわね。そうよ、嫁いだとはいえ私もスール王家の血を引いているの。だからあの国の問題に手を出してもいいと勝手に――でもあの人は結局自分では何もできず、周りに利用されたのよ。でも王を表立って糾弾することは難しかった。だから……」

 そうか。だから現王が前王を弑逆して、王位簒奪なんてことになったんだわ。
 そして同時にそれに加担していた貴族たちをも処刑した。間近で見ていた以上、その罪状は明らかよね。
 それに前王の性格からして貴族たちを咎めることもなく、隠蔽工作など必要なかったんだ。
 けれど、現王が父王を殺して自分たちの罪状を突きつけられ、逃れられなかった――

「陛下は……自らが手を汚すことで、この国と隣国のスールを守ろうとした、ということなんですね?」
「ええ、そうなの。でも本当のことを知る者は少ないわ」
「はい。でも陛下は……陛下はそれでもいいと思っていらっしゃるんですね」

 どんな汚名を着せられても、それでも譲れなかったのだろう。
 でもセランは王はいまだに警戒していると言っていた。なら何に警戒しているのかしら?
 うーん……余計なことが分かったせいで、他に分からないことが出てくるわね。
 正直に言ってしまえば、王がどんな気持ちで父王を殺したのかなんて関係ない。
 私が知りたいのは、お父様がどういう罪で殺されたのかということだけ。そして、その内容によっては目的は変わらないということ。
 どちらかというと、これより先の裏事情を知ってしまったら決心が鈍りそうになる。
 それなら、もうこれ以上、聞かない方がいいのかもしれない。いくらルイス様だって、私のお父様のことまでは知らないでしょうし……

「そうなのよ。皆エイラートを恐れて残った貴族たちはエイラートを何とかしようとしたわ。エイラートが死んでもまだセランがいたから」
「確かに親殺しの王より、セランのほうが貴族たちはいいと思う人は多いでしょう。また、セランの性格を考慮しても……」

 親を殺して王になった人物より、おおらかな性格の弟のほうがいいと。
 二者択一でいくのなら、そう考える人のほうが多そうね。私利私欲以前に、今の王の場合、ちょっとした発言でも首が飛ぶと思われそう。
 でもさすがにルイス様にそんなことは言えなくて、そのあとは口を噤む。
 それにしても、セランってどこまでお茶を淹れにいっているのよ。あれからかなり時間がたつのに。

「そうよねえ……全く、双子で同じ人に教育してもらったって言うのに、どうしてあんなに違うのかしら?」

 ルイス様はまだ語り足りないようで、次から次へと新しい話題が飛び出てくる。
 それにしても同じ人が教育してあれなの? これはもう性格としかいいようがないわね。
 双子の兄に父親を殺されたというのに、セランのあのお気楽そうな性格はどうやったら出来るのかしら。
 ルイス様に心配をかけたくないから、って理由なら分かるけど、私と会った時もあんな感じだったし……となると、あれが素だということよね。
 でも、ところどころ探るような試すような視線を感じるから、完全にお気楽な性格ではないでしょうけど。

「あの」
「何かしら?」
「セランは昔からあんな感じだったんですか?」
「ええ、そうよ。昔からあんな感じなの。でも、エイラートも同じような性格だったのよ」
「そうですか? 信じられないわ……」
「本当よ。二人してものすごくやんちゃだったの。エイラートのほうは……立場上、変わってしまったけれど……」

 ルイス様は昔を思い出しているのか、口元に手をやって少し笑ったあと、今度は寂しそうな表情になった。
 しばらくしてルイス様がまた口を開く。

「セランが王位に就く気がないからいいけれど……もしエイラートに何かあったら大変そうだわ。……いいえ、違うの。きっと、セランもエイラートのように変わってしまうのが怖いんだわ」
「……そうですね」

 でもセランは軽いとはいえ、頭が悪いわけじゃない。
 彼ならあのままで王になれないのかしら?

「本当に……今でもフェザー伯が裏切らなかったら……って思うのよ。いえ、裏切ったなどと信じたくないの。あの時、唯一信じられる人だったのに……」
「フェザー伯?」

 新たな名前に反芻するように呟くと、ルイス様が気づいたらしく。

「ああ、シェルは知らなかったわね。あの子達の教育というか、世話をしてくれていた方なの。真面目で信頼できる人だと思っていたのよ」
「そうなんですか」
「きっとあの子は裏切られたという気持ちが強いんだと思うの。人を信じられなくなっているんだわ」

 そう言うと、どこか遠い目をするルイス様。
 だから、気づかれなかった……と思う。
 フェザー伯という言葉が出たときに、私の顔が一瞬強張ったことに。

 

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