第3話 バレリー候-後見人

 今の私は自室へと戻って窓の外を眺めている。その間もセランの言葉の意味を考えていた。

『あんたは貴族の中では低めの家柄だけど、後見人がバレリー候だからだ』

 バレリー候――レヴィ・バレリーは私の後見人。身分では侯爵になる。
 でもそれがどうして厄介になるのかしら?
 バレリー侯爵家は、ここ数代は王族と直接縁がない。だから私の後見人になったといっていい。もちろん他にに思惑がないわけではない。それは私も知っている。
 それはおいておくとして、上手くいけば王家に食い込むことが出来ると思うのは、他の貴族も同じこと。
 それにバレリー候より有力な貴族は他にもいる。一番のお気に入りだというチェティーネ姫は侯爵ではなく公爵だ。それこそ私より身分(後見も)が高い令嬢なんていくらでもいる。
 パリュール家は男爵だから、身分ははっきりって低いほう。だから後見人が必要。
 けれど――

「それだけじゃない、のね」

 私が思っていた以上にこの中は複雑ということかしら。
 それなら大人しく待っているより、もう少し周囲のことを調べないといけない。
 もう少しここでの動き方を変えなくちゃ。でも、この中の令嬢たちが世情を知っているようには見えないし……うーん、となるとやっぱり……

「あいつに聞かなければいけないのかしら?」

 はあ、とため息を一つ。
 あいつ、というのは今日会ったセランと名乗る王弟のこと。多分、彼なら裏事情に詳しいはず。
 でも、なんか苦手なのよねえ。ああいうタイプは、軽さに騙されてうっかり口を滑らせそうで。
 聞き出すどころか、自分のことをポロリと零しそうで……そう思うと、またため息が出た。

 

 ***

 

 考えてみれば、私はセランに会う方法なんか知らなかった。
 バレリー候の名前が出てからあれこれ考えていたせいか、最後のほうは何を話していたのかさえ曖昧なのだから、もし会う約束をしていたとしても全然分からない。
 唯一分かるのは、彼が行く場所は西側にある部屋のどこかということ。けど、行ったらミセス・ムーアの言いつけを守らなかったと言われ、どんな結果になるか分からない。
 それに会ったのは別に西側の庭じゃなかったし、いつ現れるのかまったく不明だった。
 けれど、会える機会といったら庭しかないだろうし、それに中では噂話が飛び交っている。どちらにしろ中は居心地のいいものではなくて、私はふらふらと庭をさまよっていた。

「いい加減、部屋に戻ろうかしら」

 たぶん中ではそろそろお茶の時間よね。のども渇いてきたし、セランだってお母さまの所に行っているのだとしたら、お茶の時間はのんびり話でもしているに違いないわ。
 出てくるとしてももう少し後の可能性の方が高い。そう考えたら、こんな所で待っているのも馬鹿らしくなった。
 何のためにふらふらしていたのかしら、と自問自答しつつ、仕方なく部屋へと戻ろうとした時だった。

「もしかして待っていてくれた?」

 声をかけたのは待ち人セランだ。
 振り返ればだらしなく着崩しているものの、その顔は美形と呼ぶのに余裕で入る。
 それにその顔は『残酷王』と呼ばれる王であるエイラートと全く同じなのに、その身に纏う雰囲気は全く違う。

「確かに待っていたけれど……本当に来るとは思わなかったわ」
「ん? だってまた会いたかったし」

 純粋に好奇心だけで言われると返答に困るわね。
 それほどまでに今のセランには、邪気も駆け引きするような雰囲気もない。
 ……掴みどころがないとも言える。

「そ、それはどうも……と言うべきかしら?」
「どちらでも。まあ、シェルの場合、色気のある話のために待っていたんじゃなさそーなのが残念だけどな」
「あのねぇ……これでも私は後宮にいる女なの。いくら王弟で顔が同じだからって、あなたでいいわ、なんて言える訳ないでしょう? バレたら私だけでなく、あなただって何かしらの処罰が待っているんじゃないの?」

 後宮にいる女性はほかの男性と通じてはならない。これはどこの国でも同じだろう。
 例え声をかけられなくても、伽を命じられたことがなくても、それでも後宮にいる以上、例外はない。

「別に。罰が怖いからって言っていたらこんな所に来ないって。それに多少危険があったほうが面白くね?」
「そうね。でも、私があなたの楽しいお遊びに付き合う義理はこれっぽっちもないと思うのよ」

 言い切るとはーっと深いため息をつく。本っ当に似ているのは顔だけだわ。
 直接近くで会ったのはここにきた時の一回だけだけど、王はこんな軽口をたたくような人ではなかった。
 まさに『残酷王』の名に相応しいほどに、立っているだけで相手を威圧するかのような立ち居振る舞いをしていた。
 けれど、セランは……セランは気軽に話ができる。この気軽さは、まるであの人みたいで――

「なに考えてるんだ?」

 思わず過去に浸っていると、セランが横から覗き込んでいた。
 その目は私の心を覗き込んで探ろうとしているような印象を受ける。

「なっなんでもないわっ!」

 慌てて過去を振り切って、今に戻る。
 駄目よ、目的を遂げるまで過去を知られるわけにはいかないんだから。
 何もなかったかのようにセランに向かって笑ってみせる。それに対してセランもつられて笑った。その顔をまじまじと見てしまう。
 ああ、でも、本当に似ているわ。顔じゃない。しゃべり方や行動が、笑い方が、あの人に――

「そんな目で見られると、誘われていると勘違いしちゃうぜ?」

 ついまじまじとセランを見ていたせいか、勘違いされたらしい。
 ううん、違う。分かっていてやっている。
 ……なんて、分かっても言葉と同時に動き出したセランに反応することができなくて、気づくと体を引き寄せられていた。
 セランってば、強い力で抱きしめてくるくせに、頭の部分は少しだけ隙間を作って、その隙間から私のあごに手をかける。まずいと思った瞬間には、すぐそこに顔が間近にあった。
 逃れることもできず、近づいてくる顔。そして唇が重なった。

「……っ」

 驚いてぽかんと口を開けていたから、挨拶程度の軽いものではなくて、その……案の定というか、深いもので。はっきりいってヤバイ。
 大体こいつは何を考えてるのよ!? 仮にも私はこいつの兄の側室の一人なのよ。手を出したら大問題なのよー!
 って、叫びたいのに口を塞がれていればできない。抵抗しようとしてもがくけど、逆に抱きしめる腕の力が増して苦しいくらい。
 それにキスもやめる気はないようで、かすかに感じるセランの息と執拗に絡めてくる舌に、段々怒りを感じてきて、そっちがその気なら、とこちらも感情に任せて返す。
 やられっぱなしというのは、私の性に合わない。
 今まで逃げるように奥へ戻そうとしていた舌を、逆に出してセランの舌に積極的に絡ませた。予想外だったのか、少しだけセランの腕の力が緩む。
 そりゃ、後宮にいる女がこんな風に相手に合わせるとは思わないものね。こんなことして、逆に軽い女と思われるかもしれない。
 それでもいい。知りたい情報が聞き出せないなら、これ以上セランと一緒にいる意味はないし、彼はあの人を思い出させて決心が鈍りそうになるから。
 ここで見切りをつけてもらったほうがいいのよ。

 しばらくしてやっと開放されると、最初の一言が。

「……初めてじゃないんだ」
「悪い? 貴族の令嬢がそういったことに疎いだなんて思わないことね」

 それでなくても、四年前のことがなければ、私には婚約者がいて順調にいけば、もう少し先には結婚するはずだったんだもの。
 まあ、それも過去のことだけれど。

「別に。なら遊び相手に――」
「却下」
「なんでー?」
「ほしい情報をくれなければ、危険を冒してまであなたの相手をする必要なんてないわ」

 こうしてセランを探して歩いたのだって、王とバレリー候との因果関係を知りたいから。
 バレリー候の存在が王に近づく障害になるのなら、バレリー卿の後見は邪魔にしかならない。
 だから、王にとってどれだけバレリー卿の存在が脅威なのか、それを知らなくては先に進めないのよ。

「なら、シェルのほしい情報をやれば、こんな風に会ってくれるわけ?」
「そんな気軽に……その情報を元に、私が何をするか分からない状態でよく簡単に言えるわね」

 私が何をしようとしているか……聞いたら絶対に言えるはずないわ。
 それなのにセランは。

「別に。それで兄の身になんかあっても、それは自業自得だし?」
「仮にも兄弟でしょうが……」
「兄弟だから、さ。どれだけ似ていても、上がいれば俺は所詮日陰者、ってね。それに今までのツケで身を滅ぼすなら仕方ないとしか言いようがないさ。周りになんて言われているか――俺だって知ってる」

 いつもと違う神妙な顔に、セランは自ら動いてでも王を排して成り代わりたいと思わないけど、身から出た錆で命を落とすなら構わないのだと言う。
 そして、それが私を信じ込ませるための嘘という感じもしなかった。
 鬼が出るか蛇が出るか――結果は分からないけど、情報のほうがほしい。
 だから。

「なら、あなたの言うとおりにしてもいいわ。ただし、言ったように私のほしい情報ものをくれることが条件よ」
「いいぜ。まずは何がほしい?」

 面白くなってきた、とセランの表情が告げている。
 私は彼を楽しませる、しかも一時しのぎの玩具のようなものなのだろう。
 私はその間に必要な情報を聞き出さなければならない。

「まずは、王とバレリー候の間の因果関係を教えて。なぜ私の後見人がバレリー候だということだけで警戒されなければならないの? そもそも、それだけで警戒されるくらいなら、なぜ私はここに入れたの?」

 それでも面倒臭い駆け引きなんてする気はなれない。
 私が一番聞きたいことをそのまま尋ねた。

 

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