平凡などこにでもある普通の公立高校。
でも、平凡でもどこかしらに変わったものがあるのは常だろう。
この学校でも名物と呼ばれるものがいくつか――その内の一つが始まる。
「百花!」
窓から入ってくる風に髪を揺らしながら歩いていた少女は、自分の名前を聞いて振り向いた。
「なんですか? 秋穂さん」
「なんですか、じゃないっ! 今日こそ付き合ってもらうんだからね!」
「でも……」
「なによ?」
秋穂と呼ばれた子はおかんむりな様子だ。ストレートで綺麗な肩までの髪を揺らしながら、ふくれっ面をして百花を睨みつける。
こんな顔をしなければ美人なのに――と、つい、百花が思ってしまうのは仕方ないだろう。秋穂は素直に綺麗といえる顔立ちなのだから。そして、それが怒ると凄みを増すのだ。
対する百花はこげ茶色の細くて癖のある長い髪を揺らしつつ、ふう、とため息をついた。こちらは背が低くて秋穂と違って可愛いと言ったタイプだ。
「なんで、そんなに私を誘うんです?」
「だってほっとけないからしょうがないんじゃない」
「ほっといてくれていいです」
つい本音を口に出してしまう。
が、それがより、秋穂の神経に触る。
「放っておけるわけないでしょっ! あんた、犯罪者を増やすつもり? ってぇか、被害者になりたいのかっ!?」
「は?」
「あんたのその無自覚なんとかしなさいよ。だいたい高校生になってちゃんとした下着も着けないなんてどういうことよっ!?」
「いやあの、秋穂さん? 犯罪云々より、秋穂の声のほうが多くて迷惑です。ってか、やめて」
若干敬語が抜けた口調になる。
「やめてほしかったら放課後付き合うこと。おーけー?」
「……分かりましたよ、秋穂さん」
「じゃあまた後で」
手を上げて立ち去る秋穂に、百花はもう来るなという目で見送った。
先ほど秋穂の言った下着云々は分からないわけではない。百花は女性らしい下着――ブラジャーなどを身につけていなかった。胸がないから、という理由ではない。ただ単につけるのが嫌だからだ。
だから、秋穂の誘い――要するにランジェリー・ショップに行くことは百花にとって有意義な時間とはいえないのだ。
(逃げよ)
すぐに答えをはじき出し、秋穂があまり行かない図書室へと向かった。
名物その一、美少女二人の異様なやりとり。
***
図書室には本棚があるため上手くすれば隠れられる。それに何より、百花は本を読むのが好きだった。奥のほうの歴史関係のところに行くと、面白そうな本がないか隅から見ていく。
(あ、これ新しいの)
まだ汚れていない装丁の本を一冊手に取る。新刊コーナーをすっ飛ばして歴史の棚に来ていたので気づかなかったようだった。
とはいえ、内容は魔女狩りについて。あまりいい内容じゃない。それに。
(違う……みたい?)
百花はその本を元の棚に戻した。
同時に後ろからそっと小さな声がかけられる。
「お気に召さないかな?」
振り返ってみると、そこには国語担当の鳥遊里がいた。
名物そのニ、美形でモテる二十五歳独身教師――がにこやかな笑みを浮かべていた。
百花は心の中でため息をついた。
こんな目立つ人物といるのなら、秋穂と買い物も大して変わらないかもしれない。
鳥遊里は教師という割りに話しやすく、生徒に人気があるのは百花も知っている。
だが、百花にはその気持ちがない。
逆に彼がいると騒がしい場所にいることになる。そうなると秋穂に見つかる可能性も高くなるわけで――どちらにしろ、側にいるのはご遠慮願いたい人物だった。
「そうですね、あまり興味ありません」
とだけ答えて避けるように別の棚に行こうとする。
が、敵も去るもの、懲りずに話しかけてくる。
「そう? でも野々村さんは歴史関係スキでしょう?」
「……」
なんで知っているのか、と心の中で舌打ちする。
そんな百花の心を見透かしたかのように、鳥遊里は言葉を繋げた。
「いやだって、借りてる本とか歴史関係多いし。特にヨーロッパ――だよね?」
だからどうしてそうピンポイントで、というより、どうして百花が借りた本を知っているのか、という目で見ると。
「あれ、知らなかった? これでも図書室の管理を任されてるんだよ」
ときたもんだ。
この学校の図書室はもう図書カードなど使っていない。パソコンでバーコード読み取りになっている。けれど、図書委員や図書室の責任者などは記録されているデータを見られるらしい。
それはいいとして、百花が借りた本のことまで細かく知っているとは思わなかった。
「そうですか、全然知りませんでした。ここで鳥遊里先生を見たことが全くありませんでしたので」
別に何を借りているとか知られても困るわけではないのだが、鳥遊里のような目立つ存在といるのは好ましくない。
適当に答えて逃げようとしたが、それでも話は終わらなかった。
「あはは、まあ来ても図書委員の子に任せて、司書室に入っちゃってるから」
「あの、開かずの司書室ですか?」
「別に開かずじゃないよ。まあ、見た目が入り口の扉だけだからそう思うのかもね。開くのは滅多にないし」
話しかけられると律儀に答えてしまうのは性格だろうか。
そのあたりを恨めしく思いながらも、距離をとろうとしていたところ――ガラっと図書室の扉が開く。
普通なら図書室に誰かが来た、で終わるのだが、本棚の隙間から見えたのが秋穂だったので、百花は焦った。
これでは前門のトラ、後門のオオカミではないか。
なんて運が悪いんだ、と暗く沈んでいるうちに、秋穂が奥まで入ってくる。そして鳥遊里を見つけ――
「鳥遊里先生、百花を知りませんか?」
「知ってますよ。副担任ですから」
「そういう意味じゃなくて。ここにいませんか?」
「ああ、先程まで居たんですよ。でももう帰ってしまいました」
「なんですって?」
「清水さん、ここは図書室。静かにね」
「はっ、すみませんでした。では失礼します」
この間のやりとりはほんの数秒。百花はちょうど鳥遊里の体で隠されていたようで、秋穂は百花に気づかなかった。
「た、助かりました。ありがとうございます」
そういって逃げようとしたところ、百花の腕に鳥遊里の手が絡む。
「先生?」
「今すぐ出て行ったら、清水さんに捕まるよ?」
「う、それは……困ります」
それなら何のために逃げたのか分からない。
言葉に詰まると、鳥遊里は百花の腕を掴んだまま歩き出す。
「あの、鳥遊里先生?」
「しばらく開かずの司書室に籠もっているといいよ。五時過ぎれば、さすがに清水さんも諦めるだろうし」
「はぁ」
開かずの司書室にはちょっと興味があったので、百花は抵抗せずに素直に歩き始めた。ちょうど図書委員の子が席を外しているのか、カウンターに入ってすぐに開かずの司書室に入った。
中は予備室みたいな感じで狭いが、パソコンとそして寛ぐために用意してあるのか、電気ポットとインスタントコーヒー、カップなどがある。
なるほど、これなら一度こもればでる必要がないか、と百花は狭い部屋を見て思った。
「野々村さん」
「なんですか、鳥遊里先生」
振り返って鳥遊里のほうを見る。その顔はみんなの言うとおり、観賞に値する顔だった。それに気さくなところが話しやすくて、先生として人気があるのも頷ける。
などと観察していると。
「いや、この司書室、さっき行ったように扉一つ。まあ、窓もあるけど、閉まってる。そこに男と二人きりになって不安に思わない?」
百花に一歩近づいて、見下ろすように笑みを浮かべ挑発するように言う鳥遊里。
それに対して、百花は首を傾げただけだった。