番外編 呼び方

 この国はスールという。隣国に比べたら領土は比較的小さい。けれど、ここでしか取れない特殊な鉱物のため、国は豊かといえた。
 しかし、ある時王位継承の問題で国内は荒れた。まるで戦争でもしたのかと思われるほど酷かった。
 それは国内だけでなく、その問題に便乗した隣国の手のものによってだったが、それでもそんな惨事を招いてしまった現国王は胸を痛めた。自分たちだけならまだしも、国民にまで被害が及ぶなんて――と。
 彼自身もその問題の被害者であり、当時盛られた毒のせいで体力を削られいた。それでも少しでも早く国民が元の生活に戻れるように、と睡眠時間を削ってでも政務に励んだ。
 それでなくても、王位についた彼は第三王子という、王位には無関係だと思われていた人で、国政についてきちんと学んではいなかった。
 そのため、国政について勉強しつつの政務だったため、かなり大変だっただろうことは、重臣ならば誰しも気づいていただろう。しかし他に代わりになる者はなく、ただひたすら政務に励んだ。
 そして五年ほど経ち、だいぶ安定してきたと思われる頃、彼の息子が国内を見てみたいと言い出した。

 

 ***

 

 フードを目深にかぶり、顔が見えないため性別、年齢など全く区別がつかない人物が一人、町の中を歩く。
 薄汚れたマントを風になびかせながら落ち着いた町の中を歩き、一つの店を見つけた。
 店の中に入ると、店主に飲み物を一つ頼む。差し出された飲み物はアルコールを含まないもの。純粋にのどが渇いていたのか、その人物はその飲み物をすぐに飲み干した。

「……ふぅ」
「だいぶ疲れているようですね」
「そうかな」

 答えた声は男の声。けれど、男性からすると高すぎる声に店主は驚く。

「もう一杯頼んでもいいかな?」
「あ、はい。……少々お待ちを」

 目深にかぶっていたフードを取り去ると、その下には服装に似つかわしくない整った顔立ちが現れる。濃い金色の少し癖のある髪に、幼さが残るものの綺麗と評するに足る顔立ち。
 それを見て、店主はまた驚いたようだ。
 男――というより少年はそれを見て小さく笑う。

「お待たせしました」
「ありがとう。ああ、それと」
「なにか?」
「ヒーズルウッドに行きたいんだが、誰か案内人はいないかな?」

 少年はこともなげに言う。
 が、この辺りでヒーズルウッドの名を口にする者はほとんどいない。

「……ヒーズルウッド、ですか?」
「ああ」
「どんなご用で? というか、あそこはお勧めできませんよ」
「どんな場所かは聞いている。けれど、私は行かなければいけないんだ」

 怯える様子を見せずに店主に向かって軽く笑むと、店主は小さくため息をついた。

「まあ、居ないわけではないですが……場合によっては命の保障はできませんよ」
「それは構わないが……そこは色を付けるから、なるべく腕の立つ者を紹介してほしい」
「……分かりましたよ。ちょっと待ってくださいね」
「ああ、頼むよ」

 少年は店主にもう一度頼むと、ニ杯目の飲み物に口をつける。
 彼も先ほど口にした場所に行くのに抵抗がないわけではない。けれどその気持ちを表に出す気がなかっただけだ。
 ヒーズルウッドは五年前、一番被害の大きかった所で、現在も復旧が進んでおらず、治安が悪い所だった。
 それどころか、そういった者が好んで住む場所になっているという。そこに近いこの町も、そこから流れてくる者たちのせいで町の人口が減少しているという被害がある。
 少年はそれをなんとかするために行くのではなく、ただ見に行くだけだった。そういう約束だったから。

「しかし、店主の怯え方といい……やはり気は抜けないか」

 命の保障は出来ないと言われた時、少年は構わないと返したが、本当はそんなことになったら困るのだ。
 少年は店主が紹介してくれるだろう案内人に期待するしかなかった。
 そんな時。

「ヒールズウッドに行くなら、俺が案内してやってもいいぜ」

 同じカウンターの奥のほうで飲んでいた人物が声をかける。

「誰、とまずは聞いてもいいのかな」
「自分は名乗らないのに、か?」
「それはそうだが、あそこはかなり厄介な所らしい。そんな場所に行くのに、自ら名乗りを上げる人物に対して警戒を持つのは当然だと思うが?」
「なるほど。至極当然な言い分だな」

 男はそう言ったあと、豪快に笑う。そのあとグラスに残っていたものを飲み干す。

「俺はトール・ティレーってんだ」
「トール・ティレー? まさか……あの?」

 名前に心当たりがあるのか、少年は反応する。

「お前さんが言う、あの、ってヤツはわからねえが、俺はそーゆー名前だ」
「なるほど。ならあなたに頼もう。私はユージアルと言う」
「ユージアル、ね。ま、とりあえずそれでいいわ。呼ぶことさえできれば問題ねぇ」

 さらりと名乗ったため、偽名だろうと思われたようだ。別に隠していないのだがな、と思いながら、ユージアルと名乗った少年は苦笑する。
 それにしても、彼が本当にトール・ティレーだとしたら、賞金稼ぎの中でも有名な、あの『ティレー』ということになる。噂と少し違うようだが、彼が嘘をついているようには見えない。
 ユージアルは彼を信用することにした。

「それならよろしく頼む」
「ああ、任せておけ」

 気軽に言う声は頼もしいと感じる。偽りではなく、大丈夫だとユージアルは感じた。

「そうだ、支払いの方だが――」
「あーそうだな。うーん……とりあえず内容とかかる時間にもよるが……一つだけ、特別料金ってヤツを作ってもいいか?」
「特別料金?」

 確かに場所が場所なため、いつもより案内料は弾むつもりだったが、相手のほうから言われるとは思わなかった。ユージアルは持ち合わせている金額を思い浮かべる。

「相場以上は考えていたが、あまり高すぎても持ち合わせがないのだが」
「別に金で払えって言ってるわけじゃねぇ」
「ならどうしろと?」

 金でないのなら何を払うのか、少し身構えると、男はまた笑う。

「お前さんに用がある、と言えばいいのかな」
「私に?」

 ユージアルの頭の中に思わず“男色”という言葉がよぎる。
 もちろんユージアルにその気はない。だから特別料金とやらの内容によっては即お断り、になる。

「おいおいおい、お前、なに考えてんだよ」
「いや、私に――となると可能性の一つとして頭に浮かんだだけだ」
「まあ分からなねぇわけじゃないけどな。まだガキってのもあるけど、男くささがなくて、そこらの女よりキレーな顔してるしな」
「あまり嬉しくないな」
「そりゃそうだ。まぁ、もう少し大きくなりゃ、しっかり男に見えるようになるだろ。……って、そうじゃなくて、俺が言った特別料金ってのはなぁ――」

 トールは大して気にした風もなく、自分の要求を口にした。

 

 ***

 

 トール・ティレーと町を出てニ日。ユージアルはやめておけば良かった、と少し後悔していた。
 例の特別料金のせいである。

「なあなあ、お前さんとこは――」
「だから何度も言っているが、私の家は少し特殊だから、あまり聞きたいことに答えられないと言っている」

 ユージアルが辟易した顔で答えるが、トールはまったく堪えていない。ひたすら話し、聞きたいことを聞く。

「ヒーズルウッドへの道案内はありがたいが、そんなに家族が大事なら、何故また戻ってくるんだ」
「何を言う? 今の家族はイドリアにいるが、こっちにはオヤジとお袋が眠っているんだよ。たまには会いに行こうと思うのが子供心だろうが」
「……それなら、なぜ気になる家族を置いてくる?」

 その年で子供心と言うな、と真っ先に思ったが、年とっても親は親、子は子である。親の墓参りをしたいという気持ちは至極当然だと思い、それについての言及は止めた。

「あそこはマジでヤバイんだよ。そんな所に大事な家族を連れて行けるわけねーだろうが。まぁ、かみさんもその筋だし、娘たちもある程度教えてあるから普通よりはマシだが――」

 このトールという男は、賞金稼ぎ兼なんでも屋というかなり危ないことを平気でやる人間だ。道すがら聞く噂では、彼に任せれば大丈夫だと言われるほどの腕を持っているらしい。
 確かに彼は顔の美醜はともかく、一種独特の雰囲気を持っていた。どんな時でも自分を崩さない。危険な時でも遊んでいるかのような余裕さえ窺える。
 このニ日間で三回ほど襲われたが、その三回とも彼がからかいながら撃退した。
 まだ若いユージアルにはそれが大人の男が持つ余裕に思える。そして、それをあしらうことができないユージアルは、ここぞとばかりにトールの餌食になった。
 家族のいるイドリアを出てヒーズルウッドまでの数日、あまり人と話をしていなかったらしい。
 ……というか、命を賭けるような仕事をしている男が、無類の話好きとは思わなかった。
 想像していたものが崩れた気がしたが、それでもしかめっ面のまま数日歩くよりはマシなのだろう、と前向きに考える。

「んでよ、その相談なんだが……」
「だから私の家は――」
「分かっているけどよぉ。お前さん、親のことを父上だの母上だの言ってただろ?」
「あ、ああ。それが何か?」
「堅苦しくねぇか?」
「……特に考えたことはなかったな」

 ユージアルにとって、その言い方は小さい頃からのもの。別に可笑しく感じたことはない。

「そうか。でもまだいいよなぁ」
「何がだ?」
「ちゃんと父って言ってくれてるじゃねぇか」
「当たり前だろう。父なのだから」

 そう返すと、トールの顔が先程の余裕顔から途端に崩れる。

「な、なにか……?」
「そうだよなぁ。フツーそうだよなぁ」
「すまないが、何を言いたいのか分からないのだが……」

 初めて見る――といってもあって二日しか経ってないが――トールの情けない顔に、ユージアルは少し驚きどう反応していいものか迷う。

「いや、別に仕方ないといえば仕方ないのかもしれねぇ。実際、血の繋がった父親じゃねぇしな。だからって、だからって……」
「トール殿?」
「なんで、『父ちゃん』じゃなくて、『ししょー』なんだよぉ!? 前はちゃんと『とーちゃん』って言ってくれたのによぉ! うう、ふぉりぃぃ……」
「…………はぁ?」

 ユージアルがなにを嘆いているのかを問う前に、トールは叫び声をあげた。
 話についていけず、かといって忘れるには鮮明すぎる思い出になった。

 

 ***

 

 そして十年後、奇妙な縁でユージアルはトール・ティレーの娘と出会う。
 彼はこの国の第一王子だ。トールは知らなかったとはいえ、平気でタメ口で話していた。
 そして、知ってなお平気で普通の口調で話すトールの娘、フォルマリール。
 立場を気にせず平気でものを言うのは親子と言えるが、二人は血が繋がっていないらしい。
 こうなると、子供は血によって似るのか、育て方によって似るのか、ユージアルは疑問に思う。
 その遠慮なく物言うトールの娘、フォルマリールは今は本にご執心で、ユージアルがずっと見つめているのに気づかない。
 彼女の育ちや仕事を考慮すれば、視線を感じれば反応しそうなのだが、この場所と側にいる人物は、彼女にとって危害のないものだと思っているからだろうか?
 だとしたら、そんなところまで育ての親とそっくりだと思い、ユージアルは思わず「そっくりだな……」と呟いていた。

「ん? どうしたの?」

 独り言のように呟くと、すぐさまフォルマリールから訊ねる声がした。
 やはりこちらに多少なりとも意識を向けていたのだな――と思いつつ、ユージアルは笑みを浮かべる。

「いや、フォリーを見ていたらある人を思い出してな」
「誰?」
「フォリーの父だ」
「ち……師匠、のこと?」
「ああ、というより、やはり師匠というのだな」
「ん?」

 話の意味がわからない、といった風にフォルマリールは軽く首を傾げる。

「いや、前に仕事を頼んだことがある、と言っただろう?」
「ああ、そう言えば」
「その時に散々言われたのだ。娘が父と呼んでくれない、と」
「は? えーと……それってどれくらい前?」
「だいたい十年前の話だ。旅に出ている間に会ったのだが」
「なら無理でしょ」

 当然の顔で答える彼女に、ユージアルは少しトールのことが気の毒になる。
 彼は血の繋がらない娘にも惜しみない愛情を注いでいた(本人談)らしいが、彼女は彼を師匠と言って距離を置いている――と嘆いていた。

「なぜ当然なんだ?」
「だって、その頃って稽古をつけ初めてもらって少したった頃かな? 稽古中は『父じゃない。師匠と呼べ!』って怒られたの。こっちも器用じゃないから使い分けできないし、面倒だからずーっと『師匠』って言うことにしたの。しかも跡を継いでからは特に」
「なるほど」

 なんてことはない。彼はただ単に墓穴を掘っただけではないか、とユージアルは今頃になって事の真相に辿り着いた。

「いきなり何を言うかと思えば……」
「いや、フォリーの行動を見ていたら、トール殿のことを思い出したのでな」
「は?」
「トール殿は娘が父と呼んでくれないと散々嘆いていたのだが、気がつくとフォリーはトール殿と同じようなことをするな。顔かたちはともかく、行動は親子と言える、と」

 それに考え方など特にそっくりだ。親子と言っても信じそうだ、と付け足す。
 あんな性格でもトールは仕事になると手を抜かなかった。彼女もそう。そして実力に見合うだけのものも持っている。

「どうした?」

 ユージアルの考えとは裏腹に、フォリーはしかめっ面をしていた。

「あ、いや、ええと……師匠は確かに私にとって大事な人だけど……似ていると言われると微妙な気持ちかな、と」
「そうか?」
「うん」

 確かに男なら彼に似ている、と言われてもいいだろうが、女性としては確かに微妙かもしれない。
 だけど、それよりも。

「大事な人……か」
「どうしたの、ユージアル?」
「いや、少し焼けるなと思って。臆面もなく彼のことを大事だと婚約者に言われると、意味が違うと分かっていても焼けるものは焼けるものだ」

 持っていたペンを静かに机の上に置いて、フォルマリールの座っている長椅子に向かう。

「ユージアル?」
「私もフォリーにとって大事な人でありたいのだが」
「それは……」
「それは?」

 何をしようとしているのか感づいたフォルマリールは、ユージアルとの間に一定の距離を保とうとする。

「ユージアル イコール タヌキのほうが強いから無理」

 本でしっかり壁を作りながらのフォルマリールの言葉に、ユージアルはガクリとくる。
 確かに騙すような手口で彼女を手に入れたとはいえ、結婚を間近に控えた相手にタヌキと言われるとは――自分が蒔いた種とはいえ、なかなか払拭されないようだ。
 苦笑しながら、ユージアルはフォルマリールの持つ本を退ける。

「それではタヌキより大事だと先に言うくらい親交を深めるとしようか」
「え? ちょっと、今しご……」

 最後まで言わせる気などなかった。ユージアルはすかさずフォルマリールの口を塞いだ。
 フォルマリールもすでに諦めているのか、嫌がることなく静かに目を伏せた。

 けれど、その後のフォルマリールの言葉にガクリと来る。

「ええと……大事だなあ、とは思うけど、やっぱりタヌキのほうが先に来るのよね」
「……」

 視線を泳がせつつ答えるフォルマリールに、ユージアルはトールの姿と自分を重ねた。

 

あとがき

本編中に入れられなかったフォリーの師匠とユージアルの会話の話。
でもこれだと話のほうで厳格だの言ったのと180度違う人のようです(汗)
んでもってタヌキは定着してしまったようで。

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