第10話 一時帰還(6)

 結局、ベルディータが確認した北の森のことについては一時保留になった。
 推測はいくつか立てられたものの、それが正しいのかまでは分からない。ただ、この先周囲の術式を解除――魔物を消す――していくことでどうなるか、注意を払うことになった。
 そしてヴァレンティーネは消え、優花の中に戻った。
 それを合図に話し合いはお開きになり、今はベルディータと二人、優花の部屋へと戻るため、廊下を歩いている。
 ベルディータと同室というわけではないが、近くの部屋を使っているようだ。

「ねえ、ヴァールさんがわたしの中にいるの……なんか、意味あるの?」

 優花は自分の胸元に手を当てながら、不思議そうな顔をする。
 ヴァレンティーネは優花の中に消えていったというより、その場から輪郭を崩して消えていったので、優花の中に入ったという感じではないのだが、初めの話が事実なら、今は優花の中にいるのだろう。

「まあ、完全に体を維持できるほどではない……らしいし」
「そうなの?」
「それに、ヴァレンティーネの存在が明らかになれば、またいろいろと問題になるだろうからな」

 と、諭されたが、それで優花の中に戻るというのが、イコールで結ばれるというのがわからない。
 消えたヴァレンティーネも今は優花の声にまったく答える気配がないので、いるかどうかも分からないくらいだ。

「……ユウカが嫌なら別の方法を考えるが」
「ん? まあ、別にいいんだけど……いまいち実感がね、ないっていうか」

 そう言いながら、軽く首を傾げる優花に、ベルディータは苦笑する。
 誰でも受け入れるような広い心があったからこそなのだが、きっと優花は納得しないだろう。

「とりあえず、また外に出ることになるだろうから、早めに休んだ方が良い」
「そう、だね」
「私が感じたものがどうあれ、今までと変わりはないだのだろう?」
「うん。まあ……。あ……」
「どうした?」

 先ほどの話し合いでは聞けなかった疑問が、優花の中で浮上した。
 けれど。

(聞いても大丈夫かな? なんか、話したくないようだから、黙っていたっぽいし。でも……)

 優花はここに来た時のようにファーディナンドを疑ってはいない。ベルディータも優花の味方をしてくれる。
 だが、彼ら二人にとって優先順位はこの世界のほうが上なのだ。優花もそれを否定する気はない。
 けれど……。
 薄暗い中、いつの間にか部屋に辿り着く。
 扉の取っ手にに手をかけたまま、動かそうとしない。

「ユウカ?」
「……」

 訝しむベルディータを余所に、優花は俯いて何も言わない。

(今なら、もしみんなと会っても、別に今していることを放り出すわけじゃないんだし……だったら、どうして?)

 自分の方から問い質すようなことはしたくない。ベルディータたちから打ち明けて欲しい。
 だけど。

「ベルさん」
「何だ?」
「わたしに……何か言うこと、ない?」

 どうしても気になって、優花はベルディータに訊ねた。
 ただし、訊ね方は曖昧だった。
 ベルディータはその質問に少しだけ眉をひそめた。優花の中にいるというヴァレンティーネの反応もない。

「何、とは?」
「えと、その……」

 優花が知った事に気づいていないのか、知られた事に気づいてもそれを表に出すほどのことではないのか――ベルディータの表情を見ても、どちらか分からなかった。
 ベルディータの気持ちは、優花にはまだまだ理解できないところにある。この世界で誰よりも近いと思うのに、まだまだ距離を感じてしまう。
 どう言おうか迷いながらベルディータを見ていると、ベルディータが手をあげて優花の頬に触れる。少し硬めの大きな手に小さく反応する。

「一体どうしたのだ?」
「………………わたしに、何か言うことない?」

 結局、やっと紡いだ言葉は最初に尋ねた言葉と同じだった。
 今にも泣きそうな顔で、未だに頬に触れているベルディータを見つめる。
 優花の態度にベルディータも戸惑いながら口にしたのは、「……遅くまですまなかった。朝はゆっくりと休んでいていいそうだ」という言葉だけだった。

「…………わかった。お休みなさい」
「お休み」

 優花はやるせない気持ちを隠せなかった。だから、短く答えるベルディータの顔を見ずに部屋の中に急いで消えた。
 彼がどのような顔で優花を見ていたのかはわからない。
 優花は扉を閉めてから真っ直ぐに寝台に向かってたどり着くと、ぽすんと倒れ込むように寝ころんだ。

「馬鹿……」

 小さく呟くと、堰を切ったように次から次へとこぼれ出る。

「馬鹿、馬鹿、ベルさんの馬鹿。頭でっかのちの大馬鹿……」

 ベルディータが――彼らが自分達の感情を押し殺してこの世界のために尽くしてきたかは、少なからず理解している。その気持ちを知って、優花も彼らのことを手伝いたいと思った。
 その気持ちは偽りなかった。

 ただ、昼間の話が慎一たちなら話は変わってくる。
 彼らは優花のためにこちらに来てしまったのだから。

(あの時、もっと早く手を放していたら良かったのに……)

 そんなものは結果論でしかない。
 普通、いきなり地面に穴が空いて訳のわからない所に吸いこまれそうになれば、掴まれるものがあれば必死になって掴むだろう。相手も懸命に引っぱり上げようとしてくれたのを、優花は覚えている。
 だからこそ、自分のためにこちらへ来てしまった彼らを放っておくことはできない。
 来る前に、「話にありがちだけど、相手が優花じゃねぇ」という言葉をもらったが、それでもヴァレンティーネが呼んだのは力も何も持たない優花だった。
 それを前提に考えると、いくら優花よりしっかりしていて強くても、巻き込まれたのは彼らの方だ。
 なら、優花は巻き込んでしまった責任を取らなければならない。

(それに……)

 優花はもう一つのことに気づき始めた。
 それはヴァレンティーネの存続。
 この世界に来てすぐにファーディナンドと口論した時、道は閉ざされたと言った。そして、ファーディナンドでは優花をどこから呼び出したのか分からないとも。
 それは、別の方向に考えれば、呼び出した張本人――ヴァレンティーネなら、優花をどこから呼び寄せたのか分かっているのではないかということ。
 そして、彼の存在がしっかりすれば、日本に戻ることも可能なのではないかということ。

(……って思うんだけど、ヴァールさんは答えてくれないんだろうな)

 幸か不幸か、優花の存在は今、彼らに必要とされている。
 だから彼らは慎一たちの存在を、還れる可能性を告げないのではないか――そう考えると、胸が痛むのを感じた。
 生まれ育った日本に比べれば格段に短い時間。
 それでもここで過ごした濃い時間を考えると、還れる方法があるかもしれないという可能性もすぐに飛びつけるものではなくなっていた。

 

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