嬉しいと思った優花は、頬が緩んでいくのを止められなかった。
目が細くなり、口端が上に持ち上がる。
「ユウカさん?」
黙ったまま笑みを浮かべる優花に、村長が心配して尋ねる。
「はい?」
「顔が笑ってるぞ」
何を言われたのか分からず返事をすると、ベルディータに呆れた口調で突っ込みを入れられる。
気まずさを魔化すために、さらに笑いたい気持ちになった。
「あ、いやそのこれは……」
視線が集中しているのを感じて、優花は顔を赤く染めながらもごもごとする。
以前の優花は注目されるほうではなかったので、人の視線に慣れていない。
そんなに見ないでほしいんだけどなぁ……と心中でぼやいた後、ひとつため息をついた。
「ユウカ?」
「あ、ごめんごめん。なんか急に嬉しくなったもんで、つい……」
「嬉しい?」
「だってわたしが言ったことが切っ掛けになってくれたって言うなら、嬉しいよ」
今まで魔物のことばかりを考えていて、人からどんな風に見られているのかまでは考えていなかった。
だから面と向かってお礼を言われた時にすぐに理解できなかった。
けれど理解した今は、嬉しくて仕方ない。
「えー、だってお姉ちゃんって神様なんでしょ?」
「そうだよ、神様なら言われ慣れてない?」
こういう時は、大人より子どもたちのほうが遠慮なく尋ねることが出来るようだ。
戸惑う大人たちに代わって、エリナとクロクスが意外そうな顔でそれぞれ疑問を口にする。
「ないよ。だってここに来る前の高校での成績は中の中がいいとこ。体育の成績なんていったらもう泣けてきちゃうくらい悲惨だったもん。友達のほうがすごかったし。そりゃ、お礼とか褒められるのが全くなかったわけじゃないけどね」
「……ユウカさん。一体どんなところで暮らしてたんだよ? コウコウって、タイイクって何? 一番の疑問は『ここに来る前』って? どこに居たわけ?」
「ユウカ……これでは助けようがないんだが」
「……う。ベルさんに話してるような感じで、つい……」
クロクスのツッコミに、優花は今になって話し相手はベルディータではなかったことに気づく。
ベルディータの場合、優花が別の世界から来たということを知っている。だから元の世界のことをよく話していた。そのおかげで抵抗なく元の世界の話をするようになっていたらしい。
(ヤバイなあ。わたしって結構口が軽いほうだったのかな。でも特に隠すことじゃないような気がするし……)
優花は少し俯いて考えこんだ。
次の神に、というのはバレている。力のないこともバレている。ここまでバレているのなら、隠しても仕方ないかな、という結論に至る。
それに隠しているよりも騙すほうが嫌だ。
「えっと……信じてもらえないかもしれないけど、わたしはこの世界の人間じゃないから。さっき話したのは元の世界でのことだよ」
「話していいのか?」
横からベルディータが意外そうな声でたずねてくる。
「別に隠すことじゃないし。だいたいここまで話したら、きちんと最後まで説明しなきゃすっきりしないでしょ?」
「そういう問題なのか」
「うん」
それに別の世界から来たということが、何かの役割を果たすかもしれない。
この世界にいるからこそ見えないもの。
別の世界にいたから見えるもの。
優花はどう説明したら分かってもらえるだろうか、と考えながら話した。
「わたしの世界には魔物なんてのは存在しなかった。だから嫌なこと、嫌な思い、それを魔物のせいにできなかったの。人のせいにする人もいないわけじゃなかったけどね」
「それは分かりますが……でもここには魔物が存在します。皆恐れて、そのために……」
少々納得いかないという表情で町から来た男が返す。
でもその考え方がこの世界を昔と同じままにしている原因なのだ。
「魔物がどうして存在するかはベルさんに聞いたでしょ? 魔物のせいにしちゃダメ。自分の悩みは自分と、そして周りの人に手伝ってもらって解決することだよ」
「ですが……」
「わたしたちはたまたまここに来ただけで、エリナちゃんのことが分かってて来たわけじゃない。もし来なかったらエリナちゃんはどうなっての?」
「それは――」
言い淀む村長に、優花は畳みかけるように尋ねる。
「エリナちゃんから魔物が出てきたからってずっと幽閉しておくの? そうしたらもっと村の人を恨むかもしれない。そのせいで魔物がまた出るかもしれない。それでもすべて魔物が悪いって、自分たちは悪くないって言うの?」
ここにはたまたま寄っただけだ。
立ち寄ることがなければ、エリナは優花の言ったとおりの人生を送ることになっていたかもしれない。
エリナはそれに気づいて手をぎゅっと握りしめた。その様子を見て、優花は少し言い過ぎたかなと思う。
けど、そんなことで怯んでいては前に進めない。
「わたしは……わたしは自分たちのことは自分たちで解決してほしいって思う。わたしには力なんかないし、頼られても話を聞くことしかできないから」
「それ、あたしにも言ったことだよね、お姉ちゃん」
「エリナちゃん?」
「いろんな人にきいてもらうこと。それとその人たちの話をきくこと。そうすれば、少しずつかわっていくって言ったよね」
「うん、わたしはそう思うよ」
それだけでは済まないこともあるのは分かっている。
でも、それをするだけで変わることもある。
ケースバイケースなのだろうが、まずは人に話す、聞くというところから初めてほしいと思った。
「わたしが言えるのはそれくらいかな。少し時間がかかると思うけど、これからは話し合って本当の意味で助けあってほしい、って思います」
「はい……」
まだ素直に納得できないのか、村長たちは微妙な表情で頷く。
そのあとネレウスが口を開いた。
「なら、私の罪はどうすれば許されるのでしょうか?」
「え?」
「あなたは私の過去を見たといいました。なら、私がどんなことをしたのかも分かっているでしょう。どうすれば私は許されるのですか? 神であるあなたは私を許してはくれないのですか?」
真剣な表情で問われて、優花は言葉を詰まらせる。
神である優花が許すといえば、彼は救われるだろう。
でも、優花にはそんな権限などない。いや、あってはならないと思う。
「それは……ネレウスさんから出た魔物でわたしが怪我をしたこと? それとも今までしてきたことの全て?」
「それは……全て、です」
「なら無理だよ。わたしのことはわたしの不注意でそうなったから、ネレウスさんのせいじゃないけど、エリナちゃんのこととかは別だもの」
「そんな……」
絶望的な表情のネレウスを見て、優花は心の中でごめんなさいと謝る。
「許してもらえるのは……これからのネレウスさんの生き方によって……じゃないかな」
「私の?」
「うん。あのね、わたしがいた世界でも、人が人の罪を裁くのはとても難しいの」
「そうなのか?」
問うベルディータに優花は首を縦に振る。
優花もきちんと日本の裁判制度を把握しているわけではない。
確か三回まで裁判を行うことができるし、その都度、罪を問う側と、弁護する側に分かれて、物的証拠やその時の心理状態などを出して話し合う。互いに出し尽くしたあとになって、やっと裁判官が判決を下すのだと説明した。
「一つの判決を出すのに数年かかる場合もある。それだけ、人が人の罪を裁くのは大変なんだよ」
「ほう……」
「だからね、わたしが『神』という立場にいるからって、勝手に許すことは出来ないって思う。許された人はいいけど、被害にあった人たちの気持ちはどうなるの、って」
それがあるから、優花は勝手に『許す』と言えない。
しかも、『神』だと分かってしまった今では、なおさらに。
「なら、どうすればいいのだ?」
「えと……同じようにするとか……でもここには科学的に証拠を証明できることはできないし……とりあえず、本人に罪を贖う気があれば、どんなことでもできると思う……かな。あとは被害にあった人がそれを見て、許す気になるかどうか――今思いつくのはそれくらいだけど」
「……何気に厳しいことを平気で言うな」
「そ、そうかな?」
ベルディータにはそう返すが、確かに厳しい意見だと優花も思う。
でも被害にあっていない優花が、自分の立場を利用して勝手に許していたら、被害にあった人たちはどう思うだろうか。それに、真に反省しているかどうかを判別するものもないのだ。
「えと、話が逸れちゃったけど、そんな感じなんでネレウスさんの罪をどうのと言う権利はわたしにはないんです。許されたいって思う気持ちは分かるけど……そう思うのなら、何らかの形で罪を贖ってほしい、って思います」
新しい神という立場にいることが知られてしまった今、優花の言葉は重みを増す。
そのため、優花はどうすれば一番いいのかを考えながら、なんとか答えた。