間の悪いことに扉を叩く音がする。
でもここできちんと話をしておかなければ、後々引きずるかもしれない――そう考えて、優花は返事をするのに躊躇った。
けれど、ベルディータの方は気にしていない素振りで立ち上がると、扉に近づきゆっくりと開けた。扉の向こうには村長の姿が見える。
「何か?」
「いえ、声が聞こえたのでユウカ様が気づいたのかと」
「ああ、先ほど気づきましたよ」
「そうですか。良かった。少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
ほっと一息つく村長に、かなり心配かけさせたのかな、と優花は思った。
あれからどうなったのか話を聞きたいのもあって、こんな恰好で申し訳ないが話をしたい、ということを告げると、村長は問題のネレウスたちも含めて部屋の中に入った。
優花たちに加え、村長、ネレウス、エリナ、クロクス、そして町から来た二人――かなりの大所帯になっている。
「お加減はいかがですか。ユウカ様」
「あ、はい。少しふらつくけど大丈夫です」
「そうですか、良かった……」
軽く挨拶をした後、優花は自分が様付けで呼ばれていたことに気づいた。
確か彼はベルディータのことは『精霊術士殿』など敬称をつけて呼んでいたけど、優花には『さん』で呼んでいたはずだった。
何となく嫌な予感がし始める。
「あの……」
「なんですか?」
言葉遣いも丁寧になってるような気がする。
なぜだろうと思って、優花はベルディータの袖を軽く引っ張った。
「なんだ?」
「あの、ちょっといい?」
他の人に聞かれたくないので、優花はベルディータを引っ張る。それに気づき、彼は優花のすぐ近くまで腰をかがめた。
「あの、村長さんは何で、わたしのことまで様付けで呼んでるの?」
「ああ、それは……済まないが説明するために、ユウカの立場を明かさなくてはならなくてな」
「立場?」
「神という立場だ」
「……はい!?」
状況が飲み込めず、目を丸くして固まってしまう。
そんな優花を見て、ベルディータが軽くため息をついたのが聞こえた。
***
時は少し前に遡る。
ちょうど優花が意識の底でヴァレンティーネと話をしていた頃だろう。
ベルディータは青ざめた顔で眠っている優花を見つめながら、窓の桟に苛々した感情をぶつけているのか、指先でトントンと何度も叩いていた。
傷はすでに治してある。失われた血は戻せないが、力を使ってそれは補った。万全な体調とは言えないが、意識が戻ってもいい頃なのに、いつまで経っても彼女は眠ったままだった。
それなのに目覚めない彼女に、彼は苛ついて不機嫌の度合いが増していく。彼をよく知る人物から見れば、それがよく分かるだろう。
「あの……」
そんな彼を見ながら、村長がそっと声をかけた。
不機嫌なオーラ全開のベルディータを目の前にしながら声をかけるとは、かなり勇気があるのかもしれない。優花が見たら「すごい」とか言いそうだ。
「あの……、出来ましたら先ほどのことを説明して頂きたいと……。彼女は何者なのでしょうか。今まであのように魔物が姿を消すことはありませんでしたし」
村長は眠り続ける優花に軽く視線を移し、そしてまたベルディータに視線を戻した。
魔物は殺すもの――というのが定石のこの世界。剣で斬るか、精霊術などの力を使うか、他の生き物を殺すのと同じ、いや、それ以上の力が必要になる。
けれど優花はどちらにも当てはまらない、今まで人が見たことのない方法で魔物を消した。それを見た彼らは何があったのか、どうして魔物が消えたのかの説明が欲しいのだ。
特に町から派遣されてきた二人は報告の義務がある。
「赤の精霊術士殿」
なかなか口を開かない彼に、村長が心配して尋ねる。
ベルディータはどう答えたものかと思考を巡らした。
世界も魔物の数は減りだして変わり始めている。けれど、変わるのは世界だけでいいのだろうか。人の気持ちが変わっていかなければ、本来の意味で変わったとは言えないのかもしれない。
そんな考えが浮かんできたのは、エリナとネレウスのせいだった。
思わず村長からエリナ、ネレウスに視線を移してじっと見つめる。
本当ならこの二人は捕えられ幽閉される身だった。それが、優花が関わったためにその未来は変わった。
それに彼女も言ったはずだ。前のやり方だけでいいのか、と。
なぜ魔物が生まれるのかを人が理解すること。そして魔物を生み出さないようにすること。
『神』に頼ることを止め、自分たちで解決すること――そこまでしてやっと『世界』が変わるのではないのか。
「あの……」
ベルディータに再度問う村長。
そして、黙り込んでいる彼に対して苛立ちを感じたのか、クロクスが少し声を荒げて尋ねた。
「あんた、一体なに隠してんだよ!?」
「く、クロクスだめだよ!」
「そんなこと言ったってエリナだって気になるだろ? ユウカさんがどうやってあの魔物を消したのか。なんでそんな力があるのか。あんなの……あんなの、初めて見た……」
「う、うん。そうだけど……」
クロクスの声にはっとなり、ベルディータはやはり話すべきだと判断した。
彼は優花のしたことを何かの力を使ったのだと思っている。
それは特別な何かがなければ出来ないことで、普通では出来ないと言っているのと同じこと。
でも違うのだ。
本来なら誰しも優花のようなことが出来るはず。少なくとも優花はそう言っていた。
考えの相違――だから自分たちのしていることに気付かないし変わらない。
「ユウカは……」
「ユウカさんは?」
「……いや、その前に……前の神が亡くなったことは聞いているか?」
「あ、はい」
答えたのは村長。
クロクスは何でそんなことを、といった顔をしている。
「ユウカはその前の神の跡を継いだ新しい神だ」
優花の許可を得ずに立場を語るのは悪いとは思う。
けれど、彼女の意識があれば必ず否定するだろう。それでは話も進まなくなる。
だからベルディータは優花の意識のない今を利用することにした。そして、出来る限りの情報を彼らに伝えた。
「お姉ちゃんが……神、さま?」
「ユウカさんが!?」
「あの……それは本当なんですか?」
「そんな……」
口々に信じられないといった言葉が飛び出る。
無理もないだろう。前の神は宮から出ることもなかった。神が亡くなったという話はあっても、実際に確かめるには宮まで出向かなくてはならない。
こういう小さな村では、そこまですることは少ないだろう。
「事実だ。前の神が亡くなる前、次にと選ばれたのがユウカだ」
「な、なんで、あんたはそんなこと知ってるだよ?」
「一応、これでも前の神とは近しい関係でな。彼女がなぜ選ばれた理由なども全て知っている」
自分たちのため――とは言えなかったが、それでも優花は成果を上げている。
彼女には不本意だろうが、次へ進むための布石として、この村の意識を変えることを選んだ。
ここから少しずつ意識が変わっていって欲しいと願いを込めて。
「お姉ちゃんが……」
「もしそのお話が本当でしたら、彼女は魔物を消すために次の神になられた――ということでしょうか?」
「それは違う。見た目からすればそう思えるかもしれないが、彼女が目指しているのはもっとその先のことだ」
「もっと先?」
魔物を消しただけでは変わらない。人にとって衝撃的な事実でも、伝えて次に進ませる。
そのためベルディータは彼らの一族などのことは伏せておいたが、魔物が生まれる元になった状況や、どうして魔物が生まれるのかを淡々と説明した。
「そんな……」
真実を知って青ざめる彼らを見て、ベルディータは軽くため息をついた。
やはり真実を話すは早かったのか――そう思った。
が。
「……そうなんだ。だからあたしから魔物が生まれたんだね」
「エリナ?」
「ずっとふしぎだったの。あたしみんなといっしょにいたのに、なんでそんな魔物が生まれるようなもとをもっていたのかなぁ、って。お母さんが死んじゃって、お医者さんのことをうらんでうらんで……だからだったんだね」
「すまない……私は……」
ネレウスが申し訳ないといった顔でまだ幼い少女に謝る。そこには自分のしたことを悔いている姿が見えた。
それにエリナの方も恨んでいると口にしても、それほど思いつめた気持ちは見られない。
「今でもにくいっていう気持ちはのこってるの。でもお姉ちゃんがそういう気持ちを持ってもおかしくないって。でも他の人に聞いてもらったり、時間がたてばなんとかなるって」
「彼女は……彼女は歪んで醜くなった私の心さえも救ってくれた。あんな風に優しい言葉を聞かなかったら、今でも私は……」
自分のことは自分でけりをつける。そうでなければ進めない。どんな答えであろうと、自分で出したものなら納得するしかない――それは優花が以前言った言葉だった。
その通りなのかもしれない。魔物を生み出した二人は自分のしたことを悔いたり、それを糧に次に進もうとしている。
「それぞれ自分の気持ちを消化し始めたようだな」
「うん」
「はい……。私の場合、償うにはまだ時間が必要ですが」
「では最後に言っておこう。ユウカは特別な力を使ったわけではない」
力を使っていないということに、彼らはまた驚いた。
何か特別なことをすれば、それは人知を超えた力を使っている――そう考えるようになっていた証拠なのだと実感する。
今まで自分たちがしてきたことを否定するわけではない。だが、優花の指摘通り、前に進んでいないのも確かだろう。
もっと早く気付けていたら、と後悔の念に囚われそうになる。
「あの、ならどうして……?」
「ユウカは言っていた。本当なら自分たちのことは、神ではなく自分たちで解決していくものだ、と」
「た、確かに……」
「ユウカは特別な力など持っていない。本人に言わせれば、多少人の気持ちが分かる程度だと。確かにユウカは人の気持ちを感じるとるのが上手い。だが、それは怒っている、嬉しいと感じている――その程度だ」
だが今日は違った。優花がネレウスに関してはどこまで感じたのか、ベルディータには分からない。
でもそれはどうでもいいと思う。
あれを解決したのはその力ではなく、優花の気持ちのなのだから。
「魔物が消えたのも、二人が変わり始めたのも、優花の心のせいだ。負の感情を否定せず受け入れる。皆、あの時に力の流れなど感じなかっただろう?」
通常、精霊術は目に見えない小さな精霊たちに頼んで力を借りるもの。
エリナやクロクスのような、まったく知識のないものは分からないだろう。
だが、医師として少しでも治療系の術を学んだネレウスや、町から派遣されたものなどは力が動いたかどうかわかるはずだ。
「確かに彼女からは一切力の動きはありませんでした」
町から派遣された男性が呟くように言う。
それに対して頷きながら、ベルディータは静かに話を続ける。
「魔物はすべて人の心に左右する。魔物を生み出すのも、またそれらを癒し消すのも。本来ならすべての人間が持っているものだ。だがそれに気づいている者はいない」
「はい。恐らくその通りです」
ベルディータの話した内容を、彼らは重く受け止めた。
ここから少しずつ考えを変えていって欲しい。
しかし、ベルディータの中には、気になることがひとつ出来た。
心の中で、苦々しい思いで呟く。
(もしかしたら、私たちがやらなければならないのは、魔物を消すことだけはないのかもしれない)
魔物以外に千年前の念、人の思い――思ったより厄介になりそうだ、とベルディータはため息をついた。