第08話 影響力(9)

 ずっと隠していた自分の気持ち。
 誰かに話したかったけれど、こんな気持ちは誰にも言えないと思っていた。
 優花は手をぎゅっと握り締めて、もう一度自分の思いを口にした。

「ベルさんのことでいろいろ考えると、どうしても『怖い』って思うのが最後に来ちゃうんです」

 魔物を探して消していく旅の中、何度か自分の存在を忘れるなと主張されるので、ベルディータのことをまったく考えていないわけではない。
 けれど、考えれば考えるほどあれこれ考えてしまって、ただ純然たる感情だけで答えていいものかどうか分からなくなる。
 それに――

「どうして『怖い』か聞いてもいいかな?」

 優しく問いかけるヴァレンティーネに優花は小さく頷く。
 もとより聞いて欲しかった話だ。

「じゃあ話してくれる? ユウカが怖いって思うのは、兄さんが言っていることが嘘だって思ってるから?」
「ううん、ベルさんの気持ちに嘘はないと思う。それは分かるんだけど……」
「分かるけど?」
「ベルさんがわたしに対して好意的な気持ちを持ってくれてるのは分かるの。みんなも言うようにわたしに対しての態度が違うってのは、わたし自身も分かる……」
「うん、そうだと思う」

 優花は人の感情に聡いほうだ。
 それに周囲の人にさえ分かるほど態度が違うのだから、ベルディータの気持ちに嘘がないのは良く分かる。

「でも、ね。でも……ベルさんは、それ以上に他の感情は隠してるから」

 クルクスの言うように、ベルディータはどこか独特の雰囲気を持っている。その雰囲気に違和感を覚え、近寄りがたくさせている。それは旅に出てすぐに分かったことだった。
 優花といるために普通の人より少し浮いて見えるくらいで済むが、ベルディータが一人でいる場合、近寄りがたいという雰囲気のほうが強いらしい。
 そういう話を聞くと、優花が見ているのはほんの一部でしかないと感じてしまう。
 自分と離れている時のベルディータはどんなことを思っているのか、それが気になる。

「ユウカ?」
「考えれば考えるほど分からなくなるの。好きって気持ちは嘘じゃないって分かってる。でもそれ以外の気持ちは分からないの。何を考えているのか分からない。でもわたしは何にも応えてないんだから、そんなこと聞く権利なんてない……」

 優花がそれに気づいたのはかなり前だったと思う。先ほど言ったような近寄りがたさとか、隠そうとしている感情とかに。
 ベルディータの言っていることと気持ちに嘘はない。だけど、それ以上に隠している何かがあるような気がするのだ。もちろん一人で千年もの間生きてきたのだから、抱え込んでいるものはたくさんあるは分かる。
 そして、その抱え込んでいるものを、ベルディータはまだ優花に語ろうとしない。そういう素振りも見せないが、それでもなんとなく察することは出来ていた。

「わたし、人の感情を見るのは結構得意なほうだと思うけど……それでもベルさんの抱えているものは分からないの。何か隠してるってのは分かるけど」

 ヴァレンティーネは「それは……」と呟いたが、それ以上続けず、優花の話を聞く。

「分かってる。ベルさんは長い間ずっと一人で居たんだもん。そんな人がなにも抱え込んでないわけがないって。多分、長く生きた分、いろいろ――良いことも悪いことも経験するんだろうから」
「……そうだね」

 ヴァレンティーネが静かに頷く。
 彼もまた長い間を生きて、いろいろな経験をしたんだろうと思う。今は気楽な口調に戻っていて、そんなことを微塵にも感じさせない。
 それは相手を信じてないのではなく、相手を思いやる気持ちからなんだろう。
 けど、優花はベルディータの隠していることを知りたくなってしまった。

「別に隠し事がまるきりない、なんてことは無理だと思う。でも、話せる範囲で話して欲しいって思っちゃうの。でも話してくれないから、それが怖いの」
「どうして話してくれないことが怖いの?」
「ベルさんは――こう言うとヴァールさんにも悪いけど、ベルさんは、人じゃないから……」
「ユウカ?」

 外見に違いはないけど、でも、まったく違う種族。だから受け入れる前に、相手の情報はたくさん欲しいと思ってしまう。
 あとで後悔したくないという気持ちから、一歩を踏み出せない。

「ベルさんが、同じ人だったら良かったのになあ、って思っちゃうの」
「どうして?」
「人だったらやり直せるから。もし相手のことを嫌いになっても、別れて次の人を探せばいい。でも、ベルさんの手を取った場合、ベルさんもわたしもやり直しができないでしょ?」
「それは……」
「だから、ベルさんが抱えるものが分からないから、踏み込むのが怖いの。ベルさんの手を取った後、それが分かったら? それを知って『やめれば良かった』って思っちゃうかもしれない」

 何か言いかけたヴァレンティーネを遮るように、優花は自分の思っていることを口にする。
 言い出したらもう止まらなかった。
 ずっと抱えていた不安。それでも相談できる相手はいなかったから。

「そんな風に思ったのをベルさんが知って、ベルさんが悲しむのも嫌なの。ベルさん、ぜったい気にすると思う。気にして気にして……わたしにすごく気を遣っちゃいそうで。だから……」
「だから知りたい。兄さんが隠している心の底を」

 搾り出すような声に、ヴァレンティーネの声が重なった。
 でもそれは優花が思っていたことと同じだから、優花は素直に頷いた。

「やっぱり、そうだったんだね」
「え?」

 優花の気持ちを肯定するヴァレンティーネに、優花は驚きながら顔を上げた。

「どうして分かるの?」
「ええと、ほら、兄さんがユウカに力を与えたでしょ?」
「……あ、もしかして時を止めたっての?」
「うん。そう」
「……覚えて、るけど……」

 ああ、そうだ。あれもかなり衝撃的だった――と今も思う出来事。
 キス自体はその後何度もされたので多少は慣れたけど、最初の記憶は脳内から抹消したいくらい衝撃だった。
 しかも、未だにそんな感じに思えないが、なるべく死なないよう時を止めたなどと言われたのだから。

「あの時兄さんは、ユウカが死なないようにと時を止めたんだよね?」
「うん。そう言ってた」
「だけど力というのはより強い思いがあると変化するんだよ」
「変化?」
「うん。兄さんの力はユウカの中に入った時点で、兄さんの思いよりユウカの気持ちの影響を受けるんだよ」
「よく……分からない」

 意味はなんとなく分かるけど、どうして今その話が出てくるのかが分からない。
 もうちょっと説明して欲しいと思っていると、くすくすと笑いながら説明してくれた。

「だからね、兄さんはユウカが死なないようにと願って力を送った。でもユウカは人の――兄さんの気持ちを知りたいと思った」
「うん」
「だから力はユウカの中でユウカが望むように変わりかけてる。ユウカの時を止めるよりも、ユウカが相手の気持ちを推し測れるようになりたいと望んだから」
「……うん。だって知りたい、って思ったから」

 言われてはっと気づく。以前より人の感情については感じ取りやすくなっていることに。
 ネレウスのことについてもそうかもしれない。今まであんなに明確に感情や過去が分かるなんてことはなかった。

「もっと知りたいという思いが強いから、だからユウカの中で力は変わりはじめた。多分これから先、ユウカが願う度にその力はもっと強くなるかもしれないんだ」
「それって……いつか人の心まで分かるようになっちゃうってこと?」
「そこまでは分からない。ユウカの気持ち次第だから」
「そう、なんだ……」
「力は純粋に力なんだよ。力自体に善悪の区別があるわけじゃない。その力を使う人によって、良くも悪くもなるんだ」
「力は純粋に力……か」

 前にベルディータにも同じことを言っていたことを思い出す。
 そしてその言葉を、優花はゆっくりと噛みしめるようにして心に刻んだ。
 ベルディータの隠している心を知りたいと思うと同時に、隠そうとしているものを盗み見るようなことはしたくないと思う。
 同時に人の感情について敏感になるのは、これから先魔物を探していくのには有効な手になるかもしれない、とも考えた。

「魔物を探していくにはいいかもしれないけど、人の心にまで踏み入りたくないかな」
「そうだね。それはユウカにとってもきついことだと思うし」
「……そう、だね。でも……」
「でも?」
「どうしよう。今になってやっと自分の気持ちが分かったような気がする……」
「ユウカ?」

 ヴァレンティーネと話していてやっと気づいた。自分の中で、ベルディータという存在が占める割合が、かなり高いことに。
 同時にヴァレンティーネにも言ったように、一度進んでしまったら引き返すことが出来ないから、後悔しないためにと、相手の気持ちばかり知ろうとした。
 その間、自分の気持ちを口にせずに。
 そしてそれは自分の欲求を叶えると同時に、魔物を探す旅にも利用できた。
 魔物のことを理解して上手く消すことができれば、自分の存在を示せる。頭も良くないし、戦うような力もない自分ができる、ただ一つの方法でもある。
 自分という存在が必要だと思って欲しい――そのためにいい人を演じていたことに。

「ユウカ?」

 そう気づいたら、無意識に涙が出ていた。
 涙といって今は意識のみの存在。感情が分かりやすくそう表現しているだけだが。

「わたし、すごくずるい子だ……」
「ユウカ?」
「わたしはベルさんに何も返してないのに、それなのに必要として欲しいなんて思ってる。いらないって言われたくなくて、いい人の振りをしてた。でもその裏でズルいこと考えてた……」

 ベルディータは人ではないから――それを理由に、自分がベルディータの気持ちからも、自分の気持ちからも逃げていたことに、優花は初めて気づいたのだった。

 

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