第08話 影響力(8)

 つくづく世界にはいろいろ不思議なことが溢れているものだ、ということを優花は半年前に知ることになった。
 半年前はごく普通の女子高生だったのに、今現在そんなものは陰も形もない。
 いきなり異世界に呼ばれ、神様を押し付けられた。
 とりあえず神様なんてのが堅苦しくて逃げるように旅に出たけど、その旅には、世間では魔王と呼ばれているのがくっ付いている。

 それに歩いて移動する旅は、バスや電車に乗りなれた優花にはかなり辛かった。すぐに足にマメはできるし、ひたすら歩くのも疲れた。ベルディータの言うとおり、旅はかなり大変だった。
 それに何より痛いのなんて嫌だと思うのに、なぜ自分はあそこで飛び出してしまったんだろう? 目の前にいるヴァレンティーネは大丈夫だと言うが、なんとなく心配になってきた。

「大丈夫だよ。体のほうは兄さんがきちんと治しているはずだし」
「……それは分かってるんですけどね」

 自分の気持ちを察したかのように話すヴァレンティーネに、優花は一つため息をついた。
 いろいろ心配なことはあるけど、一応生きてはいる――ということを前提に、まずはヴァレンティーネと話をつけるべきかと考え直す。
 優花は改めてヴァレンティーネにどういった話か尋ねた。

「うん。そうだね。早くしないと兄さんが心配しそうだし。あ、そうそう僕のことはヴァールって呼んでくれる?」
「ヴァール……さん?」
「うん。兄さんのことをベルって呼んでるし。だから、僕もヴァールにして?」

 ヴァレンティーネの言いたいことが分からないので、優花は首を軽く傾げる。
 確かに彼の長ったらしい名前は言いにくいので、省略してもいいのならすごく助かる。
 が、なんでベルディータをベルと呼んでるから、ヴァレンティーネのことをヴァールと呼ぶことになるんだろうか。

「あのね、僕たちの名前には力があるんだ。だから名前を呼ばれると反応してしまうんだよ。意味が分かるかな?」
「あ、なんとなく分かる。よくある『真名』とかっていうの?」
「んー。まあそんな感じかな。でも嘘の名前を名乗ることもできないんだ。そうすると自分を偽ったり、否定することになっちゃうから」
「そうなんだ」
「うん、そうなると僕たちの存在が変わってきちゃうんだよね」

 名前については力の継承云々の時に少し聞いた程度だった。
 あの時に名前にある程度力があるとか想像できたが、こんな風になっているとは思っていなかった。

「ある意味、僕たちはこうして普通の人と変わらないようだけど、力の塊のようなものでもあるんだよ。力に名前があって、それでそれぞれ性格がある――って感じかな」
「そう言われても、人とどう違うのか良く分からないけど。見た目で区別なんてできないし」

 そう言われても違いが良く分からない優花。
 なまじ人に似すぎているため、違いが分からないのだ。

「そうだね。僕たちも人との違いをきちんと説明しろって言われても無理なんだけど。とりあえず人より自分の名前に対して左右されるって分かってほしい、かな」
「とりあえず名前と力の関係についてはなんとなく分かると思う」

 そういった本をいくつか見たし、と心の中で付け加える。
 そういった方々(?)は人間ではないという設定が多かった。

「うん。それぐらいでいいと思う。で、兄さんがベル、僕がヴァールというのは、略称なんだ。でもこれで呼ばれた場合、力に影響されないから楽なんだよね。ちなみに僕たちは力が安定するまでは略称で呼ばれるんだよ」
「はあ、そうなんだ。……って、わたし気安くベルさんって呼んでたような……」
「うん。だから兄さんも懐かしかったと思うよ」

 もしかしてベルディータが優花のことを気に入ったのは、自分が『ベル』と呼ぶことで、皆がいた懐かしい頃を思い出すせいなのかもしれない。
 狙ったわけではないが、懐かしき名は彼の心に響くものがあったのか。
 ベルディータが自分に興味を持ったのは、もしかしてそんな風に気安く呼んだのが原因だったとか――と考えると、全ての元凶は自分だったのか……とがくりとくる。

「――と、名前のことは置いといて。まあ、僕が話したかったのは兄さんのことなんだけどね」
「はあ」

 脱力した声で力なく答える。
 振り回されている原因を自分が作っていたのかと思うと、まともな返事ができない。

「そんなにガクッと来ないでほしいんだけど」
「いやでも……。ちょっと原因が自分にあったのかなーと思うと……」
「うーん。そうだね」
「否定してくれないの!?」
「あー、うん。ユウカの変に真面目な性格はつけこみ易いというか――」
「うわっ酷い! ヴァールさんってさくっとそんなこと言っちゃう人なんだ……」

 どうもイメージと違いすぎる。ヴァレンティーネは神という立場にいたので、どうしても聖人のようなイメージを持ってしまっているようだ。
 話をしたことはないのに、イメージが固定されてしまっていて、それからあまりに外れている彼に戸惑ってしまう。

「うん、言っちゃうよ。そんなにショック?」
「うん。ショック」
「うわ、ユウカもはっきり言うんだね。まあ兄さんにもよく言ってるけど」
「……聞いてるんだ」
「たまに、ね」
「……」

 輝くばかりの笑顔を向けられても、内容が内容なので素直に返事ができない。
 ベルディータといい、ファーディナンドといい、さすがだてに長年生きていない、と実感してしまう。一番まともそう(?)なヴァレンティーネでさえこうだ。
 絶対に口で勝てないような気がする。

「そーですか……。じゃあベルさんをなんとかしてくださいよー!」
「うーん。でもまあ、僕は兄さんが楽しそうだから、なんか止めるのは悪いかなーって思ってるんだけど」
「楽し……ベルさんはそうかも知れないけど、オモチャにされる身にもなって! オモチャにされて喜ぶ人は、居ないわけじゃないけど絶対少ないから! ちなみにわたしは喜ぶほうじゃないからー!」

 話が変な方向へ行っていると思いながらも、言いたいことは一応言っておかなければ、と返す。
 少々怒りながら返すので、この辺りが面白がられているということに気づかない。

「ごめんね。でも、いつも二人のやり取りを見てるわけじゃないよ」
「これだけ聞いていると、とてもじゃないけどその話、信じられないんですけど」
「これは本当。だいたい一つの肉体にいくつもの意識と共生なんて無理だから、いつもは眠っているような感じなんだよ。気持ちよくうとうとしているというか」
「そうなの?」
「うん。でもね、ユウカの感情がすごく揺れると、その強さに起こされちゃうんだよね。たいてい兄さんとのやり取りなんだけど」
「……むう」

 普通あんなことをされて、感情に変化が伴わないというのは無理だと思う。
 その感情が好意にしろ、驚愕にしろ。

「動揺するなってほうが無理あると思う」
「まあ、確かにそれは否定しないけどね」
「だったら何とかしてください! あなたの兄でしょう!?」
「無理。僕にはどうにもできないよ」
「そこを何とか!」
「だって僕はもう実体を持ってないんだから。それとも、その都度出てきて何か言ってほしいの?」

 その都度、というのはたぶん優花がベルディータに迫られている時だ。
 そんな時にヴァレンティーネに出てきてもらっても、あまり意味がない気がする。
 というより、反対に騒ぎが大きくなるだけというか。

「…………いや、いーです……」

 優花にはその一言を返すのが精一杯だった。
 反対にヴァレンティーネはにこやかな笑みを浮かべる。

「そう、それなら良かった」

 優花はその言葉を聞いて、心の中でちっとも良くない、と呟く。
 けれど、それを口にするとまた同じことの繰り返しになりそうなので、優花は思うだけに留める。

「それで、本当に何の用なんですか? ヴァールさん」
「ああ、そうそう。どんどん本題からずれちゃったね」
「そうですね。んで?」
「うん。兄さんのことなんだけどね」
「ベルさん?」
「うん。二人が会ってもう四ヶ月近いでしょ?」

 ここに来たのが半年くらい前。ベルディータと出会ったのはだいたい二ヶ月後くらいだ。
 計算すると確かに四ヶ月くらい経っているはずだった。

「それがどうしたんですか?」
「どうしたって……四ヶ月だよ?」
「四ヶ月ですねぇ」
「なんて言うかこう……お節介なのは分かってるけど、そろそろ兄さんに対して少しは好意的な気持ちとかないかなーって」
「こっ、好意的っていうのは……」

 この場合、好きということだろう。
 いやいや、好きといえば好きなんだと思う。
 けれど――

「あの、確かに弟して心配するとかわかるけど、今はそういう時じゃないし」
「まあ、そうなんだけど。ユウカの気持ちを知りたくて。もちろん兄さんには言うつもりはないんだけどね」

 もしかして、それだけのために自分はこうしてヴァレンティーネと話しているんだろうかと思うと、脱力感が襲う。
 が、相手はお構いなしに。

「ユウカも兄さんのことを好意的に見てるとは思うんだけど、どれくらいなのかって気になって。出しゃばってると思うけど、ちょっと聞いてみたくなったんだ」
「分かってるなら聞かないでくださいよ……」

 ベルディータに対する気持ちは自分でも持て余してるのに、誰かに指摘されてもすんなりと答えられるわけがない。
 いや、普通の人には無理だけど、目の前にいるのはベルディータの弟――なら自分の気持ちを話しても大丈夫だろうか、という考えが浮かんだ。

「ヴァールさん。この際だから、ちょっと愚痴を聞いてもらってもいいですか?」
「うん、構わないよ」

 あくまでもにこやかに答えるヴァレンティーネに、優花は恐る恐る自分の思いを口にし始める。

「わたし、ベルさんのこと、嫌いじゃないと思う。ううん。たぶん、好き……なんだと思うの」
「うん」

 好きだと聞いて、顔が綻ぶヴァレンティーネ。
 だけど、その後の言葉は、好意を寄せる相手に対する感情とはかけ離れている。

「好き、なんだけど……でも、怖いの」
「怖い?」
「うん、怖い、の」

 自分の思いを口にするなら、たぶんベルディータに対する気持ちは怖いというのが一番あっている気がする。好きより怖いが先に来る。
 でもそれは本人を前に言えることではないから。
 だから、事情をすべて知るヴァレンティーネに、相談してみようという気持ちになったのだ。

 

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