第03話 出会い(2)

 優花は念のため静かに起き上がってみた。
 体を動かしても痛みは感じないし、よく見れば破れた服はともかく、出血までしていた腕が綺麗に元に戻っているのを見て素直に驚く。

「すごい……ホントに治っちゃってる……」
「他に痛むところはあるか?」
「んーまだあちこち痛いけど、一番悲惨だったのは右肩だし、それ治してもらったから大丈夫、かな?」

 体を動かせばあちこち鈍い痛みが走る。
 けれど、優花にとって小さな傷は日常茶飯事のこと。これくらいの痛みなら我慢できた。
 さすがに右肩の痛みは、これまで感じたことがないほど痛かったので、これだけなんとかなれば後はマシだ。

「そうか」
「それにしても、見習いでもそんな力あるんだねー」
「……お前にはないのか? 新しい神だと聞いているが」

 優花はポロっと口を滑らせた後、しまった、と心の中でぼやく。
 見習いができるのに、神様役ができないなんて知ったらこの人はどんな反応をするのか。
 ファーディナンドがどう説明しているか分からないが、『神様』がまったく力がないってのはヤバイだろう。

「あう、えと、あと……」
「傷も治さずにいるから、てっきり死んでいると思ったんだがな」
「そ、そういう見極め方するわけ?」
「他に何がある。神といえば特別な力を持っていると思われるのが当然だろう」

 優花は青年の生死の判別に絶句する。
 いや、いいけどね。もうこれくらいのことなら驚かないよ――と思いつつ、優花は自分が力のないことをばらした。
 というより、彼も宮にいるのなら、優花に力がないのは周知の事実だろうに、面と向かって尋ねられると何とも言えない気持ちになる。

「実はそういう力はないんだよね。というか他の力も全くこれっぽっちもないんだけど」
「そうか」
「うん。それよりこんなのが神様でいいと思う?」

 優花は半分ヤケになって青年に尋ねた。
 けれど青年は特に気にした風もなく、あっさりと言い放つ。

「別に。普通の人間なら仕方あるまい。お前がそういった種族ならともかく、な」
「そういった種族……?」
「すでに三人……いや、もう二人しか残っていないはずだ。それにしても何も力がない人間に真似をしろなど、あいつが考えそうなことだな」
「は?」
「いや、こちらのことだ」
「はぁ」

 ブツブツ言う青年の話は優花にはまったく分からない。
 それにしてもこの見習い神官はやたら偉そうだ。優花のことを『お前』と呼んだり、言葉端がとにかく偉そうだ。

(もしかして、この人ってここに見習いで入る前は、裕福な家で育ったのかな?)

 それなら年下の優花に対してぞんざいな口調を使うのもわかる。
 それにそういった所にいたのなら、情報伝達に疎いこの世界でもある程度の知識や情報を得ることができるだろう。
 服装的にはギリシア神話風、けれど実際の生活形態はレンガ造りの家、石畳の通路、服装もすこし違う。どちらにしろ、情報伝達が日本より早いということはないだろう。この世界は電話もなければパソコンもないのだ。

「ええと。話し戻して、わたしは結局戻されるの? それとも見逃してくれるの?」
「戻るのが嫌なのか?」
「当たり前じゃない。何の力もないんだよ。それなのに神様なんて出来るわけないじゃない。わたしが詐欺師とかだったら嘘でも崇められていい生活だ~♪とか開き直るけど……そういう性格じゃないもの」
「詐欺師……」

 青年は詐欺師という言葉を聞いて、口に手をあてて笑いを堪えた。
 意志の強そうな瞳が、ほんのりと和らぐ。

「あんまり笑わないでくれる? こっちだってかなり切実なんだから。何にも力ないのに、祝福の言葉を贈れ、なんて言われても、その人騙しているようで罪悪感たっぷりなんだよ。胃がキリキリ痛いんだけど」
「ああ、悪かった。そういえば名は何という?」
「むっ。人に聞く前に自分から名乗るのがわたしの世界では礼儀だったけど、こっちじゃ違うの?」

 いきなり名を問われ、優花はムッとして反対に尋ねる。
 どうも相手は見習い神官のくせに偉そうだ。
 それでも相手は特に嫌な顔もせず、あっさりと自分の名を名乗る。

「違わないな。私はベルディータと言う」
「べるでぃータさん?」
「違う。ベルディータだ」
「ベルでぃーた?」
「ベルディータ」
「ベルてーダ?」
「…………お前はまともな発音ができないのか?」

 何回か発音に注意した後、ベルディータは諦めてため息をついた。
 優花にしてみれば、横文字のカタカナ名前なんぞうまく発音できなくて当たり前だ。日本人は濁音や微妙な発音は苦手なのだから。

「できない。だって、わたしは生粋の日本人なんだし。横文字の名前って慣れてないし」

 優花は指を左右に振りながら、苦笑しながら説明する。

「言葉は前の神様のおかげで不便はないけど、ベル……ディーた、さんのような名前って言いにくいんだよ」
「そうか?」
「うん。わたしの国の言葉ははっきり発音するのが特徴でね。しかも名前は長くても四文字くらいかな? だから長い、濁音なんてのは苦手なの。ファーディナンドさんとかすごく言いづらいんだよ? でも間違えたら怒りそうだから、頑張って言ってるんだから」

 それでなくても、あれこれ見下されているのだから、これ以上バカにされたら堪らない。
 そのために舌を噛みそうな名前をなんとか頑張って口にしているのだ。

「そういう理由で言いづらいのか?」
「は?」
「言いづらいのなら、皆のように『神官長』とでも呼べばいいだろう」
「あーそれもあるけど……でも、せっかく名前があるんだもん。名前で呼んだほうが良くない? 少なくともわたしは自分の名前には思い入れがあるから、『神様』なんて言われるより、『優花』って言ってほしいよ」
「ユウカ?」
「あ、わたしの名前。優花ゆうか佐藤さとう優花って言うの」

 優花はここで自分が名乗っていないことに気づいた。
 けれどベルディータは見習い神官なら、優花の名前を知ってはいそうだったが。
 どちらにしろ、優花にとって名前は親からもらった大事なものだった。だから名前で呼ばれるほうがいい。

「ユウカ? サトウユウカ? どちらだ?」
「優花、だよ。優花が名前。こっちの世界って姓ってないの?」
「姓?」
「えっと……その家の……家族の総称……みたいなの?」
「成る程。だが、ここではないな。名前は名前だ」
「ふうん……」

 確かに皆、名乗る時に名前しか言わなかったことを思い出す。
 優花は納得した後、自分の名前を話し出した。

「えっとね、わたしの名前って本当はこう書くの」

 指先で地面に漢字で『優花』と書く。

「この文字は?」
「日本語。わたしが居た所で使っていた文字なんだけど、この字にはお父さんとお母さんの願いがこもっているの」
「願いとは?」
「これ、別々にすると『優しい』って意味と『花』になるんだけど、お母さんが、『女の子だから、いつでも花であるように』って。それと――」

 ここでいったん言葉を切る。

「あんたは十人並みの顔だから、『綺麗な花』にはなれないから。だから、せめて『優しい花』でありなさい、って意味で付けたんだって。でも最後にね、あんたが十人並みなのはお父さんとお母さんの責任でもあるんだけどねーって」
「ほう……」
「だからね、わたしは自分の名前が好きだし、両親が願うようになりたいな、って思ってるの」

 ベルディータに説明していると、両親の顔が脳裏に浮かぶ。
 笑顔で優花の名前を呼び、手を差し伸べる。たぶん昔の記憶なのだろう。
 でもそれを思い出したら、急に涙が出そうになって、慌てて別のことを話しだす。

「あ、そういえば、前の神様の名前もみんな口にしないよね。どうしてかな?」
「知っているのか?」
「ヴァレンティーネさん……でしょ?」
「ああ」

 日本人のものより長い名前は言いづらいが、名前で呼んだほうがしっくりする気がした。
 いつも名前で呼ばれいたときを思い出し、優花はポツリと呟く。
 もう戻れない日本。もう会えない両親。そして、友達……みんなを思い出しながらも、表に出さないようにしながら話し続ける。

「うん。ちょっと言いづらいけど、やっぱり『神様』なんて言い方より、ずっといいと思う」
「そうか。だが……」
「なに?」

 頭にポンっと手を置かれて、優花はきょとんとする。

「な、何?」
「泣きたいのを我慢して無理に別の話にしなくてもいい。ここには私一人しかいない」
「な、……なんで……」

 なんで分かったんだろう、と優花は少し驚く。同時に図星を指されて恥ずかしくなって頬が赤くなる。
 それに頭に置かれた手が右京を思い出させて、我慢していたものが一気に溢れた。

「我慢するな。見ないから」
「ほん、と……はっ、本当は帰りたいよぉっ!! お母さん、お父さんっ! 会いたいよぉっ!」

 我慢の限界だった。辛くて逃げた時に優しくされたせいか、堪えきれずに泣き始める。
 本格的に泣き始めると、ベルディータは優花を静かに引き寄せた。
 優花の頭がベルディータの胸に触れる。だけど不思議と恥ずかしいと思わなかった。
 それよりも抱きしめてくれる腕が温かくて安心できる。しばらくすると安心感のほうが強くなり、泣くのをやめて静かになった。

(そっか、この人ってわたしのことを『神様』として扱わないから気が楽なんだ)

 敬うこともなく、かといって力がないからと見下すこともなく、優花を普通の人として接する。
 それがとても嬉しいかった。

 

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