第03話 出会い(1)

 あれからどれくらい時間が経ったのかわからなかった。
 右肩がジンジンと痛む。出血もしているようで、嫌な鉄の匂いが優花の鼻にも届く。血の匂いに誘われて肉食獣が来たらと思うとまた恐怖に襲われ、なんとか起き上がろうとする。けれど、そのたびに右肩にものすごい痛みが走って、また地面へと逆戻りしてしまった。

 厚い木々の合間から見える空を見ながら、優花は泣きそうになった。
 確かに怒って文句を言って逃げ出した自分も悪いとは思う。でも売り言葉に買い言葉で仕方ないとも思った。
 何も力を持たないのは優花自身が十分すぎるほど分かっている。
 それなのに前の神が呼んだ人間ということで、前の神と同じようなことを求められ、出来なければ叱責される。

(なんで、こんなことになったんだろう……?)

 この世界についての知識は叩き込まれたけれど、優花は聖水鏡宮から一歩も出たことがない。
 それにいくらそこから逃げ出しても、元いた世界に戻れる可能性は極めて低い。
 頭ではそう分かっているのに、『神様』という重圧から少しでもいいから逃れたかった。

(もう駄目かな。誰か見つけてくれれば大丈夫かもしれないけど、その可能性は低そうだし……)

 ファーディナンドは神様として振舞うことだけを望んだ。
 彼にとって必要だったのは、『前の神様が選んだ次の神候補』。
 その役目を放棄するような者を、彼は認めないだろう。きっと他にらしい人物を見つけ優花の代わりにするに違いない。
 とても逃げ出した優花を親切に探して助けてくれるとは思えない。

(わかっていたけどさ。自分がそれだけの人間だって。でも…………んんっ?)

 暗くなりかけたところに、目の端に緑色の小さな物体が目に入った。

(なに?)

 魔物にしては小さい――と思うそれは、上下にひょこひょこ動いている。優花は首を捻ってやっとの思いで見つめた。
 優花から一メートルも離れていない所に、体長は二十センチくらいの緑色のもさもさした毛玉のような生き物が目に入った。
 それはまるで、優花の世界で開催された某万博のマスコットのような感じだ。

「……キッ○ロ……に、似てる……?」

 思わず声に出して呟くと、その生き物は優花のほうを見る。
 いや、見るというのは正しい表現なのかわからない。目らしきところは緑色のふさふさした毛に隠れ、しっかりと目が見えるわけではない。目の辺りはモ○ゾーに似ていた。
 ただ、手の位置とその下に見える口と思われるもののおかげで、そこに目があるだろうというのがわかる程度だ。

「キイィ……?」

 その生き物は体を傾げて優花に興味を示す。体を傾げる仕草は可愛らしく、優花はこの世界の生き物だと思った。
 何とかして手を伸ばすと、その生き物はキィキィ鳴きながら体を摺り寄せてくる。
 緑の生き物は触ると毛がふさふさしていて触り心地が良かった。それに生き物らしくほんのり感じる温もりが、優花に安らぎをくれた。

「あったかいし……かわいい……」
「キィ」
「なんて名前なのかな?」
「キィイ?」

 もこもこした毛を触りながら、優花は声に出して尋ねるけれど、それは「キィ」としか言わない。ただ嬉しそうな感情は伝わってくる。
 優花のほうも側にいてくれるのが嬉しくて、優花はそれに話しかけた。

「ね、この世界ってあなたみたいな子がいるの? 可愛いからペットとか何かで飼われてるのかな? あ、ならもしかしてあなたって迷子? どうしよう、お家わかる?」

 目の前の生き物は大人しくて可愛くて、優花はだんだん飼い主とはぐれたこの世界のペットではないかと思いつく。
 もしそうだとしたら、こんなに小さいのだ、無事に飼い主のところまで帰れるだろうか――そう思っていると、それはいきなり「キィキィ」と鳴きだして、優花の側から離れていってしまった。

「あ……」

 それは木の茂みの中に隠れてしまい、優花の視界からは消え去ってしまう。
 途端に一人残された寂しさが襲う。思わず涙ぐみそうになっていると、今度はその生き物がいた反対のほうから、草を踏み潰す足音が聞こえた。
 魔物だったらどうしよう――と思いつつ、優花はそちらに頭を動かすと、青年が立っていた。
 正規の神官は白を基調に肩にかける布で位を表している。見習いの場合は正規の神官でないため、薄い灰色の服が基本だ。
 立っている青年はその見習い神官にしては服を着崩していて、長い黒い髪はまとめずに風に靡かせていた。
 顔は――優花にとって今まで見たこともないほど整っていて綺麗な顔だった。深海を思わせる深い青い瞳に、引き締まった口元に意志の強さが窺える。
 が、優花にとって相手の顔などより、この状態を何とかして欲しい。
 なんでもいいから優花は『助けて』と言おうとした矢先、青年の口から非情な一言がこぼれた。

「なんだ。生きていたのか」

 さすがに優花もこの言葉には目が点になった。
 優花がいないため、探していたのだろうというのは分かる。
 分かるが、出てきた言葉が『生きていたのか』とは。

(…………いっそ、死体の確認でもしたかったのかな、ファーディナンドさん。死んでるって分かれば問題なく次の神様を探すことできるし……)

 しかし勝手に呼び出しておいて、力がないのに神様役を押し付けておいて、そのくせ何のフォローもしてくれないのは酷すぎないか。
 優花はふつふつと怒りが込み上げてきた。

「悪かったですね、死んでなくて! みみっちく生きてますよーだ!!」

 怒りのために大声を出せば、肩に激痛が走った。
 どうせ生きているなら連れ戻されるに決まってる。そうしたらまた無理難題の神様役をしなければならない。
 そう思うと、痛みよりも怒りのほうが強かった。
 そして、目の前の青年は優花の愚痴の吐き出し場所になる。

「勝手に呼んでおいて勝手に人に押し付けたくせに、嫌だからってちょっと逃げたら、死んでいたほうが良かった!? ふざけないでよ!」
「お、おい?」
「そんな風に命を軽く扱うなんてそれでよく神官長なんて務まるよね!! だいたい何よ、わたしにはあれは駄目、これは駄目、少しは精進しろって言ってるくせに、見習いの神官は身なりひとつ適当じゃない! もう少し下をきちんと管理しなきゃ駄目じゃん、ファーディナンドさん!!」

 激昂して声を荒げて言うと肩の痛みが襲う。それでも悔しくて情けなくて、優花は最後まで言い切った。
 そして。

「――ったぁい……」
「……普通、他に言うべき言葉があるのではないのか?」

 呆れた口調の青年に、優花はきっと睨みつけて。

「誰がこんなこと言わせたのよ!? あんたじゃない! あんたが生きてたのか、って、わたしが助けてって言う前に言うから――!」
「そう言えばそうだったな」

 あっさりとした返事に優花は脱力する。
 けれど、青年のほうは先ほどの無関心な表情から、今は面白いものでも見つけたような楽しそうな表情になっていた。
 その顔を見て、優花は『こいつ絶対サドだ』と心の中で断言する。
 でなければ、あんな酷いことは言わないし、それに怪我人を相手に助けてもくれないなんて可笑しい、と。
 でも口に出したら、もっと怖そうなことが待っていそうだったので、かろうじて心の中にとどめる。
 そんな優花の心中を無視して、青年はしゃがみ込むと優花の右肩に触れる。
 痛い――と思った瞬間、青年の手から光が溢れた。優花の傷は徐々に癒え、痛みが薄れていく。

(な、なんなのこれ……っ!?)

 優花は戸惑いと関心と……複雑な気持ちで、自分の傷が癒えていくのを見ていた。

 

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